水戸黄門について考えた。

徳川の世が終焉を告げて、今年で151年。

大政奉還により時代は明治へ、日本は文明開化を経てどんどん近代化への道を辿る。

15代将軍、徳川慶喜まで太平の世を誇った江戸時代はその幕を閉じ、新たな幕開けとともにこれまでの価値観はどんどん更新されていった。

日本は二度の大戦を挟み、資本主義国家として栄華を誇るまでに至ったにも関わらず、テレビでは未だに「時代劇」と言われる江戸時代をテーマにしたドラマが生き残っている。

それはもしかしたら、とどまることを知らないスピードの中でもがく現代社会の人々の心のオアシスとなっていると言ったら言い過ぎだろうか。

今回はそんな時代劇の中でフラッグシップとも言える超有名作「水戸黄門」について私が考えたことをここに記したい。


もはやここで説明する必要もないかも知れないが、念のためここで水戸黄門について復習しておきたい。


水戸黄門の本名は徳川光圀、常陸水戸藩の第2代藩主にして徳川家康の孫、「大日本史」を編纂した事も有名なex.副将軍である。

隠居したのちは身分を隠し、ちりめん問屋のご隠居として全国を行脚し、悪徳な権力者たちの悪巧みを暴いて世直しを図った。

悪事を嗅ぎつけた黄門様は手下に指示し、美味いものを食べたりお風呂に入ったり宿に泊まったりしながらその全貌を掴んだところで悪者を力で制圧、乱闘が落ち着いた頃に葵の紋所が入った印籠を振りかざし(およそ20:45頃)、問題の解決を図るというのが大筋だ。世界中で今も愛され続けている、いわゆる「勧善懲悪もの」である。


だが待って欲しい。

その悪事を働く代官を統括しているのは、一体誰だろうか?

藩主である。

その藩主を統括しているのは誰だろうか?

幕府である。

任命責任から考えてみれば、責任の所在は明らかに幕府。
その幕府の末端の人間が各地で悪さを働いている。
それを、幕府の要人が自ら罰して回る。

これはもう幕府による庶民のガス抜き、マッチポンプと思われても仕方ないのではないだろうか。

もしも真に世の中を良くしたいならば、黄門様は全国を行脚している場合ではない。

一刻も早く戻り、江戸城に登って人事や仕組みを見直すように働きかけるべきではないだろうか?

むしろ自ら幕府の要職に戻り、その中に巣食う悪の構造の根本を叩くべきではないだろうか?


という事で、今後の水戸黄門は全国行脚して悪を叩くのではなく、黄門様が江戸城で人事の書類を確認したり新たな組織図を提案したり各部署と個人面談したりする様を映す60分となります。



*「水戸黄門はフィクションだよ」というクレームは受け付けません。

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