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#88 ダイアン・バーチ『フライング・オン・エイブラハム』

鈴木さんへ
 カントリー・ミュージックの男性シンガー・ソングライター、たしかにいいですよね。ノア・カーンもカントリーだけれど、ロックの要素もあって、昔の様式美とは異なり、ロックやポップ、R&Bのファンも親しめる音楽になっていると思います。一時、90年代とかかな、美人の女性カントリー・シンガーが日本でも注目されたけれど、今は圧倒的に男性の時代。以前構成を担当したラジオ番組の出演者が30代の女性シンガー・ソングライターだったんだけれども、彼女もいつもカントリーの男性シンガーの歌をいつも自宅で聴いていると言っていましたね。
 ところで、ビヨンセの「ii」という表記、他の曲も全部「i」が2つです。これは、前作『ルネッサンス』からの3部作になる企画の2作目、仮のタイトルも「Act II」だったんですよね。その延長でのこだわり「ii」らしいです。
 さて、今週紹介するのはダイアン・バーチです。約10年ぶりの新作、この間日本のレコード会社を探していて、一度会ったことがありました。それから何年も経っていますが、ようやく素晴らしい作品が届いて嬉しい気持ちでいっぱいになっています。

ダイアン・バーチ『Flying On Abraham』

 そんな経緯もあって、ダイアン・バーチは、私の中で依怙贔屓しているアーティストのひとりだけれど、その感情を超えて、アルバム全体から醸し出される70年代シンガー・ソングライターの匂いが大好き。生楽器の演奏があって、キャロル・キングを彷彿させるアルト・ヴォイスで歌う。そこにジャズやソウル、ポップ、カントリーなどがごく自然に絡み合っている上質な音楽。このナチュラル感も惹かれるポイントのひとつだ。
 2009年にアルバム『バイブル・ベルト』でデビューした時、期待の新人として注目された。当時からリッキー・リー・ジョーンズら女性シンガー・ソングライターの先駆者と比較されることが多かったけれど、83年生まれの彼女は、彼女たちのことを知らなかった。幼少期に伝道師の父に連れられて、アフリカやオーストラリアを転々とした経験を持つ。その多彩な経験に育まれた感性が、少なからず彼女のジャンルにしばられない音楽作りに影響を与えていると思う。
 この新作も”ナチュラル感”という一貫性はあるものの、1曲ごとにサウンドは異なる。③『Moto Moon』ではスペーシーなサウンドからまるで宇宙人のような声が微かに聴こえてくるし、④『Shade』のイントロは、フランス映画のサントラのように軽妙でエレガントだし。また、歌詞もいろいろで、①『Wind Machine』では「ユリシーズを読んでいるけれど、理解できない」と歌う。あえて比喩や曖昧な言葉の断片を用いて歌詞を書いていると、本人は語っているけれど、こういう一節が共感を呼ぶところ。ユリシーズじゃなくても、この本難しくてとか、この問題が難しくてと思っている人って大勢いるはずだから。私もそのひとりだ。
 前作から約10年、30代の空白はもったいなかったなと思いつつも、この間のさまざまな試練が音楽、さらに歌声に深みを与えたのではないか。自分らしい道の第一歩として、何度も聴きたくなるような素晴らしい作品になっていると思う。
                             服部のり子


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