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L’Arc-en-Cielの音楽の魅力を7つのジャンルでご紹介 〜第五弾 運命編〜

L’Arc-en-Cielの魅力を7つのジャンル(恋愛、愛情、哀愁、愛執、運命、未来、抵抗)でご紹介する本シリーズ、第五弾は運命編です。歴史や戦争、そして死の影を感じる曲をラインナップしています。

個人的には、今回ご紹介する運命編の曲こそが、L’Arc-en-Cielの真骨頂とも言える曲だと思います。一編の小説のような世界観と、それを構築する音の世界。さっそく見ていきましょう!


運命編

fate

(作詞:hyde 作曲:ken)
身を切るような風が吹き荒ぶ、極寒の敵地で戦う兵士の歌。この戦いは、母国にいる大切な人を守るための戦いだと言われているが、本当にそうなのだろうか。この戦いに勝利して笑うのは誰なのか。いつになったらお互いに許しあい、この戦争に終わりが来るのか。そんな疑問を胸に抱きながらも、確かなことは「君」に会いたいという痛切な想いだけ。

けれど、そんな想いなど関係なく突き進むこの運命からは逃れられない。いよいよ敵と対峙する無常な時間が迫り、静寂を切り裂いて敵襲を開始。敵に狙いを定めて手をかける瞬間にも、「君」のことが脳裏をよぎる。

この戦争が終われば、あの場所に戻って「君」と結ばれたい…でも「本当に結ばれるだろうか?」という疑問が浮かぶ。これは、「戦地から生きて帰れることができるだろうか?」という意味もあるかもしれませんが、どちらかというと、「人を手にかけてしまった私を、君は受けて入れてくれるだろうか?」という意味が強いと思います。

これは怖いです。自分の心の支えとなっている「君」を守るための戦いで、今まさに人に手をかけようとしている。けれど、そんなことをしてしまった自分が生きて帰ったとしても、果たして「君」は受け入れてくれるのだろうか?いや、受け入れてくれないのではないか。だったら、この戦いは何のために?

「何が愛なのか? 何が嘘なのか? 解らない…ただ 君だけが恋しい」という最後のフレーズが胸に刺さります。

こんな極限の苦悩を描き、曲として完成させているところに、L’Arc-en-Cielの凄みを感じます。

LORELEY

(作詞:hyde 作曲:hyde)
静謐な鍵盤の音色で始まるイントロが印象的な曲。「大いなる河」と対峙して、その雄大さやこれまでの歴史に思いを馳せる「私」の気持ちを歌っています。

この曲は歌詞の情景描写が美しいです。「夏のなごりを映す水面」「ひと雫の波紋」「揺れる枝葉の音」…いずれも静けさを感じます。「大いなる河」の風景は静かなんですね。その中で「私」はギターを奏でる。その旋律は、河の流れに揺られ、森や山へと漂っていく。

果てしなく流れるこの河にとって、自分が奏でる旋律は「刹那のおと」でしかない。これまでに起こったであろう争いも、歴史という時の流れの波に飲まれている。そんな自然の雄大さや歴史の流れに思いを馳せながら奏でる旋律は、「貴方へと沈む」。これは、私の奏でた旋律が「貴方=河」に吸い込まれる様子を表しているようにも、私の奏でた旋律や私自身が「貴方=歴史」という途方もなく大きな流れの中に消えてゆく様子を表しているようにも、私の奏でた旋律が「貴方=想い人」に対するものであることを表しているようにも思えます。

forbidden lover

(作詞:hyde 作曲:ken)
「ダダダン ダダダン ダッ ダッ ダン」という行進曲のようなドラミングが、最初から最後まで…歌や、ギターや、ベースのメロディがどれだけ抑揚してもまるで関係ないかのように…無慈悲にやってくる運命のように…一貫して流れ続けるのが印象的な曲です。

冒頭の「あぁ凍える暗い海へ 流されてゆく歴史の波にのまれ」は、これから始まる物語の導入部分で、恋人たちの行末を暗示する一文です。小説でいうところの、エピローグ的な位置付けの一文です。

「やがて幕は上がり」以降、心を見失った一部の人によって、誰も望みもしない戦争が始まってしまいます。過去にも恐ろしい戦争があったのに、いつの間にかその記憶が忘れ去られ、繰り返してしまっているという人間の業が描かれます。

2番の歌詞は「forbidden lover…」で始まり、ささやかな恋人たちへと視点が切り替わります。一方恋人たちは…というような始まり方で、これも小説的です。身分や立場の違いのためか、お互いに愛することが許されない二人。「強く抱いても重なり合えぬ色彩」は、たとえ二人がお互いに想いあっていても、結ばれることが許されない状況にあることを表現しています。だからこそ、「息をひそめ」る必要がある。それでも二人にとってそれは「甘い恋」だったのに、1番の歌詞で始まってしまった戦争によって「予期せぬ時の悪戯」が起こってしまう…なんと巧みなストーリーテリングでしょう。

この曲がL’Arc-en-Cielの楽曲の中でも群を抜いて小説的だと感じられるのは、エピローグ→1番での状況設定(戦争)→2番での登場人物紹介(恋人たち)→2番のサビで現状説明(戦争の惨禍に巻き込まれた恋人たち)という流れで構成されていることや、一つ一つの言葉の置き方によるところが大きいと思います。

2番のサビの一文も秀逸です。「燃え上がる炎に取り囲まれ 崩れゆく船に命つかまれ 怯えた瞳は天を仰いで 叫ぶ神の名を」…まず、「予期せぬ時の悪戯」で何が起こったのかと思わせておいて、サビの冒頭でいきなり「燃え上がる炎に取り囲まれ」ているというショッキングな情景が描かれます。前段との落差が激しく、読み手(聴き手)の脳内のイメージはここで一気に炎の色に染まります。こういう演出が施されているところが凄いと思います。

「崩れゆく船に命つかまれ」…船が敵の攻撃を受けて燃えて崩れてゆくのか…それとも、どこかの町で「燃え上がる炎に取り囲まれ」た後、船に乗って逃げたのにその船が何らかの理由で崩れてしまったのか…いずれにせよ、ここで着目したいのは「命つかまれ」という表現です。命をつかまれる、という言葉は、崩れてゆく船と、そのときに巻き起こる海水の渦に恋人たちが巻き込まれている様子と、抗えない運命を、的確に伝える言葉だと思います。言葉のチョイスが凄すぎる。

「怯えた瞳は天を仰いで 叫ぶ神の名を」…沈みゆく船に巻き込まれた恋人たちの悲痛な叫びと、それに呼応するメロディでドラマチックな間奏へとなだれ込んで行きます。このあたりの世界観の演出も抜群です。ここでのポイントは、恋人たちが天を仰いで悲痛な叫び声を上げることによって、強い勢いで視線が上空へ向かっていることです。これを受けて、最後のサビの「空高く舞い上がれこの心」へ続きます。

神の名を叫んだ恋人たちの魂は上空にあり、眼下には「渦巻いた悪い夢」(=沈没した船とそれに巻き込まれた自分たち)がいます。「解き放つ貴方へのこの想い」は、お互いを愛することが許されなかった恋人たちが、死によってようやく何の制約もなく愛せるようになったことを表しているように思えます。切ない。
「遠い地へ輝きを放って」や「新たなる国に やがて来る日にも」は、輪廻転生で生まれ変わった後の世界を指していると思います。そこでも「同じ道をまた通るだろうか」という意味深な言葉で、この物語は幕を閉じます。

とにかくこの曲は、歌詞の構成の緻密さがずば抜けていて、その物語の導入や状況説明や盛り上がりを演出するメロディとのシンクロ率が圧倒的に高い、凄すぎる名曲だと言えます。聴き終えた時の消費カロリーが高いです。

いばらの涙

(作詞:hyde 作曲:hyde)
美しくも儚げなギターのアルペジオで始まるこの曲は、中世ヨーロッパの宗教的な世界観に彩られています。「forbidden lover」と同様、この曲もストーリーテリングが素晴らしいので見ていきましょう。

歌詞は「望み亡くしたしたような湿った空へと」で始まります。望みを「失くす」ではなく「亡くす」。もはや一縷の望みもない状況であることがわかります。「湿った空」は、低く厚い雲に覆われた、陰鬱な曇り空を想像させます。そんな望みのない状況の中でもなお、「胸の奥に秘めた誓いを浮かべた」(=自分の信仰を告げた)という描写からこの物語は始まります。

これは、時の支配者の信仰とは異なる信仰を持つ主人公が捕らわれ、問い詰められたときに、隠すことなく自分の信仰を告げたということ。これを踏まえると、歌い出しの「あぁ」という歌声は、意気消沈のため息ではなく、自分の信仰を貫く覚悟の詠嘆であることがわかります。

「話す言葉は皆異邦の人のようで 重く時を刻む城壁はそびえる」…手下に連れられて支配者の城までやってきた主人公。自分を蔑んだり哀れんだりする周りの人々が話す言葉は、彼らの信仰に基づいて発せられる言葉であり、同じ価値観を持たない主人公にとっては、まるで言葉が通じない異邦の人のように感じられます。「異邦の人のよう」と言っているので、前提として、周りの人々と主人公は同じ国の人であることがわかります。同じ国の人だから本来話が通じるはずなのに、信仰の違いで話が通じない。そういった状況を表しています。

2番の歌詞は「雨が降り続いて欲望を癒せたなら 幻想に埋もれていた愛も目覚めよう」です。1番の歌詞に出てきた「湿った空」や、2番の歌詞に出てくる「雨」は、主人公から見た支配者側の様子です。支配者が自分たちの都合の良いように振る舞って、その欲望がようやく満たせたなら、幻想(=支配者側の信仰)に埋もれていた、真実の愛(=主人公が信じる宗教が唱える愛)が目覚めるだろうと言っています。ここでのポイントは、欲望が「満たせた」ではなく「癒せた」。主人公から見ると、支配者側の欲望は怪我や病気のようなもの。それが「癒せたなら」(=悪い状態から本来あるべき状態に戻ったなら)と表現することで、支配者側の振る舞いが、本来あるべきものではないことを伝えています。

サビの意味はわかりやすいですね。いばらは受難の象徴なので、受難によってこの血が枯れ果てたとしても、「貴方への心」(=主人公が信じる神への信仰心)を胸に抱き続けるという歌です。

最後は、主人公が火刑に処されるシーンです。「声を張り上げて縛られた炎の中」…わずか14文字なのに凄まじい描写。「殺せない そのゆがんだ愛」…支配者側の信仰(=そのゆがんだ愛)では、私の信仰心を殺すことはできないという意味でしょうか。たとえこの身体が焼き尽くされてしまっても、私の貴方(=神)への信仰心が少しも汚れていなかったら、その時は、貴方(=神)の元へ私を連れて行ってください…「そしてそっと抱いて」くださいと祈っている…そんな切ない殉教者の思いを歌っています。

改めて振り返ると凄い歌ですね。J-POPとかJ-ROCKといったジャンルの中で、こんなことを歌っている歌って他にあるのだろうか…

花葬

(作詞:hyde 作曲:ken)
数あるL’Arc-en-Cielの名曲の中でも、突き抜けた世界観で異彩を放っているのが「花葬」です。彼らの真骨頂とも呼べる曲ではないでしょうか。

まず「花葬」という斬新なタイトル。葬儀の方法には、「火葬」「水葬」「土葬」「風葬」「鳥葬」などがありますが、そうではなく「花葬」。
この言葉だけを見ると、死者を大量の花で弔うイメージが浮かびますが、歌詞を見ていくと少し様相が異なるようです。

「ばらばらにちらばる花びら 雫は紅」…これは、死にゆく者の周りに花びらを撒いて弔っているのかと思いきや、あくまでも比喩的な表現で、飛び散っている血を表しています。「雫」という言葉が使われているのもそのためです。

歌詞の冒頭では、主人公の腕の中で腐敗して崩れていく恋人を描いています。「瞳あけたまま腐食してゆく身体」は、どこか残酷な感じがします。しかも、容赦なく「あざやかに失われる」んですね。ただ、「意識だけは残して」いる。「春を待てずに」というのがまた悲しい。ここでいう「春」は、そのままの意味かもしれませんし、二人の関係性という意味での「春」かもしれません。個人的には後者のイメージです。身体が崩れ、意識だけになりつつある恋人は、朦朧とした状態でうわごとのように主人公の名を呼んでいる。いつものように…

この恋人たちの間に何があったのでしょう。なぜ、身体から血が飛び散るような亡くなり方をしているんでしょうか。個人的には、恋人は誰かに命を奪われたのではなく、高所から飛び降りて自ら死を選んだのではないかと思います。

「くるい咲いた夜」は、そのような悲惨な状態になっている恋人の死を看取る夜のことで、「眠れぬ魂の旋律」は、まだ死に至らない恋人の魂が震えている様子を表しているように思えます。「闇に浮かぶ花」とは、偶然周りに咲いていた野の花でしょうか。それが単なる「餞」ではなく「せめてもの餞」であるところに、恋人の死が予期せぬものであり、野の花が間に合わせの弔いになっている様子を表現しているように感じます。

2番の歌詞の「たどりついた終わり」〜「死んだ世界」の部分をどう解釈するかで、物語の展開が変わってきます。

1つは、死にゆく恋人が生き絶えるまでの過程を抽象的・比喩的に表現しているという解釈。「今宵はもう夢うつつ やがて閉じた瞳」で、恋人が息を引き取るという流れになります。これが自然な解釈だと思います。

もう1つは、「たどりついた終わり」で恋人が息を引き取り、「飲み込まれる土の中」で土葬され、完全な死の世界へ向かう。つまり、恋人の死の描写はここで終わり、という解釈です。この場合、後に続く「今宵はもう夢うつつ やがて閉じた瞳」は誰のことを指すのでしょうか?少なくとも、既に土葬されて死の世界へ向かった恋人のことではありません。では誰なのかというと、残されたもう一人を指します。この後「くるい咲いた夜に」以降で、恋人の死の描写と同じ言葉が並びますが、これは、残されたもう一人が恋人と同じ死に方をしていることを表しています。ただ…これは少し穿った見方ですね。

音楽的にも聴きどころたっぷりです。

唯一無二の佇まいを持つイントロのギター。1回目が終わった後、バックでドラムが入るのですが、そのドラムの音色もトコトコトコシャーン…みたいな、何かの始まりを予感させるような音色で、ドキドキします。シンセサイザーの浮遊感のある音も、妖しげな夜の闇を連想させるかのようです。

「雫は紅」「魂の旋律」の裏で流れるベースのメロディーも絶品です。最後のサビを注意深く聴くと、「魂の旋律」のところで流れるベースと、その後に続く「雫は紅」のところで流れるベースのメロディーが違っていることがわかります。後者の方が、これで最後!と言わんばかりにグイグイ唸っていて、胸に突き刺さる感じがします。

いずれにせよ、こんな死の影の濃い物語を、抽象や比喩で包み、「花葬」というどこかロマンチックな印象すら感じられる言葉でラベリングし、ミリオンヒットさせたL’Arc-en-Ciel。凄すぎます…

finale

(作詞:hyde 作曲:tetsuya)
チラチラとノイズの入る妖しいイントロから始まり、ユラァ〜っとした曲調で物語は始まります。「月の隠れ家で求めあう」二人に、得体の知れない何かが忍び寄り(それは“人“というより“運命“なのかもしれません)、追い詰められ、そこから逃げるでもなく恋人の「憂いの口元に触れた」…何とも言えない耽美的で退廃的な世界観です。

この曲は、サビの歌詞の言葉の綴り方が絶品です。いずれも絶望を強く感じさせる表現になっています。

「終幕へ向かう日差しの中 眩しすぎて明日が見えない」
…終幕へ向かう日差し!
「日差し」という言葉には、通常、温かさや生命の息吹が感じられます。でも、「終幕へ向かう日差し」という言葉から連想するイメージは、クラクラするような強い光が容赦なく辺りを照らしていて、命を感じられない世界です。「眩しすぎて明日が見えない」という部分も、クラクラして視界が真っ白になっている様子が思い浮かびます。

「降り注ぐ罪に彩られた 枯れた道を彷徨い続ける」
…降り注ぐ罪!
黒い雨に打たれるイメージが浮かび上がります。でもそれは雨ではなくあくまで罪であって、その罪に彩られた「枯れた道」を彷徨うしかない途方のなさ。どこにも希望が見えません。けれど、「この愛は誰も触れさせない それが神に背く事であろうと」というフレーズで、覚悟の上で進んでいる道であることが伝わってきます。

「永遠に沈むその祈りに 答えも無く水面が揺れてる」
…永遠に沈む祈り!
この歌詞の前には、「鏡の君は逆さまの微笑みで 途切れそうな夢紡ぎの糸を切った」とあります。「逆さまの微笑み」とは何とも不気味ですが、きっとそれは微笑みを浮かべていても心は絶望しているという点で「逆さま」と表現しているのかもしれません。そして、もう途切れそうになっている「夢紡ぎの糸」(二人が愛し合う道、希望)を、自らの手で断ちます。それを受けての「永遠に沈む祈り」です。今まさに最後の希望を断って、ゆっくりと沈んでゆく(もうどうしようもない状態になっていく)さまが、ありありと浮かんできます。さらに秀逸だと思うのが、その後に続く「答えも無く水面が揺れてる」という歌詞。もはや取り返しのつかない絶望なのに、激しい絶望ではなく静かな絶望であることが伝わってきます。

そんな絶望できな状況の中で浮かぶ「君」のイメージ。「振り向いた君は時を越えて見つめている あどけない少女のまま」…なんだか切ないですね。

DAYBREAK’S BELL

(作詞:hyde 作曲:ken)
哀愁漂うギターのフレーズで始まるこの曲は、続くドラムとベースのリズム隊がカッコイイ曲だと思います。

まずドラムですが、「シャーン!」というシンバルから入って、「ダツッツダツッツ」「トットコトコトコ」「ターンタンタン」「ズズタタ、ズズタタ」の一連のドラミングがバラエティ豊かで面白く、一打一打が鋭い打撃でカッコイイ。

そしてそのリズムが、イントロだけでなく、「ねぇこんな形の出会いしかなかったの 悲しいね」と「あなたに死んでも殺めて欲しくもない お願い」のところまで、基本的には同じリズムでいけちゃってるところがカッコイイです。ベースも同様です。

これの何がカッコイイのかというと、イントロから「お願い」のところまで、ギターとボーカルのメロディには変化が発生しているのですが、その裏でリズム隊は何食わぬ顔で(?)同じフレーズを繰り返しているところです。哀愁編のBlurry Eyesのところでご紹介したポイントと似ているのですが、「変わっている部分があるにもかかわらず、全く変えていない部分もあり、それらが絶妙に調和している」のがかっこいいと感じます。

歌詞は、戦地に赴く恋人の兵士の無事を願う、女性目線の内容になっています。
戦地で、貴方(=恋人の兵士)に死んでほしくもないし、誰かを殺めてほしくもない。哀愁編のfateのところで、主人公の兵士が敵に手をかける瞬間に、生きて帰還したとしても、人を殺めた自分と恋人は結ばれるのだろうか…と、胸が締め付けられるような思いに駆られていましたが、あの予感はある意味当たっているんですね。恋人としては、自分が好きになった人に誰かを殺めてほしくないので…

サビは、「願いよ風に乗って夜明けの鐘を鳴らせよ」という女性の祈りが描かれています。早く戦争が終わってほしいということですね。「無数の波を越え明日へ立ち向かう貴方を 守りたまえ」と、恋人の無事を心から祈っています。

そして秀逸なのが2番のサビの歌詞。「澄みわたる未来が来たなら草花も兵器に 宿るだろう」というフレーズです。戦争が終われば、戦地に置き去りにされた兵器に草花が宿るだろうと言っているのですが、「草花」という表現が、ささやかな平和を見事に表現しています。そんなささやかな平和が早くもたらさるようにと願い、その願いが叶うのなら、私の命を貴方の痛みと引き換えても構わないと思っている。

「どれだけ祈れば 天に届く?」…なかなか終わる気配のない戦争に、やるせなく、もどかしい気持ちでいっぱいですが、「願いは誰にも撃ち落とせない」…この女性は、願いの力の強さを信じています。

以上7曲が、歴史や戦争、そして死の影を感じるL’Arc-en-Cielの歌でした。今回はいつになく説明に力が入ってしまった気がします。

次回は、未来編です。いろいろなことがある中でも、前に進む意志を感じられる名曲の数々をご紹介したいと思いますので、お楽しみに!

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