今でもときおり_彼女のことを

短編小説『今でもときおり、彼女のことを』


「ねえ、人の不幸を食べるナマズの話を聞いたことはある?」

 彼女は吸いかけのヴァージニア・スリムを灰皿に押し付けると、僕に突然問いかけた。少しだけ寝癖のついた猫っ毛の黒髪を、誰に見せるでもなく整える。僕はその様子をぼんやりと眺めながら、彼女の話の続きを待った。


 その頃の僕たちは、暇があるとどちらともなく大学の近くにある煙たい喫茶店に集まり、味のしないつまらないコーヒーをすすりながら、ありあまる時間を鼻紙のようにちぎっては捨てていた。

 二十二歳というのはそういう微妙な年頃なのだ。二十二歳の僕たちは、何をしていても薄っぺらい紙ナプキンみたいなわずかな手応えしか得ることができなかった。楽しみも苦しみも悲しみも、すべてが軽薄だった。

 しかしそれは僕たちのせいではない。

 それは別に誰のせいでもないのだ。

 休日の午後の通り雨みたいなものだ。


 そして、ひとしきり時間を食いつぶすと、僕たちは決まって空想話にふけった。

 おとついは空に浮かぶ水道局に勤める老人の日常について彼女が話し(空に浮かぶ職場にも定年退職は存在するらしい)、昨日は僕が正しい林檎のつぶし方について話した(いかに「へた」を大事に扱うかが重要なのだ。そしてなぜ林檎をつぶすのかといえば、僕はアップルパイが好きで、セザンヌが嫌いだからである)。

 順番的にいえば、今日は彼女が話す番だ。僕は黙って話の続きを待つ。彼女はいたずらっぽく笑いながら、話し始めた。


ナマズがね、いるのよ。人の不幸を食べるナマズ。ぼてっとした体躯で、髭がにょろにょろと長くて、いつも暑苦しいダブルのスーツを着ているの」

「スーツ? ナマズが何でスーツを着る必要があるんだい?」

 僕はおどろいて質問した。彼女は答える。

「就職活動中なのよ。人の不幸だけではナマズも食べてはいけないもの。ありふれた人の不幸だけでは、彼はなかなか満腹になれないのよ。だから、ナマズは生き延びるためにちまちまと稼がなくちゃいけない」

 なるほど、と僕は言った。僕はさらに質問する。

「ナマズにとって人の不幸はどんな食べ物なんだろう? たとえばそれは嗜好品のようなものなのかな」

 彼女は僕の言葉を受けて、白く華奢な指を交差させ、少し考えて話す。


「そうね、表現的には近い気もする。でももっと根源的な何かだな。食べる、という行為は自分の中に何かを取り込むというメタファーなのよ。人の不幸を食べるナマズには役目があるの。何かを取り込んで、反芻し、それを別の何かにつくりかえることをナマズは求められている

 彼女は意味ありげに話す。僕は聞く。

「求められている、というのは具体的には誰に求められているんだい?」

 彼女は冷めたコーヒーをすすりながら、静かに、確信をもって答える。

「それは、もちろん神によ。神以外に、いったい誰がそんな使命感をナマズに与えることができると言うの?」


 神、と僕は思った。

 そして僕もカップに入った焦げくさいコーヒーを二口飲んだ。

 話を終えた彼女はとろんとした眼をして、にっこり笑い、首を少し傾げながら僕の顔を覗き込む。

 茶色がかった透明な瞳が僕を捉える。今日の彼女の空想は、彼女の心の奥底にある、かなり深い場所にまで入り込んでいるみたいだ。

 彼女は今、深い森の中にいる。

 僕にはそれが何となくわかった。

 ひょっとしたら昨日の夜に、このまえ二人でこっそり分けたハシシュをしこたまきめこんだのかもしれない。彼女はバニラ・アイスクリームと紙煙草に包んだハシシュが好きなのだ。

 僕は、深夜に良質のハシシュで酩酊しながら、バニラ・アイスクリームを頬張る彼女の姿を想像して、少し羨ましく思った。


 その日、僕たちは大学の講義には出ず、街路樹の立つ、池の畔の小道を二人で散歩しながら帰った。

 彼女は帰り道のときあまり話さなかった。僕は何となく所在なくなって、道の落ち葉の多い部分をわざと選んで、くしゃくしゃと大きな音を立てながら歩いた。

 季節はもう冬に近づいていた。そしてそれは同時に、僕たちのこうした静かな暮らしの終わりが近いことも意味していた。

 いつまでもこんな退屈な時間が続くわけじゃない。

 一見、すべてが軽薄な気がする、この二十二歳の冬のはじまり。

 それでもいつか、この景色を懐かしく思い出す日が来るんだろうか。

 僕は突然、ひどく感傷的な気持ちに揺られ、戸惑っていた。


「ねえ」

 彼女は不意に、僕に話しかけた。僕は返事をする。

「どうしたの?」

「あなたは、自分がどうやって死ぬか、考えたことはある?」

 僕は黙って、少しのあいだ考える。そして話す。

「ある。でもそういうことって、あまり深く考えないようにしてる。そういうことを考えると、僕はいつも自分の身体がしぼんでいくような、奇妙な感覚に襲われるんだ。自分以外のものが大きくなっていって、僕はどんどん小さくなる。不思議の国のアリスみたいに。そしてとても息苦しい気持ちになる。だからあまり考えないように努めてる」

 彼女は僕の顔をみる。そしてにこっと笑う。

「そうね、私もそういうことっていつもはあまり考えない。でもね、今日、人の不幸を食べるナマズの話をあなたにしていて、自分がどうやって死ぬかっていうことが、なぜかとてもはっきりとわかったような気がしたの。自分が死ぬときって、こういうことなのかなって。それはすごくはっきりとしているのよ、うまく言えないんだけど。だから、あなたもひょっとしたら、私みたいに何かはっきりわかったんじゃないかなと思って」


 僕はまた、落ち葉の多いところを選んで歩き出した。落ち葉はどこまでも無抵抗に、僕のスニーカーに踏まれながら音を立てていた。くしゃくしゃ。そして僕は、彼女の話したことについて考えていた。

 自分がどうやって死ぬかということが、とてもはっきりとわかる。

 それって、いったいどういうことなのだろう。

 自分が死ぬときの情景がわかる、ということなのだろうか。

 それとも、自分が死ぬときにどんなことを考えるのかがわかる、ということなのか。

 僕のあたまのなかは疑問でいっぱいになった。

 でも僕は、なぜかそれらの疑問を彼女に詳しく尋ねることはできなかった。「そのようなことはするべきではない」と僕のあたまの中で誰かが叫んでいるような気がした。

 なぜかはわからない。

 でも僕は、彼女のあまりにも確信めいた言葉に少し怖気づいてもいたのだ。

 僕は彼女の顔を見つめる。彼女はまた、きょとんとした顔をして、僕を見つめ返す。そして、何の問題もないわ、という風な表情をして、また無邪気に笑うのだった。

 彼女の家の近くにあるコンビニで、僕はハーゲンダッツのバニラ・アイスクリームを彼女にプレゼントした。

「なんの風の吹き回し?」

 彼女がいたずらっぽく笑ったので、僕はひどく照れくさくなり、

「ナマズよけに玄関の隅にでも供えておけばいいよ」

 と、わけのわからないことを言って、彼女を家の前まで送った。

 さよなら、と言って僕たちは別れた。


 そして、僕は二十二歳から三十三歳になった。

 季節は春で、先週には春の嵐がやってきて、椿や桜の花びらを根こそぎ奪っていってしまった。だんだんと暖かくなり、今日はもう汗ばむくらいの陽気だ。

 三十三歳の僕は、それなりに気の利いた店でコーヒーを飲むようになる。僕は今、ホテルのロビーにあるコーヒーショップで、一杯分の値段で学食が三回は食べられるようなコーヒーを頼み、パソコンを開いて、誰に宛てるでもなく、こんな文章を書いている。

 運ばれてくるコーヒーは奇麗な器に入っていて、スコーンまでついている。そんな都会的で唯物的なコーヒーを飲みながら、僕は彼女のことを考えている。

 僕は彼女のことを考えるたび、大学の近くにある、あの煙たい喫茶店の風景を思い出す。

 二十二歳の僕たちを包んでいた出口のない気だるい空気や、悪趣味な冗談みたいなコーヒーの味や、僕が彼女に抱いていた淡い気持ちを、僕はまるで昨日のことのように思い出すことができる。

 そして、あの日に彼女が僕にした「人の不幸を食べるナマズ」の話が、まるで何かの呪文みたいに、僕のあたまの中に繰り返される。


 僕はいつの間にか、都会のホテルのロビーにあるコーヒーショップではなく、二十二歳の彼女と一緒に過ごした、あの煙たい喫茶店の席に座っている。

 目の前には、紙くずを煮しめたような味のするコーヒーが置いてある。

 そして僕は、彼女が座っていた場所を見つめる。

 しかし、彼女が座っていた場所にはもう、会いたい人の姿はない。

 僕の前には、彼女の替わりに、暑苦しいダブルのスーツを着た人の不幸を食べるナマズが腰を掛けている。

 ナマズは離れた両目で僕の顔を覗き込みながら、五本目のヴァージニア・スリムをふかしている。

『さあ、お前は次に、何を失うんだい?』

 どこかから、聞き覚えのない声がする。

 そのようにして、人の不幸を食べるナマズは、僕の無意識の中に、今も棲み続けている。

あとがき

 この作品は、2012年に書き溜めた短編小説のうちの一編です。

 以前は「人の不幸を食べるナマズ」というタイトルでしたが、「TOKYO PORTRAIT」に掲載するために、タイトルを変更し、後半部分を大幅に加筆しました。

 人と出会い、人と話すとき、いつかこの時間も、戻れない遠い過去になるときが来るんだろうなと思うときってありませんか?

 そして、その感覚は、自分が大切なものだと思えば思うほど強くなり、幸せな時間のはずなのに、なぜかとても哀しくなる——そんなときが、ときおりあります。

 この短編小説には、そうした、ぼんやりとした、漠然とした不安が介在しているように思えます。

 いつか失ってしまうこと、もう失ってしまったこと、これ以上は失いたくないということ。

 この小説を書いた二十七歳の頃の僕は、不幸ではなかったけれど、決して幸せではありませんでした。

 三十三歳になった今、僕はこの短編小説を読み返し、編集をしながら、改めて、自分に問いかけます。

『まだ、人の不幸を食べるナマズは、僕の心のどこかに棲んでいるのか?』と。


『きっと大丈夫』

 どこか遠くから声がします。

 そう、きっと大丈夫なんですよ。

 我々は、大丈夫なのだ。

 ありがとう。

サポートいただけたら、小躍りして喜びます。元気に頑張って書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。いつでも待っています。