八月十三日の白昼夢

中編小説『八月十三日の白昼夢』

 わたしは甘いパンがきらいだ。 

 たぶん、小さいころから母親に菓子パンばかり食べさせられてきたからだろう。わたしの母親の友人が実家のすぐそばで小さなパン屋を営んでいて、その友人の好意で母親はいつも菓子パンを山ほどもらって帰ってきた。

 アンパンやクリームパン、ジャムパンにチョココロネ、メロンパンにフレンチトースト。どれもこれも、むせかえるほど甘い匂いのする、甘い甘いパンばかり。

 お昼ごはんはいつも同じメニューだった。透明なコップに注がれたまっ白な牛乳と、甘いパンがふたつ。わたしは母親にいつも別のメニューをねだった。チャーハンや焼きそば、そうめんに冷やし中華、マクドナルドにケンタッキーフライドチキン。しかし母親は、ふてくされたわたしにいつもこう言うのだった。 

「あなたね、甘い食べ物っていうのは戦争があったころはとても高級なもので、ほとんど手に入らなかったものなのよ。お母さんだって小さいころは甘いものなんてほとんど食べさせてもらえなかったし、お昼に毎日甘いふっくらとしたパンが食べられるなんて、とっても幸せなことじゃないの。それにお母さんの友達がつくったパンだから、きっとやさしい味がするでしょう?さあ、文句なんて言わないで、しっかり食べなさい」 

 わたしは母親の言葉に、いつも納得ができなかった。だって、戦争のことなんてずいぶん昔のことで、今は甘い食べ物なんて別に高級なものじゃないし、母親が小さいころに食べさせてもらえなかったものだからといって、今わたしがそれをたくさん食べなくてはいけない理由にはならない。

 それに、友達がつくっているからやさしい味になる、という話の理屈もよくわからない。そもそも、やさしい味ってなんだろう?パンはパンだ。魔法がかかるような、特別な食べ物ではないのだ。 

 だからわたしは、母親はきっとめんどうくさがりなのだろうと思った。わたしのために何か手のかかるものを用意するのが億劫なのだ。だから何かしらの理由をつけて、友人のパン屋からタダでもらえる甘いパンをわたしに毎日都合よく食べさせているのだ。 

 そのように考えるようになってから、わたしは甘い菓子パンのある風景を見るのもいやになっていった。テーブルの上に、白い牛乳の入ったコップと、甘い菓子パンが置いてあるのをみると、自分は愛されていないのではないか、という、どうしようもない不安にとらわれてしまうのだ。

 他人からすれば、なぜ甘いパンが置いてあるだけでそれほど心が乱されてしまうのか、きっと理解することはできないと思う。しかし、それはわたしにとってどうしても我慢できない風景なのだ。 

 それは三十歳になった今でも変わらない。彼との別れ話も、ちょうどそんな風景を、彼の部屋で目にしたときにはじまった。


「わたしたち、今日で最後にしよう」 

 べつに前もって言うつもりだったわけじゃない。ただ、気づけば口から言葉が漏れていた。

 彼の部屋の小奇麗な白いテーブルの上には、グラスに入った牛乳と、それにチョコデニッシュがふたつ。休日の午前十時の食卓。甘いパンのある風景。

 彼はシャワーあがりで、バスローブに身をつつみ、髪をタオルで拭きながら目を細めて言う。

「急に、どうしたっていうんだ?」


 彼と出会って、彼の住むマンションで同棲をはじめてから半年ほどが経っていた。彼は南麻布のマンションに住んでいて、会社を経営している。歳は四十二で、別居中の妻がいて、中学一年生の娘も一人いる。 

 彼は、わたしが勤めていた高級リラクゼーションマッサージ店の上客だった。最初に接客したときに、彼はひと目でわたしのことを気にいったようだった。そしてそれは、わたしもまた同じだった。 

 わたしの働いていた店は、芸能人や起業家などの金をもった人間ばかりが訪れる特殊な場所だった。わたしは広尾にある店舗に勤めていて、そのほかにも白金や恵比寿や六本木に支店があり、おもにアロマオイルを使ったマッサージや肌のトリートメントなどを行う。

 店内の内装は高級リゾートホテルを模したようなラグジュアリーなつくりになっていて、値段もかなり高いし、ふつうのサラリーマンのような平凡な人間はほとんど来ない。 

 当時、わたしは同じ店の客だった三十五才のそれなりに有名な俳優と関係を持っていたけれど、ある出来事を原因に破局を迎え、精神的にも肉体的にも、とても疲弊していた。

 そんなわたしにとって、ひ弱で芸術家気質の俳優の男とは性格も年齢も職業も違う彼は、とても魅力的に見えた。何より現実的なところが良かった。彼は行動も発言も、学校の黒板のように現実的だった。 

 一般人とは違った感性をもつ芸能人や業界人を相手に、昼夜を問わずマッサージをする仕事のために、わたしの日常の現実感は強風に揉まれる憐れな風船のように弱々しいものになっていった。

 店で過ごす毎日には、映画のようにドラマティックな日もあったし、紙芝居のように陳腐な日もあった。そして、どの日も致命的なくらい現実感がなかった。 

 だからだろう。彼の現実的な感性が、非現実に蝕まれるわたしの日常を救うためにどうしても必要なように思えたのだ。

 少なくとも、そのときは。 


 彼はわたしを何度か指名し、やがて食事に誘った。

 わたしはそれに応え、彼と西麻布で食事をした。わたしはその日、セミロングの栗色の髪を結い、クリーム色のワンピースに、お気に入りのパンプスを履いて出かけた。彼はオーダーメイドのスーツを着ていて、腕にはシンプルなロレックスをつけていた。

 そして、麻布の彼のマンションに招かれ、赤ワインのボトルを空けたあとでセックスをした。若い男の繊細さに欠ける雑なセックスに飽きていたわたしは、彼のおおらかで包容力のあるセックスにとても安らぎを感じた。

 彼のやさしい指の動きや、舌先で撫でられる感触を味わいながら、わたしは愛されているのだ、と思った。わたしにとっては、誰かに愛されているという自覚が、生きるうえで何よりも大切な感覚なのだった。 

 しばらくそうした関係を続けたあと、わたしは彼と一緒に暮らすことになった。

 彼がわたしに自分の会社の簡単な秘書職を任せると言ってくれ、高級マッサージ店の給料よりも高い金をくれるというので、仕事も辞めてしまった。


 はじめは、ひさしぶりに戻る昼の生活にとても満足していた。

 彼のオフィスは南青山にあった。毎日、ふつうのOLのようにスーツを着て出勤し、彼の家から歩いて麻布十番駅まで向かい、メトロを乗り継いで表参道駅で降りる。午前中は彼のスケジュールを確認して頼まれた事務をこなし、お昼には表参道ヒルズのあたりを散歩してランチを食べ、仕事を終えて夕方には渋谷で買い物をしたり、六本木でお茶をしたりして帰る。 

 しかし、午前十時から午後四時までの短い勤務を終え、彼の帰りをマンションで待つ暮らしは、わたしに何かを考えることを迫るようになっていった。今までは忙しさにかまけて保留していたいくつかの考えが、正常なサイクルをもった生活の中で確かな輪郭をもち、やがて息をし始めた。 

 それらの考えは、具体的にはわたしの将来に関することだった。

 わたしの人生はこれからいったいどうなっていくのだろう?

 これから毎日、彼の会社で朝から夕方まで働き、彼の帰りを待ちつづける暮らしを送るのだろうか。

 おそらくそれも長くは続かないだろう。別居中とはいえ、彼は妻子持ちなのだ。彼はわたしのことを愛していると言うけれど、嫁と別れるつもりはないらしい。

 何せ現実的な男なのだ。現実的な男は、常にものごとの優先順位をはっきりと定めているものだ。

 奥さんよりも歳の若いわたしと過ごす時間は、あくまで彼の人生の潤いを保つために必要なものであって、彼にとっては離婚というリスクを冒してまで手に入れなくてはならないものではないのだ。

 一度、娘が大学に入ったら離婚しようかと考えている、という話をしてくれたことがあったけれど、それまでまだ五年はある。五年間、今のような蜜月が続けられるかどうかなんて、誰にもわからない。

 そしてもっといえば、それがわたしのほんとうに望む未来なのかどうか、わたし自身にもわからないのだ。 


 そのような考えを繰り返すうちに、わたしは毎晩、ある夢を見るようになった。

 夢の具体的な内容は、次のようなものだ。

 わたしは実家の庭にいる。ツツジの木が植えてある、小ぢんまりとした庭。空には赤い夕陽が浮かんでいて、見馴れた景色を淡いオレンジ色に染めている。わたしは庭を出て、近所の路地を歩く。路地に出ると、微かに潮の匂いがする。

 懐かしい、海の匂い。

 黒猫が一匹、わたしの足もとを通り過ぎる。黒猫はたまに振り返りながら、まるで道案内をするように路地を進んでいく。わたしは黒猫のあとについていく。

 しばらく進むと、空き地にたどり着く。そこは見覚えのある場所だった。そう、母親の友人の営むパン屋があった場所だ。わたしの大嫌いな、甘い甘いパンがつくられていた場所。

 しかし、パン屋があったところはぽっこりと建物が削り取られてしまっていて、何もない空き地になっている。

 その空き地の真ん中に、男の子が座り込んでいる。男の子はわたしに背を向けて、何かを熱心に組み立てている。

 それは、神社にある「おやしろ」のようなかたちをした、木で出来た小さな建物だった。

 男の子はこちらを振り返る。白いシャツに、黒い半ズボン。見たことのない顔の男の子だった。男の子はわたしに気づくと、にっこり笑って手招きをする。

 そして無言で「中をのぞいて」と言う。

 彼は何も話さないのだけど、なぜかわたしには「中をのぞいて」と言われたことがわかる。

 わたしは男の子がつくった「おやしろ」に近づく。「おやしろ」のとびらは開いていて、わたしはその中をのぞき込んだ。 

 でも、その中には何もない。

 「おやしろ」の中には、守らなくてはならないような特別なものは何も入っていない。ただ、何もない空間が広がっているだけだ。

 わたしは思う。

 何もない空間を、なぜ、わざわざ「おやしろ」をつくってまでして守る必要があるのだろう?


 そこで、わたしはいつも目を覚ます。 

 奇妙な夢だ。

 なぜ、今になって実家の近くにあるパン屋のことを夢に見るのか。なぜ、パン屋は削り取られたように消えて空き地になっていたのか。なぜ、男の子は神社の「おやしろ」のような建物をその空き地につくらなくてはならなかったのか。そして、その男の子は誰なのか。

 わたしには何一つわからなかった。 

 しかし、起きたあとには必ず、自分がひどく場違いな場所でまったく見当違いなことをしているような、居心地の悪い気持ちになるのだった。

 何かが間違っている、とわたしは思った。

 何かが、決定的に間違っているのだ。ボタンの掛け違いのような間違いがどこかで起きていて、それからすべてが少しずつずれている。そんな気がした。わたしは間違いを正さなくてはならない。でもそれがどんな間違いなのかは、わからない。 

 そのような思いが、煮こごりのように心の中で固まりはじめていたとき、わたしは見たのだ。彼の部屋のテーブルに用意された、白い牛乳と、甘いパンを。


「急に、どうしたっていうんだ」 

 彼は疲れたような声で言葉を返した。 

「わたしたち、今日で最後にしよう」 

 わたしは言葉を繰り返す。

 まるで何か重要な意味が隠されている呪文のように。

 彼は少し黙って、それから話しはじめる。 

「……なにか、きみの気に触るようなことをしたかな」 

 わたしは黙っている。彼は椅子に座る。彼が言うように、彼の行動は何一つ問題ない。でも、何かが間違っているのだ。わたしにはそれがわかる。たとえば、テーブルのうえに置かれた、甘いパン。 

「わたしはいままで、この家で、甘いパンなんて食べたことない」 

 わたしは静かに言う。そう、わたしはパンなんて絶対に食べないのだ。とくに、チョコデニッシュのように、甘くてどうしようもない、くだらない菓子パンは。

 彼は少しおどろいたように話す。 

「ああ、このパンはこの前、仕事帰りに買ってきたんだよ。美味しいって評判のパン屋があったから、買ってきたんだ。パンが気に入らなかったのなら申し訳ない。きみに好みの確認をしなかったからね。でもそれが、僕たちが別れなくてはならない理由に結び付くとは、僕には思えないんだけどな」

「——奥さんが買ってきたんでしょう?」 

「え?」

 彼は聞き返す。私は言う。 

「このチョコデニッシュは、奥さんが買ってきたものなんでしょう?」 

 彼は黙っている。わたしは言葉を続ける。 

「きっとこのパンは、あなたが買ってきたものじゃない。わたしにはそれがわかる。だってあなたは、わざわざ評判の店によってパンを買ってくるようなひとじゃないもの。でも、べつにこのパンを奥さんが買ってきていたとしても、それはかまわないの。それ自体は重要なことじゃない。間違いはもっと、ずっと前から起こっていたの。だから、もうだめなの。わたしたちはもう終わりにしたほうがいいと思う。あなたのことは好き。そしてあなたは、わたしのことを愛している、と言うかもしれない。でも、もうだめ。あなたとこれ以上一緒にはいられない。わたしたちが別れるべきだということは、その甘いパンを見たときに、すべてわかってしまったのよ」 

 彼はしばらく黙っていた。

 彼はうつろな視線でわたしの目を見つめ、何か現実的な言葉を探しているようだった。わたしは彼をまっすぐ見つめた。そう、あなたにはわからないかもしれない、とわたしは目で話した。

 でも、何かが決定的に間違っているのよ。そして、一度ボタンを掛け違えてしまったものを正すには、すべて脱ぎ捨ててしまう以外に方法はないの。

 やがて彼は、小さく言った。 

「——僕には、わからない」 

 わたしは黙っている。彼は話を続ける。

「僕はきみが不自由のない暮らしができるように、いろいろと努力してきたつもりだ。マッサージ店での不安定な生活から自由になってもらいたかったから、会社の秘書職を任せているし、勤務時間だって短く、できる限り自由の利くようにしているはずだよ。今の暮らしに何か不満があるなら、言ってほしい。別に無理して僕の会社で働く必要もないし、もしきみが望むなら、今の仕事はやめてもらってもまったく構わない。重要なのは、きみが僕のそばに居てくれることなんだ」

 わたしは何も話さない。

 彼は深いため息をついてから、また言葉を続ける。

「……それに、たしかに、このパンはきみが言った通り、あいつが買ってきたものだ。黙っていたことは謝るよ。 でもきみは、そのこと自体は重要な問題じゃないと言う。他に何か決定的な間違いがあると言うのなら、それはいったい何なのか教えてほしい。たとえ具体的に説明できないものであったとしても、話してほしいんだ。僕にはきみが必要なんだよ。僕はたしかに、きみを愛しているんだ。僕はまだ、いくらでもきみにたいして努力する覚悟があるんだよ。だから話してほしい。何が問題なんだ? どこに間違いがあると言うんだ?」

 わたしはそれ以上、何も話さなかった。

 どれだけ話しても、わたしたちが別れなくてはならない理由は、彼にはきっとわからない。そして、わたしの言う間違いは、彼が努力してどうにかなるという種類のものではないのだ。

 ——彼には申し訳ないけれど、これはわたし自身の問題なのだ。 

 彼は最後に、独り言みたいにこう言った。 

「今まで一緒にいたけれど、結局、きみは自分のことを何一つ、僕に話してくれなかった。……たぶん、僕は何一つ、きみのほんとうのことを知らないんだろうな」


 そのようにして、わたしは彼と別れた。 

 彼の会社を辞め、一緒に暮らしていたマンションも出て、ひとり暮らしを始めることにした。わたしは二子玉川駅の近くにある小さなマンションに部屋を借りた。

 住み慣れた港区の、もっと都心の物件もあったけれど、できるだけ生活感のある素朴で静かな場所に住みたかった。

 わたしは引っ越しをすませると、次の仕事を探すこともなく、貯金を切り崩しながら生活を続けた。

 朝起きて、朝食を食べ、部屋を掃除し、昼は近所の商店街や多摩川沿いを散歩した。夜は本を読んだり、筋力トレーニングをしたりして、簡単な夕食をつくって食べ、そして眠った。そのような時間を二カ月ほど過ごした。

 そのあいだ、わたしはほんとうに誰にも会わなかった。

 行きつけのバーやカフェにも顔を出さなかったし、マッサージ店で働いていたころの同僚からの連絡にも応答しなかった。彼からも何度かLINEのメッセージや電話があったが、それも返信しなかった。

 しばらくすると、iPhoneはほとんど鳴らなくなり、やがて充電が切れた。わたしは死んだiPhoneを鞄の底に放り込み、そのままにしておいた。


 静かな部屋でひとり座り込んでいると、たまに涙が溢れるときがあった。

 何か哀しい気持ちになったわけではない。ただ、河の水のようにさらさらとした涙が、つうつうと目から流れるのだ。そういうときは、わたしはただただ静かに、流れ出る涙を受け入れた。ひんやりとした、不思議な涙だった。

 男の子が空き地に「おやしろ」をつくる夢は、あいかわらず毎晩のように見ていた。その夢を見ることは、わたしにとっていつの間にか生活の一部になっていた。

 わたしはその夢を見るたびに、何かとても懐かしい思いにとらわれた。赤い夕陽に照らされる故郷の庭の風景や、潮の匂いのする路地裏の景色を思うと、胸がぎゅっとしめつけられるような、せつない気持ちになるのだ。 

 帰ろうかな、とわたしは思った。 

 わたしは暗い部屋でひとり、目を閉じる。

 久しぶりに、故郷の様子を見に行くのもわるくないかもしれない。

 東京にいたって、会うべきひともいないし、やるべきこともないのだ。故郷にはもう三年ほど帰っていなかった。ここ二年半くらいはマッサージ店の仕事が忙しかったし、今年に入ってからは彼と暮らしはじめ、新しい仕事をしていたこともあって、帰省をする余裕がなかった。

 ふと気づいてカレンダーを見ると、日付は八月十二日を示していた。もうすぐお盆だ。故郷に帰らなかったこの三年間、わたしは東京でいったい何を思いながら過ごしてきたんだろう? 

 そのとき、夢に出てくる「おやしろ」の中身を思い出した。 

 何もない、空白。 

 そうだ、わたしはこの三年間、ずっと空白の中を彷徨っていたのだ。

 そして、夢に出る「おやしろ」のことを考えるうちに、わたしはあのパン屋のことが気になってきた。夢の中で、その場所は空き地になっていた。実際はどうなのだろう。パン屋はもうなくなっているのだろうか。

 それに、いつも夢に現れるあの少年。彼はいったい誰なのだろう?


 帰ろう、とわたしは思った。 

 一週間ほど過ごすことのできる荷物をスーツケースにまとめると、新幹線のチケットをとり、東京駅から故郷へと向かった。八月十三日、暑い夏の日のことだった。


 わたしの故郷は、海が見える小さな街だ。 

 私鉄の車窓から三年ぶりに目にする故郷の海は、記憶の中の海よりももっとずっと大きくて、なんだか意志をもった巨大な気むずかしい生き物みたいに見えた。 


「おかえりなさい、すみれ」

 名前を呼ばれて、わたしは戸惑った。

 自分の名前を誰かにきちんと呼ばれるのは、とても久しぶりのような気がした。母親は、にっこりと笑ってわたしを出迎えた。

 すみれ、それがわたしの名前だ。 

 すみれという名前は、古い作家の有名な小説の書きだしに出てくる、花の名前からとったものらしい。作家の名前は忘れてしまった。

 わたしの父親は熱心な読書家で、その作家のことを昔から尊敬していて、女の子が生まれたら必ず「すみれ」と名付けるつもりだったそうだ。

 父親にはわるいけど、冴えない古風な名前だ、とわたしは今でも思っている。 

 地元の大学を一年留年して卒業し、華やかな世界に憧れて東京に飛び出してきてから、家族とまともに会話をすることはほとんどなかった。

 わたしは別に家族のことをきらっていたわけではない。ただ、家族と触れあうことに必要性を感じなかったのだ。そこには何の刺激もない。ただ静かな暮らしがあるだけ。 

 だからわたしは、東京の街で出会う人たちに、家族からは決して得られない種類の刺激を求めた。

 わたしは概ね、自分の望むものを東京で得てきたと思う。地方の街に住んでいたら絶対にあり得ない有名人たちとの出会い、高級車での出迎え、夜景の見えるレストランでの素敵な食事、目のくらむような刺激的なセックス。

 多忙な日々、やがて訪れた俳優との破局、その後の起業家との同棲、別れ。そして、それらの出来事のどこかに含まれている、何らかの間違い。

 とにかく、その間違いは理屈ではなく、身体で感じるものなのだ。

 女としての、動物としてのわたしが、身体で、もっといえば本能で感じる決定的な間違い。

 それが東京での暮らしの中で起こり、わたしをわたし自身が思い描いていた本来の自分から少しずつ、しかし確実に乖離させていった。でも、その間違いがいったい何だったのか、わたしにはわからない。 

 何も思い出せない。 


 母親とは、再会してもやはり、ほとんど会話はなかった。

 母親はわたしの顔をみて、終始にこにこと笑っているだけだった。お昼すぎに実家へ帰ってきたわたしのために、母親は昼食を用意していた。昔と変わらない、甘い甘い菓子パン。ふたつのパン・オ・ショコラと牛乳が、食卓のうえに置かれていた。 

「そのパンは、お母さんの友達のパン屋さんがつくった、新しい商品なのよ」 

 母親は自慢げに話した。

 わたしは夢のことを思い出した。

 あのパン屋は、まだあるのだ。

 そして、母親は今でも、わたしが甘い菓子パンをきらいだ、ということを知らない。それがわたしには、ほんとうに不思議なことに思えた。

 なぜ、母親はこんなにもわたしのことを何も知らないのだろう?

 わたしは「あまりおなかがすいていない」と短く母親に伝え、そのパンには手をつけず、牛乳だけを飲んだ。

 母親はその間も、ずっと笑顔だった。


 わたしはパン屋に行ってみることにした。

 夢で何度も見た道筋を、実際にたどってみようと思ったのだ。

 夢と同じ行動をしてみて何かが見つかる、なんておとぎ話のようなことは実際には起こらないだろうけど、そうするべきだという思いがあった。

 ある意味では、そのためにわたしは故郷へ帰って来たのだ。

 懐かしい景色の中で、何かを確かめるために。 


 わたしは夢で見た道筋のとおりに、近所の路地を歩いた。時刻は昼下がりで、蝉があちこちで鳴いていて、ずいぶんと暑かった。薄手のシャツワンピースでも、歩いていると汗がにじんだ。

 夢で見たように黒猫が現れることを少し期待したが、どこにも猫の姿なんてなかった。

 幼いころから知っている道を歩いていると、なんだか自分が三十歳であることがすごく奇妙なことのように思えてきた。自分の成熟した身体が、まるで借り物のように感じた。

 わたしの中に、幼いころの自分と何一つ変わらない、もうひとりのわたしがいる。わたしはそう思った。そして、それを気づかせようとするかのように、潮の匂いのする路地の風景もまた、昔と何一つ変わっていなかった。

 まるで、時間がたつことは実はたいした意味をもっていない、ということをわたしに教えようとするみたいに。 


 そして、わたしはパン屋の前にたどり着いた。

 そこには昔と同じように、白い外壁の小さなパン屋があった。

 入り口はガラス張りになっていて、中の様子がよく見える。

 アンパンやクリームパン、ジャムパンにチョココロネ、メロンパンにフレンチトースト。甘い菓子パンが、店内に並べられているのが見える。

 わたしはしばらくそんなパン屋の様子をぼんやりと眺めていた。

 蝉の声が響く夏の昼下がり、白い外壁の小さなパン屋のある風景。 


「お姉さん、こんにちは」 

 とつぜん、近くで声が聞こえた。呼びかけにおどろいて振り返ると、そこには小さな女の子がちょこんと立っていた。 

「お姉さん、あたしのお母さん見なかった?」 

 女の子は話す。クマのぬいぐるみを抱えた、見たことのない女の子だった。近所に住んでいる子だろうか。にこっと笑うと見える、小さな八重歯が可愛らしい。

 わたしは言葉を返す。 

「どうも、こんにちは。あなたのお母さんはどんなひとなの?」 

 女の子は、急に照れてしまったのか、もじもじしながら話す。 

「うんとね、ええとね、なんとなく、お姉さんに似てるような気がする」

 わたしは微笑ましく思う。 

「あなたのお母さんは、わたしに似ているのね」 

 女の子はうなずく。 

「うん、似てる」

 わたしは女の子にたずねる。 

「あなたのお名前は?」 


 女の子はわたしの顔を見て、にっこり笑いながら言う。 

「——名前はね、まだないの」 


 名前はまだない。

 なんだか、変わったことを言う子だなと思った。 

「ほんとうに、名前はないの?」

「うん、ほんとうに」

「そのクマさんはお友達?」

「うん、お友達」

「そっか。じゃあ、お姉さんの名前を言うね。おねえさんはすみれって言うの。よろしくね。あなたは、お母さんとはぐれちゃったの?」 

 女の子は、急にかなしい顔になってうなずく。 

「お母さんを、ずっと探しているの」 

 かわいそうに、とわたしは思った。

 きっと迷子になったのだ。こんな可愛らしい子を置いて、母親はいったい、どこで何をしているのだろう。 

「よし、わかった。わたしが、あなたのお母さんを一緒に探してあげる」 

 女の子は、わたしの言葉を聞くと、にかっと満面の笑みを浮かべた。

 太陽みたいな顔をして笑う女の子だ。 

「やったぁ。すみれお姉さん、ありがとう」 

 わたしも女の子の笑顔に応えるように、にっこりと笑って、彼女の手をとった。

 彼女のちいさな手は、とても温かかった。 



 八月十三日の午後、すべては白昼夢の中の出来事のようだった。

 女の子と手をつないで故郷の町を歩きながら、わたしはふと、家の食卓に残してきた、ふたつの甘いパンのことを思い出していた。

 そして、そのときにはもう、これまでわたしが抱えていた、なんらかの決定的な間違いについて、言葉では未だにうまく説明できないのだけれど、自分の心と、体と、本能で、はっきりと理解していた。 

 そう、これまでのわたしは、確かに、何かを間違えて生きてきた。

 そして、それは、誰かのせいではなく、わたし自身の問題だったのだ。

 だからこそ、一度ボタンを掛け違えてしまったものを正すには、すべてを脱ぎ捨ててしまう以外に、方法はなかったんだと思った。


 恋、仕事、お金、あらゆる人間関係。これまで東京で築き上げた、すべてを脱ぎ捨ててしまった今のわたしには、もう何も残されていない。

 確かに、今のわたしにはまだ、誇れるものは、何もないのかもしれない。

 でも、何もないということは、どのようにでも生きられるということだ。


 少しだけ、女の子の手を握る手の平に、きゅっと力が入る。

 温かい手をした、太陽みたいな笑顔をする、「まだ名前がない」と話す、母親とはぐれた、クマのぬいぐるみを抱える不思議な女の子は、そんなわたしの手を、強く握り返してくれた。 


 きっと、大丈夫。


 道に迷ったって、どうにかなる。

 わたしは今、どこにでも行ける。

 どこまでも自由に、

 わたしらしくあるために。


[完]


あとがき

 この小説の原型は、2012年頃、たしか「北日本文学賞」に応募するために書き下ろした中編小説だったと思います。当時は「あまいパン」という題名でした。

 この小説に加筆をするのは、実はもう三度目くらいで、どんどん成長していくタイプの小説だなと不思議に感じています。六年間、なんどもなんども、絵の具を上から重ねていくように書いている、まるで油絵のような小説です。

 おそらく、僕はこれからも、定期的にこの小説に手を入れていくのでしょうし、そのたびに、主人公の「すみれ」の心境も、まわりの設定も、起こる出来事も、きっと違うものになっていくのだろうなと思います。

 2012年当時、この小説の第一稿を書くにあたり、女性目線でいろんなアイディアを僕に共有してくれて、熱心に出来上がった物語を読んでくれた、仲がよかった友達が読んだら、物語の成長ぶりにびっくりすることでしょう。

 当時、喧嘩別れをしてしまって、今ではもうその子とは連絡が取れないのですが、いつか、どこかで、この成長した物語を読んでくれるようなことがあれば、とても嬉しいです。

 なお、今回は加筆にあたり、けっこういろいろな細かい設定を変更しています。特に、ラストには大幅な変更を加えました。詳しいことは、ここには書きませんが、より小説らしくなり、文脈の深みも増したのではないかと思っています。

 そして、noteにアップロードするということで、文章のニュアンスを「noteにエッセイをアップしている女性の独白」のような雰囲気になるように、ちょっと工夫をしてみました。

 僕は女性を主人公にする作品を書くことが好きです。性別という垣根を超えて、違った視点から世界を見ることができ、自分の知らない世界へジャンプすることができるからなのでしょう。

 思うのですが、異性というのは、近くて遠い、なかなか分かり合えない存在だと思います。もっと言えば、人間というのは、近くて遠い、なかなか分かり合えない存在なんですね。

 今回の作品では、そうした人間同士の「認識の齟齬」「すれ違い」「分かり合えなさ」「共感しえないもの」といったことがテーマになっているような気がしました。

 いずれにせよ、不思議な小説です。

 今回、編集作業をする中で「自分が書いたものじゃないみたいだ」と何回も思いました。「すみれ」はとてもお気に入りの主人公ですから、またどこかで会いたいと思っています。

 それでは。 

サポートいただけたら、小躍りして喜びます。元気に頑張って書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。いつでも待っています。