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浜のレジリエンス

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先日市場に、誰も名前を知らない魚があがりました。
刺し網でいわき沿岸でとれた魚です。

とってきた漁師本人も、漁協の人たちも、仲買さんも、「図鑑で見だごどあっけど、名前がででこね~」と。

そうは言っても入札や放射能検査のサンプルに出すのに魚種名がわからないと困ってしまうのでみんなでなんとか情報収集。

わたしがお世話になっている全国の青年部の皆さんにラインで写真を送ると、鹿児島の尊敬する漁師さんからすぐにお答えが帰ってきました。
「おもいっきり南の魚だけど、どこでとれたの?!」と驚きコメントともに、、、。

結果的にそのお魚は沖縄等でとれるツバメウオの仲間でした。

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「温暖化で、とれる魚が変わってる」というのは今やどこに行っても耳にするフレーズ。

でも実は、今に始まったことではなく、私が子どもの頃からこういった海の変化は耳にしていました。最近はよりわかりやすい変化になったという感じ。

そんな変化がありつつも、この地域から漁業がなくならないのは、変化に気づき、微調整しながら平衡を保つ機能がどこかにあるからなのだろうか。
載せる網を変え、操業体制を変え、移殖したり畜養したり。おそらく魚を買ってくださる仲買さんたちは売り先を開拓したり、食べ方売り方を研究したりと。そのおかげで食卓への影響をなんとか最小限に抑えてきたのだろう。

消費者やメディアは今頃身につまされ、ようやく自分事として騒ぎ始めた感じ。
きっと世の中の流れはこんなものなのだろう。
ここからの教訓として、現場で感じる危機が一般化されるには何十年と時が必要なことを知りました。
今私が感じている危機に対応するために、”消費者・国民の理解を得て”とか言ってたら、きっと間に合わなくなる。

周りがピンときてなくても、自分が目で見て肌で感じたことを信じて、言い続ける、やり続けることの効果を疑ってはいけないなと。

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ところで、レジリエンスという言葉を初めて知ったのは、約4年前にある大学の水産系の国際シンポジウムでした。直訳が難しですが、危機や困難に対する「回復力」「再起力」「弾力(しなやかさ的な)」を表すようです。そのシンポでは小規模漁業や漁村のレジリエンスについて議論したことを記憶しています。
どうやらもとは心理学の用語みたいです。

使わないと自分のものにならないので、今回始めてタイトルに使ってみました。

初めてとれた魚がちゃんと市場で取り扱われるのも、浜のもつ底力。レジリエンス。変わる海、変わる社会、変わる需要に合わせて網を載せ替えるのもしかり。
大津波がきても、重茂の漁師たちが数カ月後に船に乗ってワカメを収穫した話はあまりにも有名。

みなさま、優良事例は漁村にありますよ。


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