見出し画像

第一章 日本のアイドルとは


こんばんは。Susanです。

昨日のnoteで宣告した通り、毎日一章ずつ卒論の内容を載せていくコーナーです。前置きは毎回していると大変なので、このシリーズでは割愛することにします。

この期間は、本文だけを分割して載せて行きますので、ぜひお時間ある方はお付き合いくださいませ。

それでは、本日は 第一章 日本のアイドルとは です!

第一章 日本のアイドルとは


第一章では、日本のアイドルとは何か、海外の「アイドル」と比較し、日本の「アイドル」の特徴に迫り、日本における「アイドル」とは何か定義付けをしていく。
そこで、第一節では「アイドル」という言葉の意味、誕生について論じる。次に第二節では、日本と海外の文化や趣向を比較して、日本のアイドル像を具体的に説明していく。そして第三節では、日本におけるアイドルの定義と特徴について迫っていく。

第一節 「アイドル」という言葉の意味、「アイドル」の誕生


 日本における「アイドル」という言葉は、1970年代に主に若者をターゲットとした歌手の総称として誕生した。その当初は、主に外国の芸能人を対象とした呼称として「アイドル」という言葉は使用されており、日本の芸能人は一般的に「スター」と呼ばれていた。

『グループアイドル進化論』の著者である岡島紳士と岡田康宏によると、評論家の中森明夫は自身の25年分のアイドル論考をまとめた著書『アイドルにっぽん』の中で、南沙織を現在のスタイルでの「国産アイドル第一号」としている。南沙織が『17才』でデビューしたのは1971年6月1日、この日が日本でアイドルが生まれた日となる。また、1971年以降、オーディション番組『スター誕生』や『ミスセブンティーンコンテスト』などの大々的なオーディションが行われるようになり、山口百恵がデビューする1973年には、「アイドル」という呼称が日本の芸能人・タレントの総称として一般的に使用されるようになった。

そして2014年現在、日本における「アイドル」という言葉は非常に様々な意味を含んだものである。広辞苑によると、「「アイドル」とは1.偶像。2.崇拝される人や物。3.熱狂的なファンを持つ人。」とされている。本論文では、「アイドル」を「3.熱狂的なファンを持つ人。」と定義する。「アイドル」は、歌、ダンス、バラエティー、ドラマ、映画、舞台、ライブなど様々なシーンを通して、「熱狂的なファン」いわゆる「ヲタク」を掴んでいるのだ。

第二節 日本と海外の文化や趣向の比較を通してみる日本の「アイドル」像


 日本の文化における「アイドル」の語源となったのは、英語の「Idol」という単語である。「Idol」の本来の意味は、英和辞書によると「1.偶像。2.偶像《神以外の神像》。3.偶像神。」とされている。すなわち、不可視な信仰・信心の対象を可視化した絵画や彫刻などの偶像のことを指す。その言葉の転用・発展の結果、アメリカでは「若い人気者」としての意味で、「アイドル」という呼称が誕生した。

しかし、海外、主に欧米における「アイドル」は、日本におけるそれとは全く異なる性質を持っている。日本で「アイドル」といえば、AKB48や嵐であるが、海外で「アイドル」といえば、バックストリート・ボーイズやディスティニーチャイルド、最近ではジャスティン・ビーバーやマイリー・サイラスなどがそれにあたる。『アメリカン・アイドル』というオーディション番組が人気を博し、そこから新たなアイドルが誕生しているのも周知の事実である。しかし、彼ら彼女らを日本の「アイドル」という枠組みで語るのには違和感がある。なぜなら彼らは、日本における「アイドル」という存在ではなく、「ミュージシャン」や「アーティスト」といった存在に限りなく近いからだ。

海外における「アイドル」は、音楽における実力・スキルがなければ絶対に成功しない。それに対して、日本の「アイドル」は、マルチに活躍はしているが、音楽における実力やスキルが他の人と比べて突出して秀でているわけではないことがほとんどだ。では、なぜ海外では音楽におけるスキルがここまで重視され、日本では音楽におけるスキルがなくとも「アイドル」として成功できるのか。この鍵は、「アイドル」にとって最も重要な「熱狂的なファン」が、「アイドル」という存在に求めるものの差異にある。

海外の「アイドル」のファンたちは、「アイドル」にCDやコンサート、写真集などで目に見えるアイドル自身の容姿やスタイル、歌唱力などのアーティスト性を求め、そこに惹かれてCDやコンサートなどを、「アイドルの提供している一商品」として消費している。それに対して、日本の「アイドル」のファンたちは、ただ単に容姿やスタイル、歌唱力を評価して応援しているわけではない。日本の場合、アイドル自身の人生、例えば「AKB48の総選挙で見事選抜に選ばれ、初めてマイクを握らせてもらえた」などといった物語性に惹かれ、「アイドル」を応援し、CDやコンサートなどを「物語の一部としての商品」を消費している。海外の「アイドル」ファンたちは、「アイドル」を「パッケージ(一商品)」として楽しんでいるのに対し、日本の「アイドル」ファンたちは、「アイドル」を「物語」として楽しんでいるという点が、海外と日本の「アイドル」の有り方に大きな違いをもたらす要因となっている。また、欧米においてはキリスト教的価値観により未成年者への恋愛感情が禁忌とされているため、「アイドル」という存在が大人を楽しむという土壌が成熟していない。AKB48 やももいろクローバーZのような、未成年であり年齢的にもスキル的にも未熟な成長段階にある「アイドル」が誕生しにくいこともこのような社会的背景が影響していると考えられる。

第三節 日本の「アイドル」とは


 第一節、第二節で語ってきた内容を総括し、日本における「アイドル」は一体どういったものを指すのかその定義と特徴にせまっていく。第二節で述べたように、日本の「アイドル」は、物語性を持っていて、その物語の一部として「アイドル」はCDやコンサートなどの消費できる「モノ」を提供している。「モノ」を物語性によって消費することについて、大塚英志は書著である『定本物語消費論』の中でこのように述べている。

消費されているのは、一つ一つの〈ドラマ〉や〈モノ〉ではなく、その背後に隠されていたはずのシステムそのものなのである。しかしシステム(=大きな物語)そのものを売るわけにはいかないので、その一つの断片である一話分のドラマや一つの断片である〈モノ〉を見せかけに消費してもらう。このような事態をぼくは「物語消費」と名付けたい※1。

日本の「アイドル」は、「アイドル」自身の人生や生き様を〈大きな物語〉としておき、その〈大きな物語〉を微分化し、様々なツールを通して〈物語〉の一部を売り出しているのである。そのため、日本の「アイドル」は消費者に近い立場に存在しなければならないため、際立って歌唱力や容姿などスキルやスペックが高いことよりも、いかに消費者に近い存在で人間味があり、どれだけ「アイドル」という姿のその裏で努力をしているか、という部分が重視されるのである。


引用文献
※1 大塚英志『定本 物語消費論』、角川文庫、2001 p14


本日はここまで。
明日以降も引き続き、毎日一章ずつ更新予定です。

最後までごゆるりとお付き合いくださいませ。

2022.10.02.
Susan

いつも優しい心をありがとうございます! 届けてくださった愛は、noteの投稿でお返しできるように頑張ります♡ 感想やコメント、スキ♡だけでも十分気持ち伝わっております(T_T)♡