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復元蛍丸と名刀にまつわる伝説&怪談

9月になってもまだまだ暑い日が続いています。あまりの暑さにゲンナリもしてきますが、ポジティブに考えれば怪談シーズンがまだまだ続いていると見ることも可能、というわけで今回の投稿です。

↑は日本刀の主要産地だった「五箇伝」の一角、岐阜県関市にある関市鍛冶伝承館に展示されていた「蛍丸写し」。

関市鍛冶伝承館に展示されている刀剣に関しては前にも投稿したことがあります↓

よかったらご一読ください。

蛍丸。鎌倉時代に活躍した「来派」の刀匠、来國俊の銘が入っています。かつて阿蘇大宮司家の家宝、そしてこの一家が代々宮司を勤めている熊本県の阿蘇神社の社宝でもあった大太刀。古来より名刀として名高かったらしく、名前の由来になった伝説も持っています。

しかも歴史上重要な戦いと数えることもできるでしょう、足利尊氏の人生最大のピンチともいわれる多々良浜の戦いと密接に関わる伝説です。以下のような感じで↓

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世は南北朝の時代、北畠顕家、楠木正成、新田義貞らによる南朝方の攻勢に敗れて京都を失い、九州まで落ち延びてきた足利尊氏。彼は筑前の地で少弐氏や宗像大宮司家の協力を得つつ態勢の立て直しを図ったがそこへ九州の雄、菊池氏の菊池武敏が襲いかかる。

両軍は多々良浜にて激突、戦力面で圧倒的な劣勢にあった足利方は一時足利直義が討ち死にを覚悟するほどの状況に追い込まれたもののその後挽回、見事な大逆転勝利を収める。

一方大攻勢から一転して敗走の立場となった菊池方には阿蘇大宮司家の一族、阿蘇惟直、惟成、惟澄の兄弟がおり、彼等の大奮戦によって菊池武敏は窮地を脱することに成功。しかし3兄弟のうち惟直、惟成は戦いの最中に討死、ひとり惟澄だけが敵を震撼させ味方を感心させる戦いぶりを続ける。

しかし激戦を続けているうちに彼の愛刀は次第に刃こぼれを起こして切れ味が悪化していく。そんな様子を見ながら惟澄は無念の思いを抱えつつ、

「これほど奮戦しながらにっくき足利直義を討ち果たせぬのはなんとも無念、阿蘇大明神よ、いまひとたびこの刀に切れ味をよみがえらせ、わが恨みを晴らせ給え」

と祈りを捧げた。するとその夜、彼は不思議な夢を見た。無数の蛍が抜き身のまま枕元に置いていた刀に取りつき、刃こぼれを起こした部分に集まっては嘗めていく光景。

不思議な夢を見たものだと目を覚ますと不思議なことに刀が鞘に収まっている。不審に思った惟澄が抜き放ってみるとなんと刃こぼれは痕跡を残すこともなく消え、もとの切れ味を取り戻していたのだった。

これを神徳と見た惟澄はますます意気軒昂、奮戦を続けたが、いかんせん衆寡敵せず、足利方を倒すこと叶わなかった。その後彼はこの不思議な刀を阿蘇神社に奉納したのだった。

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伝説によく見られるように細かい部分に別バージョンもあって欠けた刃の破片が蛍のように飛び交いながらもとの位置に戻って切れ味を取り戻した、なんてバージョンもあるそうです。こっちのほうがカッコいいようにも思えますが、そもそも欠けた部分は戦場で失われてしまっているはずなのでちょっと現実味に欠けますね。(伝説に現実味を求めるのもなんですが😆)

この伝説の宝刀、第二次大戦前までは存在していたのですが、戦後のどさくさで消息不明に。アメリカ軍のよる日本刀の没収(いわゆる「昭和の刀狩り」)で失われてしまった、とも(諸説あり。ただアメリカ軍の没収が何らかの形で関わっているらしい)。

この昭和の刀狩りでは膨大な数の刀剣が失われたわけで…この蛍丸もその被害にあってしまったということなのでしょう。

戦争にはこうした面がついてまわるものですし、投降した兵士に対するアメリカ軍の扱いは旧日本軍のそれよりもはるかに寛容だったことを考えれば文句を言うつもりはありませんが...ただ愚痴はこぼしたくなります。

没収された刀剣が現在アメリカの博物館や愛好家に大事に保管されているならともかく、そのほとんどが所在不明になっているわけで...「ちゃんと扱ってくれよ」とこぼさざるを得ません。

そんな悲劇の名刀と伝説を現代に蘇らせよう!と立ち上がったのか関市の鍛冶職人たち。蛍丸を復元しようというわけでクラウドファンディングで資金集めを行うやたちまち目標額の数倍もの金額を集めることに成功。そして3振を作刀、うち1振は「真打」として阿蘇神社に奉納、残り2振は関市鍛冶伝承館と最高額の出資者のもとに贈られました。

なのでこの画像は関市鍛冶伝承館にある「影打」のひと振り。

いかがでしょうか?

わたしはこの復元刀を見てちょっと思いました。「八幡大菩薩」の名を刻んだ刀で源氏の棟梁を倒そうというのはちょっと無理があったんじゃないのか?と😂。

阿蘇大宮司家の一族が八幡大菩薩を刻んだ刀を使う、というシチュエーションもかつての日本の混沌とした信仰の状況を伝えているようで面白いですね。

さらにこの多々良浜の戦いを巡る状況を見ると「南朝VS北朝」だけでなく「九州の在地勢力間の争い」、さらには「阿蘇大宮司VS宗像大宮司」の宗教対決といった複雑な様相が存在していたことがうかがえると思います。

戦力的に圧倒的に有利にあったとされる菊池方(南朝方)があまりうまく機能せずに負けてしまったのもこうした現地の複雑な事情があったのでしょうか。

なお、今回紹介した蛍丸の伝説は↓の本を参考にしたものです。

「怪談と名刀」 本堂平四郎・著 東雅夫・編 双葉文庫

オリジナルが出版されたのが1935年、それを編集者が収録されていた話を抜粋したうえで現代人でも読みやすい形にしたものです。

タイトル通り、日本刀にまつわる怪談・伝説をひたすら紹介している本です。そのうえで各話の末尾に登場する日本刀やその作者の紹介が付いている体裁。

各話のタイトルも大時代的というか、「鬼女狂恋」「怪猫邪恋」「妖異大老婆」「逆襲の大河童」など見ただけで「どんな話よ?」と読みたくなってしまうものがズラ~り。

刀剣ブームの影響もあって刀剣絡みの書籍が続々と出版されていますが、その多くはムック本の類、こうした名刀にまつわる伝説や怪談を詳しく紹介するなど文学方面からアプローチした書籍はまだほとんどないと思うので価値は高いかと。

なお、元が古い本なので日本刀や刀匠についての説明が現在の定説とは少々異なる点があるとのこと、ただ物語を楽しむうえでは何の問題もなし。また現代人にはちょっと文体が読みにくい面もありますが、決して難しい内容ではありません。日本刀が好きな人、伝説や怪談が好きな人にとってはたまらない一冊、楽しい時間を過ごせる一冊になると思います。

あと戦前の著作ということもあって足利尊氏が逆賊扱い(この蛍丸の話でも「梟雄」なんて呼ばれている)されているのも当時の時代背景と歴史上の人物の評価の変遷を知る上でなかなか面白いです。

ちなみに紹介されている伝説&怪談に登場する日本刀のいくつかはこの本が出版された当時の段階で所在不明。時の流れのなかでいかに多くの名刀が失われてきたかをうかがわせます。

刀剣ブームと言われる昨今ですが、その愛着の対象はもっぱら現在まで残された刀です(しばしば擬人化されて)。しかし現存する歴史的な刀剣は「名刀」のうちのごく一部に過ぎないことになります。

例えばお城が好きな人は現存天守だけでなく復元天守や復興天守、模擬天守なども愛好し、また各地の城址を訪れてわずかな痕跡を探りながら在りし日を思い、ロマンに浸って楽しみます。

ならば日本刀でも同じような楽しみ方はできないか?歴史の過程で失われてしまった名刀の魅力を楽しむことはできないか?

この本はそんな「古くて新しい」日本刀の楽しみ方へのガイドブックにもなってくれると思います。


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