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空について

あなたには、忘れられない空があるだろうか。

いつかの記憶を呼び起こそうとすると、その日の空合いがまず浮かび上がってくる。あてもなく多摩川に沿って散歩していたある日、「もしもこのまま足をとめなければ一体どんな場所にいけるのだろう」なんて子供みたいな好奇心が湧いて出てきて、試してみたことがある。3日間の歩行の末、ついには果ての奥多摩湖までたどり着いた時の印象も、おおよそ空に関することだ。歩いて、歩いて、歩いて、やがて冷たい夜が訪れ、寂しい暗闇を歩いて、歩いて、そうして朝日が昇り、あたり一面がゆっくりと色合いを表し始める。陽光の穏やかな温もりに包まれたあの空の美しさを、生涯忘れないだろう。

特別な何かを感じる。眺めていると、気持ちがふわふわとしてくる。空は、なんだか「精神」に似ているんだ。まるで人の感情のように移り変わり、身近な存在でありながら、手に負えない大自然でもある。人々が同じ空を共有するように、精神も奥深くでは繋がっているような気がする。幸せな気持ちだと他人も幸せそうに見えるし、歪んでいると他人も歪んで見える。きっと「見える」のではなく、確かに「そう」なのだと思う。天気図に波紋状に広がる等圧線のように、ぼくたちの精神も影響を送り合っている。

多様性社会では、同じ国に住んでいても興味関心はバラバラで、それぞれが全く別のことをし別の用語でやり取りしながらも、共通語を介して、別の世界観の人とも上手く共生している。そんな混沌とした世の中でだって、かったるい仕事中にサボるスーツ姿の人も、退屈な授業を聞き流しながらぼーっとする女子学生も、漁に出るヒゲの兄ちゃんも、ホームレスのおっちゃんも、ニートだって、見上げれば「空」という精神の広場に集まれる。

「時間は平等」とはいうけど、本当にそうかな。「今」を生きる瞬間だけが「時間」だ。自分だけの時間だ。だけど、「過去」のトラウマを克服することや「将来」への不安をかき消すために、あるいは他人の世話に精一杯な人が大勢だ。でも「空」はどうだい。ただ広がるこの空は誰のものでもない。いつどこにいたって、立場とか、価値とか、過去とか未来とか、そんな「ないもの」とは無関係に、ただ広がる空は、精神は平等だ。トラウマとか不安とか、刻まれた焼印なんか引っ剥がして、風に流してしまえばいい。

「空」は安心の象徴だ。移動をする際の不安とか、将来への不安をぼくが感じることが少ないのは、きっと空の存在が大きいのだろう。狂ったようなあの青色をみて「どうして空はこうも青いのだろう」と、科学的な答えなんかで納得せずに、素朴な疑問をいつまでも抱えてさえいられれば、大切なことを忘れずにいられるような気がする。雨が降ってもいい。降り注ぐ雫の群れが地表の恵みとなるように、哀しみの涙は体表にとって必要なのだと思う。空はさまざまな顔を見せるが、そのいずれもが誰しもが内に秘めている表情なんだ。

北海道に来てからは、圧倒的な雪景色にあっという間に心を奪われていった。空も、地面も、建物も、全てが銀雪に覆われると、精神はやけに静まり返る。考えてみると「虚無感」なんだと思う。「人はいつか必ず死ぬ」という絶対的な決まりの中で、刹那的に“生かされている”という事実が、凍えて震える身体とは裏腹に、精神に「冷静」を強制させる。「どうせ死ぬ」けど、薪を焚べ、火を生み、熱を糧に「必死」になって雪かきをする。かいてもかいても雪は無常に降り積もる。火を焚く。雪が降る。その繰り返し、「虚無」と「闘志」を一緒くたに、長い冬を乗り越えていく。親切なくらいに「現実」を教えてくれる「空」が好きだ。

【空】
《意味》
①むなしい。穴があいている。からっぽ。うそ。中になにもない。
②うつろ。空虚な状態。何のあとかたもないゼロの状態。
③意識をこえてすべてをゼロとみなす悟りの境地。いっさいのものは因縁によって生ずるもので、不変の実態はないという仏教の根本原理の一つ。
④そら。地上のなにもない空間。


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「地上のなにもない空間」か。天高くを指すものと思っていたよ。地球って、ほぼ空だったんだね。終り。

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