マガジンのカバー画像

【2019シーズン】ヤクルトスワローズ観戦記

163
ヤクルト観戦記、2019年シーズンはこちらにまとめて入れていきます。(オープン戦含む) 勝った日も、負けた日も、試合のある日は毎日更新しています。
運営しているクリエイター

#巨人戦

いつだってこの瞬間が、始まりだ。【9/28巨人戦◯】

「投壊」と言われ、ものすごい防御率と、ものすごい総失点数をたたき出し、毎試合のように被安打は2桁になり、接戦をことごとく落とし、サヨナラ負けを山のように見た今季、最終戦で迎えた試合はどんな試合だったかというと。 2-1のサヨナラ勝ちであった。 まじか。 やればできるんじゃないか。(と、いうのも今季何回も言った。)私は子どもたちと飛び上がって喜んだ。ケリーがサヨナラのヒットを打った瞬間、今季のつらい試合は一瞬にして全て吹っ飛んだ。最後に帳尻を合わせてくるこの感じ(いや、冷

神宮のスリーベースに心踊った話 【9/23巨人戦●】

この二日間で私は、なんと、計三回のスリーベースを見た。神宮で、である。スリーベースが出づらいと言われている神宮である。 もちろん、当然のことながら、スリーベースが出た瞬間私は、はいサイクルいこう!!と、叫ぶ。今日ももちろん叫んだ。なんせてっぱちは、1回裏にタイムリースリーベースを打ったのである。これはサイクルを目指すしかない。 相手は優勝が決定している常勝軍団である。CSの起用を見据えた作戦を練っている途中である。一方こちらは、最下位が決定したチームである。楽しみといえば

「さよなら」の理想みたいなそんな雨と一日に【9/22巨人戦◯】

たてさんのスピーチで名前を呼ばれたカツオさんは、涙を流した。 去りゆく人はもちろん、胸の中にいろんな思いを抱えている。だけど去ると決めたのは本人だから、ある程度清々しい気持ちもそこにはあるだろう。 だけど残された人は違う。それは否応無しにやってきたさよならで、受け止めるには時間がかかる。自分がそこに残ることへの不安を感じることもあるだろう。 本当に寂しいのは、去る人ではなく残された人なのかもしれない。 だから、残されたカツオさんが1勝をつかみ、エイオキが2本のタイムリ

それでも小川さんとみやさまが率いてくれるヤクルトが好きだった【9/7巨人戦●】

CS出場の可能性が消滅したこの試合(残ってたのかよ!という話ではあるが)、一夜明けるといろんな人の去就が発表になっていた。 ある程度覚悟していたことかもしれない。もちろん、仕方がないことかもしれない。「情」で球団運営ができるわけでもない。そういう世界ではない。 それはわかりきった上でなお、人の感情というのは複雑だ。 寂しさややるせなさは、理性で抑えられるものではない。 監督とヘッドコーチが辞任を発表するきっかけとなった試合は、6-10で負けるという、今年のヤクルトの象

若いピッチャーを「ライバル」だというカツオさんが、チームを成長させていく【9/6巨人戦◯】

2月の浦添で、ブルペンで投げるカツオさんを見ていた。隣では、高梨くん、清水くん、じゅりが投げていた。一足先に投げ終わったカツオさんが、その三人の後ろを通って帰って行った。 「みんなライバルですから」とカツオさんは言う。自分の息子さんに近いくらいの選手たちを、ライバルだ、と。若い選手たちの隣で投げながら、自分の年齢を思うこともきっとあるだろう。でも、そんな若い選手たちを「ライバル」と呼んで同じ場所に立つカツオさんを、心からかっこいいなと思う。 若い選手の隣で投げながら、思う

たいしは四球を選び、一塁まで走る【8/11巨人戦●】

こちらの得点圏のランナーは絶対にホームにはかえれないけれど、相手のランナーもれなく豪快なホームランで一斉に返してあげる。もうその図をひたすら見続けていると、何らかの神経は麻痺してくるのである。これ、今季何度か経験している。 具体的に言うと、6回あたりの攻撃があっさり終わったあたりから、特にその得失点差の数字には何の意味をも感じなくなる。勝敗?そんなもの、人生に何の意味ももたらさない。ヤクルトが負けたところで死ぬわけじゃない。 これを一種の悟りの境地と呼ぶ。ブッダはたぶんヤ

双眼鏡でほしくんを眺める、むすめを見ながら。【8/10巨人戦●】

「明日の先発、誰でしょう!」むすめを迎えに行ったとき、真っ先にそう聞くと、むすめはちょっと緊張した顔をして、「ほしくん・・・?」と、言った。「ぴんぽーん!」と言って、私とむすめは小さくハイタッチをした。 むすめは、しばらくしまっていた24の背番号が入ったクルーユニフォームを出してきて、自分のバッグに入れた。お気に入りのレディースユニフォームじゃなくて、そっちを持っていくことにしたらしい。 オットと息子はサッカーの合宿に出かけ、むすめと私は二人でドームへいくことになっていた

「答え」はないのに「結果」はひとつ。でもそれは、「結末」じゃない【8/9巨人戦●】

答えのないものを好きになってしまったよなあ、と、思う。でも、答えがないのに、結果はひとつなのだ。それは時に、とても残酷だ。 答えがあるのなら、それに向かって努力すればいい。例えばそれが遠回りでも、いつか答えには必ずたどり着く。それは「答え」だから。数学であればどれだけ難問であっても、答えはひとつだ。 だけど野球において、答えなんてものはきっと存在しない。投手交代のタイミングも、守備固めのタイミングも、もちろんスタメンも、ひとつのエラーもひとつの失点も、そのどれが「間違い」

宮古島の居酒屋では、ヤクルトの試合を流していた。【7/25巨人戦○】

お気に入りの居酒屋に着いたら、なんとテレビで「巨人vsヤクルト」の試合を流していた。 「ちょっと!!ヤクルトやってるんやけど!!」と、私は少なからずテンションが上がった。いやまあきっと、お店の誰かが巨人ファンなのだろうけれど。つまりそこで流されているのは多分、「ヤクルトの試合」ではなく「巨人の試合」だろうけど。でもそんなもの関係ない。私にとってその島の居酒屋で流されているのは「ヤクルトの試合」だ。 オリオンの瓶ビールとさんぴんハイを飲み、ソーメンチャンプルとアーサーてんぷ

宮古島の小さなバーと、カツオさんの167勝と。【7/24巨人戦○】

そのバーは長いあいだずっと、私がこの島に来る意味みたいなものだった。 冬の週末三連休のチケットを取ってふらっとやってきて、昼間はぼーっと海を眺めてはひたすら本を読み、夕方から真夜中までその「アルケミスト」というバーで飲み続けた。 母が亡くなった時も、結婚が決まった時も、妊娠した時も、私はふらっとその小さな島の小さなバーへ行った。バーテンのひでさんにぽつぽつとそのことを話したり、話さなかったりした。なんだか自分の人生にずっと、その場所があり続ける気がしていた。 だけどどん

勝つことだってある、という希望を胸に【7/17巨人戦○】

ツーランを打たれた山田大樹さんを、ベンチのみんなが拍手で迎え入れた。監督とコーチはじっと、グラウンドの方を見ている。 元サラリーマンとしてはなんとなく胃がきゅっとしながら、同僚のあたたかさにほっとした。みんないつだって、必死で前を向こうとしているのだ。それは16連敗中のベンチからでだって感じたことだ。 待ちわびた夏の日差しが、少しだけ注いでいた。私の思う「夏!」にはまだほど遠いのだけれど(そしてその季節はあまりに短いと知ってしまったのだけど)それでも夏の始まりの空気をよう

あの日11号館で「愚直であれ」と学んだように【7/16巨人戦●】

それは結局、恋と同じなのだ。 基本的にはうまくいかないことも、求めれば求めるほど指の間をすりぬけていくことも、本当の気持ちは口には出せないことも。 報われぬ恋なのだと知っている。どれだけ笑っても、例えば同じ時間を過ごしても、その恋が、求めるままの結末を迎えることは決してない。 だけど、それは私の人生にかすかな痛みを伴いながら、ささやかな彩りをもたらす。 誰かにとってそれは、生きているなぁ、と感じられるものかもしれない。それはほぼ痛みで形作られたものだけれど、でも雨に打

良くも悪くもそれは想像をこえていくから、ドラマになるのだ【7/15巨人戦●】

「ああこれはだめだ絶対取れられる・・・」と、いう場面を結構何度か迎えた。ランナーを背負ったうめちゃん、回またぎのうめちゃん、ヒットを許したこんちゃん…。でもその私が恐れた危機は、意外なほどにあっさりと乗り切った。 そのたびに私は「うんうん、いけると思った」と、手のひらを返した。 だけど回またぎの五十嵐さん、は、その嫌な予感がしっかり的中してしまった。そのエラーと2ランは、とてもとても痛い3失点だった。息も絶え絶えになんとか守ってきたリードは、そこでがらがらと崩れていった。

たいしのヒットように、紙切れ一枚の向こう側にある「うまくいく時」が来るまで【6/30 巨人戦●】

うまくいく時と、いかない時の、その差はほんの小さなものだ。その間には、薄い薄い、一枚の紙切れしかはさまれていないのかもしれない。でも、うまくいくときはいくし、いかないときはいかない。 解説の真中さんはたいしの打席で、「(廣岡本人は)アベレージは気にしなくていいですからね」と言った。 そうだよな、と、私はあらためて思う。そこに映し出されるのは、1割に満たない打率かもしれない。だけどそれは、たいしの全てを示す数字じゃない。数字は嘘をつかないけれど、でも数字がすべてを表すわけじ