幾何かの想像力を以ってして、明確な殺意の下、僕は人を殺した

偶に生きていて「これはちょっと危ないな」と思うことがある。偶にといっても結構ある。
ふと我に返った瞬間まで、越えてはいけないラインの少し手前まで気づいたら立っていることがある。
猟奇的な犯罪者と普通の人との違いは、決定的な違いは、実害を伴う罪を犯したかどうかの「結果」だけであって、普通の人の中にも間違いなく猟奇性は孕んでいる、過程だけ見ればさほど変わりは無いのかも知れない。黒くてどろどろとした塊を溜めている人はかなりいる。少なくとも自分は抱えてしまっている時がある。環境が今よりも悪ければそっち側の人間になっていても不思議ではない。何も自身を特別視している訳では無い。ただ、こうして生きていて超えそうなラインの淵まで来て、でも超えないで、こっち側に戻って来ているだけであって、超えてしまう可能性はいつだってある。
でも幸い超えた先は超えなくても分かっているので(そこまで考えられる程には理性はしっかりとしたものがある)、色々鑑みて「止した方が得策だな」と思いとどめているだけである。
それに、もう二十年近く生きているのでそういう時にどうすれば良いのかも流石に分かっている訳で、「だからこれからも淵に立ってしまうことはあっても、超えることは多分一生無いんだろうな」とは思っている。まだ自分には守るべきものがあって、頼るべきものがある。それだけあれば十分だと思っている。
日常感じることの無い明確な殺意。ごく偶に、ふっとやってきて去っていくような殺意。
先が見えていないと色々と怖かったりする。不安感に苛まれるのは先が見えないからであって先が見えてしまえば案外何とかなる。


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