見出し画像

外野のぐっちと谷繁語録と野球の公平さと【6/4練習試合 中日戦△】

毎日5時台に走り、6時半頃に走り終え、こどもたちと学校の準備をし、バタバタ送り出し、家事を済ませ、8時半頃から仕事を始める。できれば午前中に終えられないだろうかと思うわけだけれどもまあ、さすがにそれはちょっと難しい。で、iPadで試合を流しながら、ぽつぽつとやることになる。

そういうバタバタの中で、小さい画面に映る「センターぐっち」を見ると、もうそれだけでちょっと泣きたくなる。その姿が新鮮に映るというその事実で、ファーストの守備と外野の守備では、動きが全く違うのだな、という当たり前のことを、改めて思い知る。

この両方をこなすというのはやっぱり、それなりの器用さがないとできない。そしてそれだけじゃなくて、プライドを含めた「切り替え」だったり、貪欲さだったり、そういうものが必要だ。「ユーティリティー」とは言っても、そんなに軽くひょいっとできるものではない。

だからこそ、外野にいるぐっちを見るとやっぱりぐっとくる。見慣れたはずのその姿は、いつの間にかちょっと貴重なものになっているのだ。(まあでも、何にしたってかっこいいのだけれど。)


誰もいないスタンドをバックに、ボールが飛ぶ。カラスの鳴き声が聞こえる。…青山とは思えない。でもまあ、たまにはそういうのもいいじゃないか、と、少し思う。牧歌的な野球、みたいなものがたまにはあってもいいかもしれない。まあそもそも私は、なにごともそういうのが好きだ。

ところで全く関係ないのだが、オープン戦や練習試合の時期に、「ベンチで選手名鑑を読む監督(ときどき選手)」というのを見るのがすごく好きだ。あれ、なんとも言えず親近感を感じる。「…だれ!?」と、選手名鑑を手にする息子と一緒じゃないか。私は球場で見る野球が何より好きだけれど、中継で見るおもしろさはこういうところにあるよな、と思う。あとは谷繁語録を聞くこと…

てっぱちが打って、たいしが打つ。打つべき人と、打ってほしい人が打つ。それぞれの夢を、しっかりとのせて。

その夢を、調子がいい時も悪い時も、何とか必死で見せ続けてくれる「スター」と、調子がいい時は希望をしっかり見せつけ、悪い時はファンとチームメイトからまでも心配される「弟分」と。いろんな選手がいて、チームは成り立っている。

野球はそこに立てば、年齢も、国籍も、肌の色も、もちろん既婚も未婚も、ぜんぶフラットになる。そこではみんな同じ場所に立ち、同じ条件で戦っていく。

世界は基本的には不公平だけれど、でもこのグランドにおいてその世界は、「公平であろう」とする場になっている。あなたの肌の色が違うから、と、試合に出られないということは起こらない。

そしてそのために、戦い続けてきた人が、いる。肌の色が違っても、そこに立てるように戦った人がいる。そしてそれを受け入れてきた人たちがいる。(『42 世界を変えた男』という映画がとてもおもしろいです。)

今年も野球がそこで見られることを、そして、あらゆる国籍の人たちと一緒に戦えることを、とにかくうれしく思います。そして世界の不寛容さがどうか少しずつ(でも迅速に)緩和されていきますように。子どもたちの生きる世界が、そういう世界でありますように。


ありがとうございます…! いただいたサポートは、ヤクルトスワローズへのお布施になります! いつも読んでいただき、ありがとうございます!