書きながら考えること

『書くために考えていると、書くことだけでなく、考えることまでダメになってしまう』
 ニーチェはそう言った。(多分『愉しい学問』)

 私は「さて、今日は何を書こう。内容を考えなくちゃ」と思って書き始めたことはほとんどない。
 しかし「何について考えようかな」と思って書き始めることは多い。つまり、自分の思考をそのまま自動的に筆記するようなノリで、書いていくということ。書きながら考える、ということ。

 これは多分キーボードだからできることだろう、と思う。ペンで書くには、あまりにも速度に差がありすぎる。キーボードでさえ、指がもっと早く動かないことがもどかしい気持ちになることは多い。誤変換も。

 でも、物理的な時間の制限があるおかげで、書きながらだと普段よりゆっくりと考えることができる。

 実のところ、書くことは一種のサボリである。指はしんどいし、集中もある程度しなくちゃいけないけれど、ただただ何もせず考えるよりは、気持ち的に楽なのである。
 脳が休まっている感じがする。というか、普段使っている部分とは違う部分の脳を使うから、うまくバランスが取れる、というか。

 思考の整理にもなるし、考えたことを「覚えておこう」とする必要がないのも楽だ。
 書かずにやる思考の場合、もし重要な発見があったときは、それを忘れないように頭に刻みつけなくちゃいけないから、それがなかなか大変なのだ。
(私は、記憶のコツを知っているが、これが健康によくないことも知っている。それを覚えておこうとしたがばっかりに、すでに覚えたことのいくつかが思い出しづらくなる作用がある。記憶の容量には限界があるという話ではなく、脳の記憶方法が変化してしまうのだ。使われなくなった記憶方法は、どんどん衰えていく。自分好きな記憶法を選ぶことが許されるなら、私は学問の知識より、自分の経験や人の話を覚えていたい)

 書いてさえしまえば、それを覚えておく必要はない。そうすることで、色んなものを自分の中で通過させることができる。そうすることで、うまく忘れることができる。
 考えたことの全てを自分の意見とするには、私の思考は自由過ぎる。もしそうしたら、矛盾しすぎて狂ってしまうことだろう。私にとって、考えることと書くことは、自転車の前輪と後輪のようなものなのだ。
(おそらく大半の人にとっては、書くことの代わりに話すことをやっているのだと思う。私の場合は、話す相手がいないから、仕方なく書いているというのが実情なのかもしれない)
(でも、人と話した後は、いつも以上に書きたくなるんだから、違う気がする)

 ともあれ、私は書きながら考えることが好きで、かなり長い間ずっと続けている。noteを始める前からやっていることだし、この先noteをやめることがあっても、この習慣は続くと思う。

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