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振動の行方

物心つく前から何かを作って表現することに没頭していた。子供の頃はただ作るだけでよかった。大人になった今、自分を表現者と自覚している今はそうはいかない。

作ったものにはそれが生まれた理由があるし、私はそれを鑑賞者に伝える力を持たなければならない。

私は作品で語り、言葉でも語る。しかしそれらは手段にすぎない。私は自分の哲学を振動として誰かに伝えて共有したいのだ。

私たちは各々がそれぞれのやり方で振動を伝え合っている。たとえ振動に関して無自覚でも、それは間違いなく細胞レベルで感じ取っている。

私は自分を構成している大きなものとして統合失調症が挙げられると思う。しかしそれは動機ではない。私は作品を通じて呼吸をしている。そこにたまたま要素として精神疾患が関与しているにすぎない。私にとって疾患は切っても切れない関係だけれども、それに囚われることは嫌っている。統合失調症は魂を消耗する時もある。私は消耗したものを補う行為としても制作をしている。しかし疾患による支配には常に争っている。

誰しもが大なり小なり問題を抱え、そこに自分なりに立ち向かっていると思う。そして各々がその立ち向かう姿に振動を有している。

やり方は人それぞれ。

私たちは振動によって互いに影響し合い、くっついたり離れたりしている。振動は時に穏やかで、時に乱暴だ。それぞれが心地の良い場所を求めて旅をしているようなもの。それは人との関わりにも芸術にも同じことが言える。

私にとって創造は呼吸であり足跡だ。その時によって作品が変化してゆくのも旅をしていると言える。そう考えると私は生まれてこのかた常に旅をしているのかもしれない。あなたもそうでしょう、人生という旅をしている。精神がどこへゆくのか、心の在りどころを探し構築しているのではないだろうか。

私は今、都会の人々の渦に巻き込まれそこで叫んでいる。

私はここにいる、あなたはどこ?と。

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