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義母を思う、いつもと違う春


施設にいる義母が2月に誤嚥性肺炎になり、二週間入院した。

でも、順調に回復して、退院できた。入院中に会いに行ったけれど、そんなに悪くない状態に見えた。胃ろうになるかも?なんて話もあったけれど、それもしなくても大丈夫…という話ですっかり安心していた。でも、先日、あまり状態がよくないと連絡が来た。胃ろうにする・しない、ではなく、胃ろうは既に選べないらしい。2週間、点滴になったけれど、その後のことはどちらかを選んでくださいと言われた。
①中心静脈栄養
②何もしない
①の中心静脈栄養というのは、カテーテルを中心静脈という部位に挿入して、栄養を直接注入する方法で、いわゆる延命治療になるそうだ。調べたところ、これをした場合の平均余命は8か月と書いてあった。
②の何もしないは、点滴を外した後は、ただその時を待つということ。1週間から10日くらいの余命。
現実を突きつけられた夫は、当たり前だけど、それ以降、明らかに沈んでいる。今日は、義姉と一緒に義母に会いに行き、相談し、何もしないという選択をしたらしい。それでいい。それがいい。そう思って決めてきたけれど、“本当にそれでいいの?”と、不意に不安になるらしい。“それでいい”と私も思っているけれど、“それでいい”と私が言っていいのか分からないので、何も答えられない。
点滴はあと1週間ちょっと継続される。「死」はいつも突然だった。こんなにも「死」と隣り合わせだったことは人生で初めてで、しばらくずっと緊張していて落ち着かない。夫は私の比ではないだろう。今年の春は、なんだかすっきりしなくて長くて、始まりも終わりも見えなくて、いつになく複雑だ。春なのに…

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