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親を介護しようと思った本当の理由

皆さんは、親の介護が始まった時にどんな気持ちでしたか?とうとう始まった介護に戸惑う気持ちや不安な気持ちを抱かれたでしょうか。
それと同時に、「親のそばに居てやりたい」、「親孝行したい」、たった一人の親だからと親を思うあまり介護を覚悟したというようなお気持ちだったでしょうか?
私はちょっと違っていました。



ご両親と仲が良いですか?

私は5人兄姉の末っ子で兄姉とは一回り位以上離れています。そして、物心ついた時から兄弟は家を離れていました。近所の友達や同級生とは遊んでいましたが何だか寂しかったのを覚えています。

家には祖母がいましたが、両親は仕事でいつも遅かったので寂しいと感じたのかもしれません。

小学生の頃、母親が高熱を出してしまい仕事にも行けず寝ていました。母が苦しそうにしていたのでお手伝いをしようとしたのですが、つい水銀体温計を割ってしまったのです。
母親は激怒して私は委縮してしまいました。

また、家計が厳しかったので私が生まれてきたことを自分で勝手に否定したりもしていました。
一見仲は良いのですが、ずっと母親へのわだかまりが残ったまま大人になっていました。

介護をする目的

前回、目的論のお話をしましたが、私が母親を介護したのはもう一度母親と向き合うためでした。認知症が少しずつ進む母親に戸惑いながら、母親に聞いてみたいことがありました。私を産んだことを後悔していないかという点です。

母親の介護を通して、私の存在を認めてくれるのでは?
そんな期待もありました。案の定、母親の答えは「本当は産みたくなかった」という答えでした。
もし私が生まれたら経済的に厳しくなるし、私がかわいそうだと思ったのだと思います。
本当にショックだったのですが、力が抜けたのを覚えています。

どんな人間関係でもそうですが、見えないエネルギー、波長という物を察知します。親子は親の状態や子供の状態を言葉にはしないけれど理解出来たりします。
子供の頃の違和感はこういう理由だったのだなと初めて理解出来ました。

母親は私の存在を否定しているのではなく、大切に想っていることが分かったのです。

母親を許せた私は、母親に認められる介護ではなく、母親と家族が後悔しない介護をすることを意識し日々を過ごしました。


自分軸介護

私が意識したことは、介護を理由にやりたいことを諦めないこと。
通いで介護していましたが、習い事や勉強を続け、旅行などにも行きました。
介護をしなければならない、母親のもとに行かなければならない、~しなければならないという気持ちを捨てました。
~しなければならないという言葉は自己否定です。

自己否定で介護すると親もそれを察知して、不安になってしまいます。
まず、自分を中心に介護をすることに意識を向けていました。
自分勝手だと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、親は自分の生活や人生に責任を取ってはくれません。人生の舵を取るのは自分です。

自分軸を意識すると母親との関係性は良くなり、母のもとに行くのが楽しくなっていったのです。


介護で得たこと

介護をしようと思った理由は、今まで説明した通り母親と向き合うことでした。認知科学を学んでいたのでこれは早々解決しました。
そこから介護や家族関係、治療の選択に至るまで色んな局面で認知科学の学びを生かし母親との時間を大切に出来ました。
皆さんにも介護をしようと思った理由それぞれあると思うのです。
「仕方なく」
建前ではそういうのかもしれませんが、本音はどうでしょうか?

私は母親と向き合いたかった。
向き合った結果、幼少期の誤解は解消し、すっきりとした気持ちと母を敬う気持ちを持ちで看取りの時間を迎えることが出来ました。

そのおかげで母親からの大きな愛情を受け取ることが出来たと思っています。

皆さんも自分にとって後悔しない親の介護が出来ることを祈っています。


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