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21.ストーリーが認められた
俺の漫画が手応え感じる程に読まれ出した。
あのファンレターのメッセージ、その後にちらほら届いた感想は、父上がプリントアウトしてスクラップ帳に貼ってくれた。
俺はアナログなので、そういったファンレターの類は全部紙で保管したいと頼んだからだが、少ない感想メッセージは、まとめて1枚の紙に収めてくれた。
・正直、絵柄は大したことないけど、ストーリーがハンパない!
・この人、ホントに素人?ストーリーでき
20.久方振りのファンレター
父上に向けられたパソコンの画面には、『メッセージ1件』との表示があり、その下に割と長めの文章が載っていた。
【拝啓、小生は若い頃、庄司先生のファンだった者です。定年まで勤め上げた会社を週3日嘱託で働き、残りの4日間のうち1日は、子供の頃好きだった漫画を古書店やネットオークションで探している日々です。貴殿の漫画は、たまたま我が家にやってきた孫が、「この漫画家の人の漫画、最近ネットで描いてる人がいる
17.ハッシュタグを付ける
両親の力を借りて連載開始…俺としては連載再開なんだが、早くも10回目の更新となった。
単身赴任の父上が、赴任先にデータ化した漫画を持っていってるので、掲載すること自体に問題はない。
そして、持っていった続きの漫画も、土日を使って俺がネームを描き、それを元に母上がタブレットでペン入れをする。
ネームは推敲に推敲を重ねた。
絵柄が異なる分、庄司淳の色をさらに出さねばなるまいと思ったからだ。
おそらく現
15.合作、始動する
「このコマは、もう少し目力を強調してほしい。こっちのタッチは、なかなかの出来です」
母上との合作が始まった。
俺が現役だった頃と違い、すべてデジタルである。
父上は単身赴任先へ戻る前に母上のために漫画を描く専用のタブレットやタッチペンなるものを買い揃えた。
そして、出来上がった漫画を父上に送る方法も伝授した。
「君たちから届く漫画、楽しみにしてるぞ。実は俺も…親父の影響で庄司淳先生ファンだっ
13.思いがけない提案!
体と声が子供なので、我ながら話していて変な感じだったが、父上も母上も俺を『庄司淳』としても認識してくれたので、全てを伝えることにした。
生まれ変わる時に、俺は漫画の続きが描ける親の元へ生まれ変わりたいと頼んだこと。
そして、あなた方…父上と母上の元へ生まれたこと。
母上の漫画の束を見るまでは庄司淳としての記憶はなく、純粋に純太として過ごしていたこと。
あの日から前世の記憶が蘇り、今は体調さ
12.純太🟰庄司淳に、気付かれた。
「先生、庄司先生、原稿の進み具合はいかがですか?早く続きを読ませてくださいよ〜!」
夢を見ていた。
体調崩している時は、庄司淳の記憶はないはずだが、夢は別物らしい。
「絵が描けない、スランプなんてもんじゃないんだ!俺もどうすればいいかわからんのだ!」
担当者に向かって叫ぶ。
その顔はあの天使・ベルに似ている。
「先生、悩まさんな。続きさえ描ければいいんでしょ?描けますって!心配しないで」
11.湧き出てくるアイデア、そして…
遺伝子の悪戯で、父上に似てしまった俺は『画力』というものなく生まれたらしい。
幼稚園児のうちは、それでもまあ、それなりに『子どもの絵』として認可されてはいた。
「母上の遺伝子だってあるはずだから、描いているうちになんとかなるかもしれない」
そう考えて、暇さえあれば絵を描いていた。
しかしながら、全く思うような絵が描けないうちに、小学生になった。
相変わらず絵は下手くそだ。
その代わり、漢字
10. 前世があっても授かった遺伝子は、どうにもならない
「…そうなのよ。うん、絵が下手って友達に言われて泣いちゃったって…うん…」
夜、なにやらボソボソ喋る声に目が覚めると、居間で母上が電話をしていた。
相手は父上のようだ。
「言わなくてもいいことを…」
そう思ったが、園児間のトラブルと誤解を招いてしまったので仕方なかろう。
この夫婦は、なにかと密に連絡を取り合う夫婦、関係は良好のようだ。
不覚にも絵が上手く描けないもどかしさで泣いてしまった俺
9.幼稚園児の男泣き
「じゅんくん、えがへただなぁ」
隣の席の子どもに言われた。
指摘されて顔がカッと熱くなるのがわかる。
「ほんとだ!」
同じ机に座る園児達が後に続いた。
ぐうの音も出ない。
「うるさいなぁ、これから成長していくはずなんだよ!」
そう言って、画用紙の上に体ごと覆い被さる。
確かに俺の絵は他の園児と比べても下手なのである。
頭の中に思い浮かぶ漫画は、かつての俺のタッチでするすると浮かぶのだが、
8.幼稚園児だから…だよな?
幼稚園で他の子どもたちと遊んでいても、俺の頭の中は漫画でいっぱいだった。
体の小さな子どもたちのいろんな行動は、俺の欠点克服のためにいるとしか思えなかった。
「庄司淳の漫画は子どもの描写が下手」と揶揄されていたので、目の前にいる園児たちは最高の参考資料だった。
こんなにこどもを観察したこと、かつてはなかったことだ。
それもそのはず。
俺は自分の子供たちの育児には一切参加しなかった。
すべて妻任せ。