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Z世代的「LGBTQ」の捉え方

Instagramでとある投稿が目に止まりました。

「LGBTQという言葉が浸透してきて、自分の女性としての特権を奪われるような怖さがあった」
「なんでも平等になってしまったら、この身は価値あるものではなくなってしまうのかな」

私は正直、この言葉を読んでとても悲しくなりました。好きなインスタグラマーさんだったから余計に。

私は女性としてこの世に生を享け18年間過ごしてきましたが、自分自身を「女性」という枠群みに当てはめる必要性を感じていません。いわゆるノンバイナリーに近いのかな。
というよりかは、女性というラベルを通して自分が見られることがとても窮屈に感じます。
女性である以前に1人の人間として私を見てくれー!って。だからこそ、この言葉に引っかかったのかもしれない。。


そんな私の話は置いておいて、、、
確かに多様性やジェンダーレスなどが謳われる今の世の中ですが、ネガティブなイメージが先行したり、難しい社会問題として敬遠されてしまったりすることも。
そもそも、言葉は知っているけど自分には関係ない他人事だと捉えている人が多い気がします。

私も、セクシュアリティに関わらず皆が当たり前に一緒に暮らせる社会を作るために声を上げて活動している1人ですが、そういった活動家の方々は決して「女性」や「男性」といった自分自身のアイデンティティを大切にしている人々の特権や生き方を否定したり奪おうとしている訳ではないです。

世の中いろんな価値観があることは、当たり前だし素敵なことです。それを否定する社会であってはいけないと私は思います。
でも、自分らしく生きていきたいのに生きられない人たちがいるんです。結婚や就労など他の人には当たり前にできることだって、一部の人々にはできない、そもそも国からの権利が与えられていない。そんな世の中なんです。

それってめちゃくちゃ悲しくないですか?私はまだ18なので結婚なんてまだまだ先の話だと思ってしまっていましたが、先日大阪高裁で実際に「結婚の自由を全ての人に」裁判を見に行って、結婚をめぐる当事者の直面している困難を痛いほど感じました。

今周りに当事者がいなくて、自分には関係ないと思っている人も、もっと周りに目を向けてみてください。
自分を偽って、壁を作って生きている当事者はたくさんいます。大切な友人や家族に権利が与えられないことで苦しんでいる人々だっています。そう考えると、当事者だけの問題、なんて言えないと思います。

だからこそ私は、「どんな価値観があっても選択肢がある社会」であるべきだと思うし、選択肢が広がるようにムーブメントを起こしていきます。
そのためにまずは、自分と同じこれからの社会を作っていく世代に「LGBTQ」や「ジェンダー」というワードを他人事ではなく身近なこととして捉えてもらえるような活動をしていきたい!
いろんな愛の形が広がっている社会の光景が目に馴染んで、これから先これが当たり前なんだと自然に思える世の中を作りたいです。


ということで、note初投稿でした!
これからは考えたことや感じたこと、書き綴っていきたいです。



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