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【今日のnote】フリーランスライターが、年に一度、修験道の総本山「大峯山」に登る理由。前編

 こんばんは、狭井悠です。

 毎日更新のコラム、25日目。今回は番外編で、以前からアップしなければ……と思いながら、伝えたいコンテンツがかなりのボリュームであるため、なかなか執筆が進んでいなかった話題を、前編・後編に分けてお届けしようと思う。

 まず、前編は、修験道の総本山「大峯山(おおみねやま)」での山伏(やまぶし)修行の概要説明から入る。後編は、今年5月2日の実際の登山レポート&所感のまとめになると思う。

 もしかしたら、中編・後編になるかもしれない。(後編がいつアップできるのかはまだ不明っす、語りたいことが多くて、ボリュームがすごいんや…)

 さて。

 先日、僕は「現代の行者として生きる」というコンセプトを掲げた。

「人生って、修行みたいなもんじゃね?」

 これは、幼少の頃からずっと僕が心の中に抱えていたテーマだったのだけど、フリーランスという実力主義の世界に飛び込んだことをきっかけに、「人生これ修行」という考え方は間違っていなかったことを、日々実感している。

 そこで、「現代の行者」という人生コンセプトを思いつくきっかけとなった、「大峯山」での山伏(やまぶし)修行体験について、詳しくお伝えしていきたい。

 これは、現代を生きるフリーランスライターが、己の霊性(自分らしさ、平たく言えば厨二感)をいかに保っているかについて、熱く語る記事である。

 この記事を読んで、「日本の伝統や文化って、なかなか捨てたもんじゃないな」と、少しでも思ってもらえたら幸いだ。

はじまり

 5月2日。昨年から、この日は奈良県吉野郡天川村にある、大峯山(大峰山)に登ることに決めている。

 登り始める時間は、午前0時。漆黒の暗闇の中、片道3時間以上かけて標高約1700mの険しい山を登り、山頂にある大峯山寺に、午前3時頃の到着を目指す。

 大峯山寺は、飛鳥時代(1300年以上前)に活躍した呪術者である役小角(えんのおづぬ、役行者:えんのぎょうじゃ)を伝承的な開祖とする修験道(山籠りで修行を行う、いわゆる山伏修行)の寺院で、大峯山系(大峰山脈)の中ほどに位置する山上ヶ岳(1719.2m)の山頂近くに本堂がある。

 なぜ、危険な深夜に、山深い寺を目指して登山する必要があるのか?

 それは、5月3日の早朝に行われる戸開式(とあけしき)に参加するためである。戸開式は、午前4時〜6時頃まで行われ、その時間のみ、1300年前に役小角が自ら彫ったとされる木製の「秘密の行者像」を拝むことができるのだ。

 最初にこの話を聞いたとき、まるで、RPG(ロールプレイングゲーム)のダンジョン内の激レアイベントを思わせるような設定だな!と思った。

 そんな徳(レベル)が積める行事に、なぜ、一般人の僕が参加するようになったのか?

 これがまた、ひょんなきっかけというか、不思議なご縁で舞い込んできた話だったのである。

お世話になっている京都にあるバーのマスターが、なんと比叡山の僧兵の末裔だった

 京都、先斗町に、僕がもう10年以上お世話になっている、とあるバーがある。そこでマスターをやっているIさん。僕が学生の頃から、兄貴分のように慕っている40代のバーテンダーだ。

 今から2年ほど前、いつものようにバーで飲んでいた時に、Iさんがもともと比叡山の僧兵の家系で、親戚付き合いの行事として、大峯山に毎年登っているという話をしてくれた。

 最初の2年間くらいは、親戚の人や、その知り合いの人たちと講(こう)と呼ばれるグループを組んで登っていたそうだ。講とは、いわば山伏の登山チームのようなもので、1300年間、大峯山に登る修行者は、歴史のある講に所属して山に入り、修行を行っている。

 しかしながら、Iさんは一匹狼的な人なので、親戚や知り合いの人たちとの付き合いが面倒になり、連れ合いの人々と一緒に登るのはやめてしまい、それ以降、合計で6年間、ひとりで大峯山に登っているということだった。

 僕はもともと、比叡山および大峯山の大阿闍梨(だいあじゃり、千日間の過酷な修行を積んで生きる不動明王となる高僧、詳しくは後述)に興味があったので、「その修行、僕も連れて行ってくれませんか?」と頼んだ。

「お前は、ほんとうに酔狂なやつだな……ほんまにしんどいぞ」とIさんには呆れられたものの、まあ、そこまで言うなら連れて行ってやろうということになった。ただし、Iさんから言われたのは以下のような内容だった。

・大峯山に登頂するためには、片道3時間はかかる。

・深夜0時に出発して、午前3時〜4時頃までには到着しなければならない。

・過去に死者も出ているくらいの、過酷な山である。

・岩場、鎖場などの難所があり、奈落が至るところにある。

・何か起こっても、すべて自己責任で登るしかない。

 一言で言えば、これは「命がけの修行」ということだった。

 ふつうであれば、ここで怖気付いてしまうところなのだろうけれど、なぜか僕はすごくワクワクして、「行きます!」と二つ返事で言った。

 Iさんはやたら乗り気な僕に、面食らったように驚いていたが、「仕方がないな。わかったよ」と、修行に同行することを承諾してくれた。

 そして、不思議なことに、僕がこの申し出をする少し前に、Iさんは「小先達(しょうせんだつ)」になったばかりだと言った。

 先達とは、山伏としての位(レベル)のようなもので、先達になることで、後輩を連れて山伏修行に案内することを許されるのだそうだ。

 ちなみに、先達には階級があり、「小先達」「中先達」「大先達」と分かれている。大峯山への登山歴が4〜5年ほどで小先達の位をもらうことができ、中先達は10年、大先達までいくと20年もかかるという。

 これまで、Iさんは伝統的な講に参加せずにひとりで大峯山に登っていたので、6年間登り続けていても、山伏の位をもらっていなかった。

 しかし、大峯山の修行者たちの守りをしている西浦清六本舗の番頭である西浦さん(西浦さんのお話は、後編で詳しく記述する。西浦さんのお店はすごく綺麗なホームページを整備しているので、大峯山に興味が出てきた方は見てほしい)という方から、「大峯にこれだけ長く毎年登っているのだから、そろそろ、あんたも小先達の位をもらっておいたほうが良い」と進言してくれたことで、Iさんは小先達の位を頂戴することになったのだという。

 それまで、講に参加せずにひとりで登っていたIさん。そのIさんが小先達の位をもらった直後に、僕が修行への同行を希望したというのだから、因果なものである。何か、巡り合わせがあったのだろうなと思った。


 現代において、本当に命を張って何か事をなすことって、ほとんどない。

 そんな中で、あえて命がけの修行に自ら足を踏み入れることで、何か見えてくるものがあるかもしれない、と僕は思った。

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

 とは、有名な「葉隠」の教えだけれど、何か、命を張るようなことに挑戦してみたい気持ちが、フリーランスになってから、特に強くなっていたのだ。

 それに、幕末の情熱的な思想家である吉田松陰も、

「諸君、狂いたまえ」

 というメッセージを遺している。

 会社員として生きることがマジョリティーの世界で、フリーランスというマイノリティーをあえて選んで生きるということは、ある種、「狂う」くらいの熱狂的な意志がなければ生き残れないだろう。

 そう考えていた僕は、大峯山での命がけの修行に自ら参加することで、少しでも心身ともに強くなりたいと願ったのである。

役小角とは?

 まず、ほとんどの人が、大峯山の開祖である、役小角(えんのおづぬ)について知らないだろうと思うので、彼のプロフィールを簡単にまとめる。

 このひと、とにかくクレイジーな伝説を持つ人なのだ。

役小角(えんのおづぬ、別名:役行者)は舒明天皇6年(634年)伝 – 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)、飛鳥時代の呪術者である。姓は君。 修験道の開祖とされている。 実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。仏法を厚くうやまった優婆塞(僧ではない在家の信者)である。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など全国各地の修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという。左右に前鬼と後鬼を従えた図像が有名である。役行者はある時、葛木山と金峯山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとした。しかし、葛木山にいる神、一言主は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。そこで役行者は一言主を神であるにも関わらず、折檻して責め立てた。すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役行者が謀叛を企んでいると讒訴したため、役行者は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。しかし役行者は、流刑先の伊豆大島から、毎晩海上を歩いて富士山へと登っていったとも言われている。人々は、小角が鬼神を使役して水を汲み薪を採らせていると噂した。命令に従わないときには呪で鬼神を縛ったという。(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92

 上記にある役小角のエピソードを、簡単にまとめると以下のようになる。

・出家していないのに、すごい呪術を体得し、日本中の山を開きまくった

・鬼神を使役するくらいの力を持っており、前鬼・後鬼を従えていた

・神様をいじめて天皇にチクられたので流刑にされたけれど、毎晩、流刑地の伊豆大島から海を歩いて富士山まで修行に行っていた

 なんかもう、よくわからないくらいすごい。

 伝説によれば、いわゆる仙人のような人だったようだ。

 特に鬼神を使役するというくだりは、「地獄先生ぬ〜べ〜」を思わせる。

 伊豆大島まで流刑されているのに、海を歩いて富士山まで行っちゃうとか、なんかもう「ドラゴンボール」っぽい。

 しかも、役小角が着ている行者の服は、かっこいいドレープのきいたオーバーサイズで、髭面だし、なんだか「Yohji Yamamoto」を彷彿とさせる。

  鬼を使役し……

 海を歩いて渡り……

 「Yohji Yamamoto」みたいな服を着ている……


役小角、めっちゃかっこいいやんけ!!!!!!!

 そう、僕はいろいろと調べた結果、「役小角、めっちゃかっこいいやんけ!」となってしまったのである。

 いや、マジでかっこよくないすか?

 しかも、100年前とか200年前とか、そんな最近のスケールの話じゃない。

 1300年前(飛鳥時代)にこれだけのかっこよさとか、役小角はもはや、あらゆる厨二感のあるかっこよさの源泉なんじゃないかと思うわけで。

 たぶん、役小角は、少年の心を躍らすオリジネーターなんよ。

 というわけで、僕は今、役小角を、1300年越しにマジでリスペクトしている。

 まったく知識のない人にも記事を面白く読んでもらうために、このように、あえてポップにかっこよさの例をあげてみたのだけれど、僕は決して馬鹿にしているわけではない。

 本当に、役小角という人は、凄い人なのだ。

 だって、死後1300年経った後でも、現代に生きる僕が、こうしてわざわざ熱心に記事を書かなければならないという使命感に燃えるくらいの人物なのだから。

 彼は、時代を飛び越えて、今もなお、生きているとも言える。


1300年の間に成功者わずか2人だけ、という「大峯千日回峰行」を満行した塩沼亮潤氏が登り続けたのも大峯山

 そんな稀代の呪術者である役小角が開山した大峯山は、現在も、修験道で最も厳しい修行場として利用されている。しかも、日本で唯一の女人禁制の修行場なのである(ちなみに、この女人禁制の如何については、ジェンダー論なども交えながら別記事で詳しく書きたい。大峯山は、とにかく書かねばならない話題が多すぎるのだ…)。

 ところで、みなさんは松本人志が世界のクレイジーな人たちを紹介する番組「クレイジージャーニー」にも出演されていた、塩沼亮潤(しおぬまりょうじゅん)氏をご存知だろうか?

 金峯山修験本宗の僧侶である塩沼亮潤氏は、大阿闍梨(だいあじゃり)という稀有な称号を持っている。

 なお、金峯山修験本宗の大阿闍梨になるためには「大峯千日回峰行」と呼ばれる修行を満行する必要がある。これがまた、凄まじい修行なのである。

 詳細は以下のとおり。

奈良県・大峯山の山道を1日48km、16時間かけて1,000日間、毎日歩き続ける。修行のクライマックスでは、9日間、飲まない、食べない、寝ない、横にならないという「四無行」と呼ばれる決死の行を実施する。この修行では「失敗したらその場で切腹」という厳しい条件が課せられており、修行を途中で止めることは死を意味する。出典:https://logmi.jp/41508

 軽く内容を見ていただいただけでも、恐るべきクレイジーな修行だということがわかるだろう。

 なお、比叡山延暦寺にも「千日回峰行」があるのだけれど、こちらでは、信長の比叡山焼き討ち以後、51人の大阿闍梨が出ている。

 一方、「大峯千日回峰行」は1300年の歴史の中で未だに2人しか成功者が出ていないというのだから驚きだ。

 なお、塩沼亮潤氏は最高峰の位である大阿闍梨になった後も、「クレイジージャーニー」のようなバラエティ番組から、「TED Talks」のような国際的な番組にまで出演している。

 以下に、「TED Talks」のYouTubeを添付しておくので興味のある方は観てほしい。


 このように、僕が山伏修行に挑戦した「大峯山」という山は、命がけで修行をし、人生に何かを見出そうとする、熱狂的な男たちが集まる聖地だったのである。

 そして、2018年5月2日。僕は人生2度目の「大峯山」の山伏修行に参加することになった。ちなみに、初修行は昨年の2017年5月2日だ。

 しかし、1年前の初修行の記録は全く書き残すことができていない。あまりにも、山から教わったものが巨大すぎて、文章にすることができなかったのだ。

 しかしながら、今年はちゃんと文章にしようと決めていた。言葉にならないようなことですらも、体験を通じて、実践的に言語化すること。これも、修行の一環なのかもしれないと今では思っている。

 さて。

 長くなったので、いったん、ここまでで前編のコラムを終わろうと思う。

 後編では、2017年5月2日の1度目の登山体験のことも思い出しながら、今年の登山体験の記録を、Twitterでの実況メモを交えつつ、詳しくレポートしたいと思う。

 今年の登山では、山に登るまでの間の経緯と下山した後の所感を、noteで記事にするために、Twitterに逐一メモった。(ちなみに、登山→下山までの間は、そもそも電波がないのでメモっていません。あくまでも、出発前→下山後のメモ)

  Twitterのメモは、モーメント「大峯山、山伏修行の体験を通じて感得した事のまとめ」に取り急ぎまとめているので、気になる人はそちらも合わせてチェックしてもらえれば幸いである。

 さて、もう23:30近い。毎日更新のルールを守るギリギリ。

 今日もこうして、なんとか無事に文章を書く事ができてよかった。

 また明日も、この場所でお会いしましょう!

※ちなみに、明日はまだ後編はアップできないと思う。一生懸命書くので、後編については気長に待ってくださいね。

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