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幼稚園の個人マーク(の思い出)

息子が幼稚園に入ったら、靴箱やロッカーの名前の横にワンポイントのシールが貼られていました。


例えば乗り物や花など、一人一つずつ決まったマークが割り当てられ、まだ文字が読めない子でも自分の場所を認識できるようになっています。


これ、「個人マーク」などと言うらしく、少し前にSNSでも"我が子が何のマークだったか"というのが話題になっているのを見ました。


私が幼稚園の時にもあったけど、長年続く全国共通の文化だったとは知りませんでした。


ちなみに私が幼稚園児だった時のマークは、キツネでした。

つり目で地味で、昔話でもあんまり良いキャラじゃなさそうな、可愛くないキツネでした。↓

伝われ


私は、ハズレを引いたと思いました。



だって、隣の子はスイカだったんです。


カットしてあるスイカの絵で、パッと見ただけで美味しそうだし元気そうだし、良い印象しかありません。


なんか、差がありすぎませんか…



ある時、参観日か何かで母が幼稚園に来た時、私のマークを見て言いました。


「キツネが当たるなんて、いかにもあんたらしいよね(笑)

◯◯ちゃん(隣の子)はスイカなのに。」


私は自分で薄々思っていたことをハッキリ言語化されて傷つきましたが、全く異論はありませんでした。


実は、スイカマークの子とは幼稚園に入る前から仲良しで、お互いによく知っていたのです。


彼女は明るくて私より背が高く、社交性もあるし絵が上手くておしゃれな子でした。


だから、真っ赤なスイカマークはピッタリだと思いました。


そして私は、彼女とは真逆な点ばかりだから(特に絵のセンス)、キツネマークにされても仕方ないのだと思わざるを得ませんでした。


地味なキツネの隣で、赤々としたスイカのマークはとても輝いて見えました。


大人になった今、このことを客観的に見てみると、私は5歳にしてすでに「自分は貧乏くじを引かされて当然な人間である」と思い込んでいることがわかります。


それって結構、問題ではありませんか。


だけど、私は物心ついた時から、親と祖父母に怒られる時はだいたい周囲の子と比較されていた記憶があります。


例えば「ご飯をいっぱい食べないから◯◯ちゃん(←スイカの子)みたいに背が伸びないんだよ!」とか…


だから自然と「私は周囲より劣っている」と思うようになっていったのだと思います。


でも、自分でも幼馴染たちとの能力の差を実感することはたくさんあったので、どうやっても結局自信を持てるようにはならなかった気がします…



そんなわけで、私は今でも理由なく「自分は劣っている」と思ってしまう癖があります。


このような思い出があるので、息子のマークはけなすまいと思ったわけですが…



息子は「わー良いじゃん!」と自然に言えるマークでした。


他の子のマークは見ていないですが、絶対ハズレではないと思います。


ていうか、仮にキツネマークがあるとしても、令和ではおめめがきゅるきゅるして尊く描かれているんじゃないでしょうか…?


〜〜〜〜〜〜〜


私は久しぶりにキツネマークのことを思い出したことで、息子にはできる限り前向きなフォローを心がけよう、と思いました。


集団生活の中に入ると、どうしても個人の得意・不得意が浮き彫りになり、それによって弱者と強者に分かれてしまいがちです。


また、私のキツネマークみたく、ハズレと思うような物や役割が自分に回ってきてしまうことも…


親のフォローだけではどうにもならないこともあると思いますが、やっぱり我が子には自分と同じ感情を味わって欲しくないものです。



余談ですが、5歳の私は何のマークだったら喜べたのか考えてみました。


ピンク色とお姫様、宝石みたいにキラキラしたものが好きだったので、とにかく可愛いものが良かったです。


果物だったらイチゴやさくらんぼ、動物ならウサギ、あとはリボンとかでしょうか。


…だけどやっぱり、私みたいな人間は果物だったら柿とか(←美味しいから食べるのは大好きだけど、マークとして可愛いかと言われると微妙)、

あとは、絶対無いと思うけど花だったら菊とかドクダミとか、「何でそれ?」みたいなのしか回ってこない気がします…。



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