見出し画像

「だれがいい仕事をくれるのか?」を考える

自分は「与えてもらう側」だと思っていた。


なぜだろう。

大学まではそうだったから。

授業に行ったり、サークルに行ったりすれば、

教えてくれる先生や先輩がいた。


「よさそうだ」と思う団体だったり

「やりたいな」と思うプロジェクトに参加するだけで、

面白いことができていた。


そして、そこに所属しつづければ、

それっぽくリーダーぶることができ、

与える側になることも簡単だった。

同じことを教えていけばよかった。


組織をつくっているのは誰かで、

私はその組織をつくる一員ではなく、

組織の営みを享受する側のような気がしていた。


そうではないと気づいたのが、

社会人になってからだった。


最初についた先輩は、

同期のついた先輩と比べると、

なんというか、パッとしない先輩だった。


「いい仕事」をするチャンスが巡ってこなかった。


ここでいう「いい仕事」とは、

面白いクライアントとか、

世の中で話題になりそうな予算がたくさんあるプロジェクトとか、

そういうものだ。


実は、「いい仕事」を与えてもらったこともあった。

でもその度に、チャンスを棒にふっていたのも自分だった。


「いい仕事」がきたときのための肩慣らしができていない。

もっというと、「いい仕事は与えられるものではなく、自分でつくるもの」

という意識がない人間の仕事が、よくなるはずがない。


いい仕事には、いい仕事をつくっている人が必ずいる。

頭に汗をかいて、寝る時間を削って、誰かを説得して。

なんとか形にするために、頑張っている人が必ずいる。


いい仕事をしたい。

それをくれる人間は、残念ながら、私しかいない。

ここでは、自分のために、書いたり、描いたりしてみようと思います。