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池田としえ先生

心理学なんかかじっていたから、子どもを精神医療の被害に遭わせた。子どもが学校でトラブって、色々とヘンなことを言うから、一度相談したほうがいいという発想になったから。子どもが学校を休んだ日、たまたま市がやっている相談室が近くであったから行ってみた。ウチの病院には子どもを診ることのできる医師がいるから診てもらったら、と言われて心療内科に行った。

バカ親の私でも、薬を飲ませることに抵抗があったから、そう言ったら、「耳かき1杯だし、5歳の子どもでも飲む」と言われた。この医者が早く治りますようにと祈った医者だ。

良かったのはその日の夜だけ。それから子どもは狂った。慌てて病院に行き、そう言ったら「薬が合わなかったのね」と言われ、処方を変えられた。
薬をやめるという選択肢はないのか?とその時思ったけれど、医者が言うのだからと打ち消した。そこで通院をやめればよかったのに。

で、子どもが小さいときから世話になっている小児科医に相談に行った。「いい先生だ、子どもを診られる先生は少ないのに、良かったね」と言われた。それで通院を続けてしまった。グルだって気づかないバカ親だったということは、後になって分かった。ちなみに、この小児科医もクリスチャン

結局、途中で通院を辞めたのだけれど、ずっと納得ができなかった。そう思っていたのは私一人。夫には隕石に当たったと思えと言われた。それから色々あって、臨床心理士になろうと思った。その教科書を見て、腰を抜かしてしまった。向精神薬の副作用について書いてあって、子どもに起こった”症状”のすべてがそこにあったから。それをあの医者は「母親のあなたが至らないからだ」って言って、私をなじった。

それから、精神医療被害の勉強会などに参加して、精神医療のあれこれを知ることになった。

あるとき、勉強会で、製薬会社は向精神薬から○クチンに主軸を移しているという話を聞いた。まさか!と思った。それから、○クチンの講演会などに行ったり、ネットを見たり、本を読んだりした。

このことを、もう少し早く知っていれば、子どもに子宮頸がん○クチンを打ちになんて連れていかなかったのに。

それでも、子宮頸がん○クチンの被害者のブログを見たり、なんとなく調べていた。重篤な子は本当に気の毒だと思いながらも、ウチの子は重篤にならなくて良かったと思いながら。


東北の震災でCMがガンガン流され、学校からもプリントをもらった。子どもがインフルにかかって、例の小児科に行ったら、そこでも勧められた。それで迷いなく打ちに連れて行った。

高校に入って、子どもは精神状態が悪くなった。高校が合わなかったからだと本人も私も思っていた。あるとき、被害者のブログを見ていたら、1,2年経ってから副反応が出る人もいるという話があった。アトピーがひどくなったのは、もしかしたら子宮頸がん○クチンが原因?と思った。それから、見よう見まねの食事療法や、デトックスをやってみた。

おかげさまで、好転反応を経て、半年くらいで8割程度きれいになった。色素沈着などは時間がかかるのかもしれないと思った。キレることも格段に少なくなり、賢くなった?とも思った。

今回の液体注入が始まったころ、その当時の話になった。通学途中に駅の階段で足が動かなくなって何度か転んだことがあったと。精神的なものだと思って、言わなかったって。恐ろしくなったよね。そういえば、心臓がバクバクするからと検査をしてもらったけれど、異常なしと言われたし、視界がへんだと言う話もしていた。さすがに、精神科に行こうとは思わなかったけれど。

子宮頸がん○クチンの副反応が騒がれたとき、こういった不調を「心理的なもの」として、精神医療にぶっ込む流れもあった。今回もその動きがあるようだ。ネットで拾ったもので、日付が分からないのだけれど、産経新聞にあったらしい。


液体は怖い。

打った直後は特に不調が出なくても。
因果関係をお上が認めなくても。

3回目を打たなくて本当に良かった

それは、止めてくれた人がいたからだ



今回の騒ぎはいやなことがたくさんあったけれど、新たに知ったことも多いし、感謝することも多い。子宮頸がん○クチンを止める中心にいた人と直接お話をすることもできたし、どういう経緯で止められたかについても知ることができた。


去年、講演会に参加し、二次会にも参加させていただいた。メインでスタッフをしたわけでもないのに、お隣に座らせていただき、そのお人柄を知ることができた。池田としえ先生は本当に日本の宝だと思う。当選されて、先生ご自身もおっしゃっていたけれど、液体に対する人々の反応ということも今回の選挙の関心事だった。私も興味を持っていた。だから、二重に嬉しい。


私は、政治であるとか、デモだとかそういう形でこの騒動に関わることはないと思う。液体を打ってしまった家族が死んだら裁判をすることは決めているけれど。別の形で、これが悪しき流れであることを人々に気づいてもらう努力をしたいと思っている。先生の当選は、そんな私に喝を入れてもらえる出来事だ。


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