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【10/14最終戦・阪神戦◯】山田哲人というキャプテン

山田哲人という人がいる。

ご存知でしょうか。華々しい成績を持ち、年になんおくえんというお金を稼ぎ、でもなんだかちょっと頼りなさそうでほっとけなくて私服のセンスが絶妙で、でもやっぱりものすごくかっこいい、ヤクルトスワローズのキャプテンです。

昨日までよく晴れていたのがうそのように、神宮は雨模様だった。

追加試合となった最終戦のこの日、学校帰りの息子と神宮で待ち合わせをし、久々にむすめと息子と三人で観戦した。元々予定されていた最終戦は予定が合わなくていけなかったけれど、この日であれば、(むすめの習い事の日は変更してもらったけれど)なんとか予定を合わせて行くことができたのだ。

しょっぱなから3点を奪われ、「そうだよなあ、今年の阪神はほんと強かったもんなあ、今年を象徴するような試合だなあ」と、私は思う。なんでもすぐ象徴しがちなのはわが家の特徴である。つい象徴する。

だけどその裏、てっぱちはソロホームランを放った。そう、ここで「ソロ」なところが今年のヤクルトを象徴しているようだけれども(なんでもすぐ象徴する)、だけどそれでも、いつだって、てっぱちのホームランは特別なのだ。ビールがおいしいねえ。と、私はにこにこと言った。

てっぱちのホームランは、なんでちょっと、特別なのだろう。

いつの頃からか、てっぱちが打つとやけにうれしいなと思うようになった。

トリプルスリーを何度も達成して、それでもチームは最下位ばかりで、その中でFA権を取得し、シーズン終わりに「これでてっぱちのヤクルトのユニフォームを見るのは最後かもしれない…」と泣きそうになり、でもその年のオフ、てっぱちはヤクルトに残留することを表明し、そればかりか、自らキャプテンを志願してくれた。

なにか、よくできた映画を見ているのかと私は思った。いやしかし、ここで終わってはよくわからない映画だよな、と、思い直す。映画というのはやっぱり、ここから優勝する、くらいのインパクトがないと。と言ってもそんなことは、いくらなんでも無理だと思った。てっぱちが残留し、キャプテンに名乗り出てくれたからと言って、最下位から急に、優勝しちゃうなんて、さすがにそんなことはありえない。それはいくらなんでも、「陳腐な感動物語」みたいじゃないか。

ところがヤクルトは、本当に、それをやってのけた。そんなまさかねえ、と、思っているうちに、なんだかだんだんと勝ち星を積み重ねていき、きづけば首位に立ち、私は生まれて初めて、マジックというものを目にした。そして優勝どころか、日本一にまで、なってしまった。「陳腐な感動物語」は、現実に起こるとまったくもって陳腐ではなくなる。当たり前である。

一方、この映画の主役だったてっぱちは、その年からずっと、「絶好調」というわけではなかった。打率はなかなか上がらず、ホームランや盗塁の数も減った。日本一に導く一番の立役者となり、ヒーローとなった…と、一概に言えるわけでは、なかったのだ。

チームの好調とは裏腹に、そして台頭してきたニューヒーローのむねちゃんが華々しい成績を残す裏で、てっぱちは苦しんでいた。自ら志願したキャプテンマークをつけながら、もがいているように見えた。

でも、たぶんそれくらいからだと思う。てっぱちの1本は、なんだか深く、私の心に響くようになった。その1本は、特別な重みを持つようになった。打つたびに、私の気持ちも、球場の雰囲気も、変わるような気がした。何かを鼓舞するような、それは例えばベテランが打つ1本のような、深みのある1本に思えた。

それがてっぱちなのだ、と、思う。それが山田哲人なのだ。私はたぶん、そういう、「ヒーロー」を見ているのだ、と思う。絵に描いたようなヒーローというわけではない。だからといって悲劇のヒーローでもない。なんだかちょっと不器用で、たよりがいがあるのかないのかよくわからなくて、後輩の前で涙も見せちゃって、だけどしっかり「助けてください」と言える、ヤクルトのヒーローだ。

てっぱちのホームランは、むねちゃんのホームランとはまた違う形で、私の胸に響く。それは少しセンチメンタルで、いちいち涙腺がゆるみそうになる、謎の感慨をもたらすホームランである。それはたぶん、こんなにも華々しい成績とキャリアをもつ一人の選手に、それでもどこか、親近感を覚えてしまうからなのかもしれない。かっこいいところもかっこわるいところもひっくるめて見せてくれる、悩めるキャプテンの姿が、時に身近な誰かと重なるからなのかもしれない。

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