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7:最初の結婚と「4:30amのイエティ」/高橋幸宏

20代に7年間、最初の結婚をしていた。

当時の夫とはうまくいっていたり、いかなかったりが極端だった。
というよりは、趣味や娯楽は一緒に楽しめたが、今でいうモラハラを受けていたし、優しい言葉をかける人でもない。
だけれど私には帰る場所は夫と2人暮らしのマンションだ。

友人や会社の人たちの方が気を遣ってくれたり優しいし、対等に話ができた。
家の外は、常識の範囲内ならどんな所作をしても咎められることはない。
しかしそれを夫は
「俺はお前に愛があるからだ。他人が言うわけない」
と正当化し、私も、そうか、と思い込む。

家の中で物音を立てないように、静かにして、夫のいきなりの怒りを避けないように話さなくともいい。

更に言えば、10代後半からの私は失踪願望に溢れていた。
社会にも「端っこ」があることに気づくまで、なんとなく生きるのが居心地が悪くて、誰もいないところに行きたかった。
結婚してからは、物理的にも精神的にも縛ろうとする夫がいる家に帰りたくなかった。
でも私には、帰る家と人は夫との暮らししかない。
息苦しい日々が続く。

そのうちにわかってきたのは、夫は私が仕事が終わってからの食事やお酒からの朝帰りは、特に何も言わないことだ。

午前様はしょっちゅう、朝帰りもしばしばやった。
それどころか居酒屋から会社に直帰、時に3日ほど帰宅せずはしご酒とか、ろくでもない妻をしていた。
妻という自覚すらもなかった。

本当は、夫からの愛情が欲しいと焦がれていた、しかし叶わないのも気づいていた。
そして出奔することで、心配や愛、別離の言葉を切り出してほしかった。
しかし私がそれを切り出すと愛情らしきものをやっと差し出してきて、それもまた苦しかった。

そうやって私は夫への愛情が苦いものに変わり、仕事の時間の都合上私より先に帰宅する夫が
「今日のご飯はなに?」
と、共働きなのにゲームをしながら振り向きもせず尋ねたり、何かしらにつけて長い説教をするのが悲しかった。

冬になって真夜中や朝帰りをする時には、高橋幸宏が歌う

「4:30AMのイエティ」

を良く口ずさんでいた。

妻への夫婦としての愛情がなくて、帰宅できない夫の歌。
曲の舞台が冬の雪の中なだけで、明け方4時30分に、自分の部屋のマンションを見上げる時の私の気持ちと、なんら変わりない歌詞。

そしてわかってはいる。
夫が夫なりに私を愛していることを。
だけれど私は夫なりの愛が苦痛で、家の中にいることがつらい。
離婚を切り出したら切り裂くようなどころじゃない声でわめき散らすだろう。

だから私は、階段を昇って自分の家の扉の前に立つことができなくなっていった。


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