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 早咲きの桜の花びらが舞っていた。やさしく晴れた青空に、薄いほのかな色彩がちらちらと、光と影とを交互に匂わせながら舞っていた。その花びらのたった一枚を呆然と見ていたのは、どのくらいの時間だったのだろう。自分のなかにはさまざまな想いが駆け巡っていたから、とても長くも感じたし、とても短くも感じた。静かなところでバスを待っているときだった。人が来て、我にかえった。人が来なかったら、いつまででもそうしていたかもしれないと思い、少しゾッとした。

 冬頃から何度も読んでいた本を想っていた。人の心の奥にそっと入り込む、美しい本だ。そこから、桜の花びら一枚を苦しみながらも、必死に全身を這わせてまで手に取りたかった若い女性がいたことを知った。公害による病だったという。その母親は桜の舞う季節に、そのようなひとりの人間がいたことを知ってほしいと手紙に残している。花の供養に、とも書いてあった。

 花の供養にー
 
 私はそれを読んだとき、とある写真が浮かんだ。やわらかな薄いピンクと、そのまま消えゆくかのように光を透き通らせた白のチューリップを思い出し、そのあとに狭いところにぽこぽこと新芽をのぞかせていたビオラを思い出した。そして同時に、写真で見ていたそれの目の前に思いがけず自分が立ったとき、心をえぐるようななにものかを帯びて、干からびた新芽が強烈に目に焼き付いたことも思い出した。
 写真の送り主は、2頭身だったチューリップが美しく伸びゆく様子を送ってきた。絵日記のように穏やかな時間がそこにはあった。チューリップのあとは、ビオラの成長日記が送られてくるだろうと思っていた。予想以上に芽吹いたそれを「なまじっか生を与えてしまった折り鶴みたいになっている」と言って、いくつかを植え替えようと言っていた。こんなに狭いところには生きられないのだと。ほどなくして私が直接見たものは、植え替えられる前の姿だった。

 花鳥風月を、年寄りの言葉だと言った人がいた。その瞬間からなんて風情のない人だろうと思っていたが、いまはさらに、なんて痛みに鈍い人だろうと思っている。年を重ねゆく人間そのものに対する敬意のなさも思った。花を見て喜びに満ちる人々のなかには、突き刺さるような行き場のない苦痛の過去も宿っている。その事実を超えたところで、ふたたび通じ合えるかもしれない切実な希望と涙があることも、愛する存在とのこの世における別離を辿る者たちなら知っている。この世で味わう喜びは、痛みや苦しみ、悲しみの共存するものなのだとも思う。すべてを、与えられたものとして感じ入る。それを喜びと呼ぶのだと思う。とても厳しい、喜びである。

 花の供養の書かれた本をさりげなく贈ってくれたのは、私を10代の頃から知る尊敬する方だった。私の大切な存在の急逝を知り、それについてなにを語るともなく、共に音楽をし、本を贈ってくれた。その方もまた、大切な存在を失くしていたことをしばらく経ってから知った。その存在の育てていた花々を大事に受け継いでいることも。人の笑顔のうしろに、どれほどの涙が流れているのだろうとつくづく思った。

 巡る季節とともに花を通してなにかを想う。その言葉のない静けさが、こんなにも哀しく美しいものだとは知らなかった。地面に舞い降りた花びら一枚一枚を、今日も見過ごすことができなかった。

クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/