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「まだ上に行ける」、その可能性を信じて 【11/17練習試合 松山フェニックス○】

1本のヒットに、心が躍る。その感覚を、久々に思い出した。だけどその1本の裏には、数え切れないほどの努力があるのだ。その一瞬を生み出すまでには、長い長い時間がある。

「プロだったんだねえ…」と、オットがしみじみとつぶやく。「プロだったようだ…」と、私は答える。

社会人チーム「松山フェニックス」を相手に、ヤクルトは怒涛の攻撃を仕掛けていた。

終わってみれば、15-1。近年稀に見る快勝である。さすがに、社会人チーム相手には、快勝するらしい。そう、プロなのだ。ペナント中、なんじゃこの負け方は!!!六大学の方が強いんじゃないの!!!と、50回くらい叫んだとて、やっぱりプロなのだ。


そのプロ野球選手になるくらいなのだから、誰もが、ものすごい才能を持って生まれてきたのだろう。それに加えて、努力し続けてきたのだろう。

だけどそうしてようやくプロ野球選手になれたとしても(なれるのなんて、一握りなのだ)、待っているのはまた、厳しい世界だ。

最初から、ドラフトという「ランク付け」された世界でそれは始まる。もちろんその「ランク」は後からいかようにもひっくり返るわけだけれど、とにもかくにも、ドラフト順位も契約金も何もかも、如実に明示された世界からそれは始まる。

プロというのはもしかすると、持って生まれた才能を、潰すことなく努力し続けられる人のことなのかもしれないな、と、なんとなく思う。


私はすっかりヤクルトというチームを応援することに慣れきってしまっているので、たまに15-1の試合なんかを見せられると、つい、相手チームのことを考えてしまう。

社会人野球で、松山という地で必死でプレーする選手たち。きっと、ヤクルトスワローズという、プロのチームと対戦することになって、緊張だってしただろうと思う。ミスもあったしエラーもあった。ピッチャーは打たれに打たれた。(本当にどこかのヤクルトのようだ。)

だけど最後まで、投げ続け、打ち続け、走り続けた。(一番打者が、とても足が速かった。)

彼らもまた、努力し続けるのだろう。きっと、松山という地元の思いや、それぞれの野球への思いを、背負いながら。


それぞれの場所に、それぞれのドラマがある。ドラマは一瞬の間だけ交錯し、また、別の道に別れていく。交錯した瞬間のドラマを、抱えながら。

時にプロとの大きな差を感じながら、優勝チームとの差を感じながら、日本シリーズで敗れた相手との差を感じながら。

でも「まだ上がいる」というその事実は、ある意味では「伸びしろ」だ。もっともっと、上に行けるというその、可能性を示すものだ。

ドラフトの順位も、例えば一位で選ばれた人が思い通りの結果を残せなかったシーズンも、育成でのスタートも、怪我で出られなかったシーズンも、16連敗も、最下位という順位も、とにかく、「まだ上に行ける」という結果だ。

それぞれの思いを抱えながら過ごすオフシーズンが、実り多いものでありますように。目の前の試合を見ながらまた、私は思う。


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