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「さよなら」の理想みたいなそんな雨と一日に【9/22巨人戦◯】

たてさんのスピーチで名前を呼ばれたカツオさんは、涙を流した。

去りゆく人はもちろん、胸の中にいろんな思いを抱えている。だけど去ると決めたのは本人だから、ある程度清々しい気持ちもそこにはあるだろう。

だけど残された人は違う。それは否応無しにやってきたさよならで、受け止めるには時間がかかる。自分がそこに残ることへの不安を感じることもあるだろう。

本当に寂しいのは、去る人ではなく残された人なのかもしれない。

だから、残されたカツオさんが1勝をつかみ、エイオキが2本のタイムリーを打ち、3打点をあげたところに、たてさんを見送り、ハタケを見送り、みわちゃんを見送る、先輩二人のいろんな気持ちが見えた気がした。

がんばれ、がんばれ、と私は思う。去る人も、残る人も、みんな。

雨はいつまでも降り続き、ゲームはコールドになった。昨日の余韻がまだ続いているように思える、そんなお天気だった。

雨が好きな人なんて、そういない。雨に打たれて野球を見るよりは、そりゃ天気の良い日に野球を見たい。

でも、「やっかい者」の雨を、みわちゃんは最高のエンターテインメントにした。寂しさで押しつぶされそうだったファンを、引退セレモニーという「お別れの場」で笑顔にした。

引退の挨拶で、「では、行ってきます!」と言ったみわちゃんは、そのまま一塁に向かって走り出し、雨の中ヘッスラをした。

お天気も、試合展開も、全部がみわちゃんのために準備されたような一日だった。そして小川さんは最後に言った。

「今日は三輪に尽きる。みんなで盛り上げてくれてよかった。数少ない職人で、全選手が見習うべき。チームに必要な選手だった」

「チームに必要な選手だった」本当に、本当にその通りだ。それはユニフォームを脱ぐ誰かにとって、何よりの賞賛なんじゃないかと思う。

例えばてっぱちには、200本分のホームランのドラマと見所がある。いつかてっぱちがそこを去る時、思い浮かぶ試合は、人によってきっとさまざまだ。それはもちろん素晴らしく、誰しもにできることじゃない功績だ。

だけどみわちゃんには、きっと多くのファンにとって「共通の」印象深いシーンがある。それもまた、とても素晴らしいことだよな、と私は思う。みんなで思い出すことのできるシーンが一つでもあるというのは、それはファンのにとっても、選手自身の人生にとっても、素敵な彩りになると思うから。

いろんな選手がいる。いろんな野球人生がある。エースと呼ばれるピッチャーがいて、タイトルをたくさん取るホームランバッターがいる。一方で決して華やかなプレーはなくても、ここぞでいぶし銀のプレーを見せてくれる選手がいて、堅実にバントを決める選手がいる。

引退試合で涙を誘う選手がいて、そして笑いを呼び込む選手がいる。

みんなそれぞれでいいんだよな、と思う。いろんな人がいていい。みんながホームランバッターである必要はない。全員がスーパーマンでなくたっていい。そしてさよならの形も、いろいろあっていい。

積み重ねたその一つ一つのプレーが、最後に奇跡みたいな試合を、呼び込むのかもしれない。みわちゃんの努力は、そして苦しみは、最後こんな形で、にこにこと笑ったみんなの共通の記憶になって残っていく。

いつか必ずさよならの瞬間が来るのなら、それならば出来るだけ、その瞬間だって笑っていたいと、私は思う。

「さよなら」の理想みたいな、そんな一日だった。

セレモニーの間、ずっとずっと声を出して笑っていたのに、なぜか終わった時にハンカチは濡れていた。

好きになったこのチームに、みわちゃんがいてくれてよかった。必要な、とっても必要な、選手だった。ありがとうみわちゃん。いつもいつも、たくさん笑って応援させてくれて、どうもありがとう。

にこにこ笑っていた素敵な奥さまとかわいいかわいい娘ちゃんたちとの新しい毎日がまた、笑顔いっぱいの素晴らしいものになりますように。


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