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ポテサラと野球がある、「ふつう」の幸せ 【6/5練習試合 巨人戦△】

ポテトサラダにはまっている。

「いい居酒屋にはおいしいポテサラがある」が座右の銘であるが(例えば月島の岸田屋のポテトサラダは言うまでもなくおいしい)、そんなえらそうなことを言うならばまずは自分で作ろう、と、思い立ったわけである。

(…というかまあ本当のところは仕事でポテサラを作る機会があってそれからなぜかあらゆるポテサラを作っている)

そんなわけで今日は、arikoさんの新刊より、いぶりがっことスモークチーズとクリームチーズのポテサラを、朝の7時から作って食べた。

もうおいしくないわけがないよねこんなもの。この季節のポテサラは、すべて新じゃがで作れてしまうというところもとても良い。新じゃが、おいしい。(あと心なしかじゃがいもより扱いがラク)

さて、ポテサラと、土曜なのでちょっと浮かれて一杯のワインをいただき(良い子はまねしちゃいけない)、昨日の試合を振り返っている。

思うのだけれど、なにごとも、こちらの気持ちの持ちようで物事の受け止め方というのは変わってくる。つまり、原稿におわれながら目の隅で追っていた試合というのは「なんだよ最後に同点に追いつかれたじゃないか!」という試合なわけだけれど、朝6時に起き(これは平日より遅い)、ランニングもせず、ソファで『コレラ時代の愛』を少し読み(めちゃくちゃ重い本である。内容がじゃない。本自体があほみたいに重い。単行本ってやつは本当に重い。さすが3000円もする本である…)、そろそろ動くかな、と、腰を上げ、新じゃがをレンジでチンし、その間にいぶりがっことスモークチーズを刻み、チンした新じゃがを皮ごとフォークでつぶし…、なんてことをワイン片手にやって、ポテサラとライ麦パンをほおばりながら思い返す試合というのは、てっぱちが素晴らしい走塁をし(やる気がある山田哲人、というのはこれはもう良い居酒屋のポテサラに匹敵するくらい素晴らしいものだ)、コータローがゴールデングラブな守備を見せ、エイオキが若者に負けないホームランを打つ、そういう素晴らしい試合ということになる。

物事の良き面に注目する、というのはアドラーが唱えた心持ちの基本ですが、私はそれはまったくもって本当に、大切なことだな、と思っている。

もちろん「省みる」ことはとても大切なことだけれど、そうは言ってもどんな中にも、どんな試合にも、良い面はあるはずなのだ。それに逃げることは(逃げ続けることは)できないけれど、その良き面が基本的なことであればあるほど、それを忘れちゃいけないのだよな、と思う。

エイオキは元気だし、てっぱちはやる気があるし、コータローは頑張ってるし、村上くんは検査で陰性だったし(本当によかった)、ポテサラはおいしいし、そして何よりも、野球を見ることができる。それはとてもとても、素晴らしいことだ。

いつだって、本当に素晴らしい瞬間というのは後から振り返って気づくものだ。しあわせの最中に、「しあわせだ」と思えることはほとんどない。でもできるだけ、基本的な「良き面」のことは、その瞬間にもしっかり意識していよう、と思う。

野球があること。仕事ができること。毎朝走れること。子どもたちが元気に過ごしてくれること。昼寝するねこを眺めていられること。おいしいポテサラを食べられること。

そういう「普通」に囲まれて、日々は進んでゆく。そして、誰かにとっての「普通」を、いたわっていたいと思う。

どうか12球団そろってみんな元気に、開幕を迎えられますように。


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