見出し画像

SSOAUURCCEE(短編小説)

 ソース。それを持っている先輩のことを、私はたまらなく恋い慕っています――ソースとは、調味料のことではありません。たとえば個であること、個であるという自分を肯定すること。たとえば、粋で洒落ていること。先輩は二年生から三年生になっても、部活動をしていても、引退をしても、いつだって個で、孤立ではなく孤高で、高僧のように気高く、狂想曲のように奇矯で、そして決して、自由への衝動に溺れることなく過ごしておりました。
 迷惑な俗人とは全く違います。迷惑をかけなくては、個性を証明できないと勘違いしている愚かな者たちと、先輩は違います。先輩は人を救い、真実や活路を目聡く射抜き、そして誰も知らない世界から持ってきた喜びやスタイルを以てして、感心と啓蒙を授けるのです。
 ひとつの例を挙げましょう。私が自分に迷っていたときのことです。自分という存在はどうあるべきなのか、目指している精神状態は我慢と解放のどちらなのか、その迷路にいる私は正気か狂気かすら、わからなくなってしまっていたときのことです。
 先輩は言いました。
「きみの望みを抑えつける権利なんて誰にもない。望みのための行いによる、被害があるのなら文句を言う権利はあるけれど。きみはきみらしく生きればいい。考えるべきはそのうえで迷惑をかけるかどうかであって、きみらしく生きるか生きないかじゃないよ。悩むまでもないことなんだ、きみはきみらしく煌めき生きるしかない。そのうえで、じゃあどんな風にきみらしく生きるか、を考えるべきなんだ」
 もちろん、私は訊ねました。私らしく生きるとは、どういうことなのか、と。
「嫌なことをせず、好きなことをして、なるだけ居心地のいい未来を目指して、きみが愛したい人とともにいること。きみらしい生活って、そういうことだよ。もちろん、それは難しいことかもしれない。よっつとも叶えることなんてそうそうできない。でも、みっつ、あるいはふたつなら頑張れば手に入るかもしれない。自分らしく生きるとは、自分らしい生活を目指す努力を忘れないことなんだよ」
 私はそれを聞いて、先が啓けたような感覚を抱きました。自分らしく生きるか生きないか、など悩むまでもないことであり、どのように自分らしく生きるかを、つまり自分らしい生活を、どのように目指すかということを悩むべきだと教わったのです。胸の霧が晴れて、迷路から抜け出すことができました――目の前には、シンプルな選択肢だけがありました。
 謝意を告げると、先輩は微笑みました。神様でした。
 そのような先輩に私が恋をしてしまったことは、言ってしまえば当然のことではないでしょうか。
 そして、私はいま、幸せの絶頂にいます。なんといっても、そんな先輩に、愛の告白を受諾していただけたのですから。
「卒業するまでなら、いいよ。誰かと付き合ってみたいって思っていたところだから」
 その日は十二月の初旬でした。卒業は三月の初旬ですから、つかの間の幸福かもしれません。しかし、つかの間であっても、私ごときの人生に先輩の恋人としての甘美な時間があったという事実はきっと私に、あらゆる窮地からサバイブさせ、あまねく不幸を些細なものごととして捉えさせるポジティブを授けることでしょう。
 先輩。先輩は私のことをどのように思って受け入れてくれたのでしょうか。私は先輩からどのように想われているのでしょうか。同族でしょうか。それとも、都合のよい存在でしょうか。まさか、先輩も私を愛しく感じていらっしゃるのでしょうか。まさかまさか。そんなはずがありません。私はあくまで運がよかっただけです。運命のふたり、などと表現をするのはおこがましいですが、ある側面から見ればそれは真実かもしれません。
 先輩。先輩。
 先先輩輩。
 あはは。
 私たちはさっそく、デートというべき時間を過ごしました。先輩の手は私よりも少し大きく、包み込まれると大いなる安心が生まれました。永遠に離さないでほしい、などと本心から感じました。
 手をつなぐのは人通りの少ないタイミングに限られました。他者に不干渉な時代ですから誰もそのようなことは気に掛けないかもしれませんが、先輩が、気になる、とおっしゃるので私は追従するほかありません。恥じらいなのかもしれませんし、警戒なのかもしれません。
 私と先輩の交際は他言を許されないものです。人間的な魅力に溢れた先輩は少なからぬ人間から思慕の念を抱かれていますから、私が交際相手である、ということが広まったならば、私に危害が及んでしまう可能性が否定できません。先輩は私を守ろうとしているのです。その意向に、思いやりに背くような恋人にはなりたくないと、私は心より思います。
 二度目のデートは散歩でした。先輩のお宅のご近所を散策しながら、幼少期の先輩のエピソードを拝聴しました。先輩の生きざまのひとかけらを、心身を構成するパーツを私のようなものに披露していただけることが光栄で、ため息が出るほど幸せでした。
 駅までの帰り道、少し喉が渇いたという旨を伝えた私に、先輩は飲みかけたスポーツドリンクを貸与してくださいました。休日の昼間、人に囲まれる駅前で、私は先輩の唾液や唇の痕跡に唇を合わせました。間接キスは最も秘密の愛なのではないか、と思いました。何せ、当事者でない者には私がそれを行っているということが露見しえないのですから。隣を、すれすれを通り過ぎていく者たちは誰であっても、私の持つペットボトルの飲み口の歴史を、文脈を知らないのです。私がどんなに胸を高鳴らせながら先輩の隣でスポーツドリンクを飲んでいるのか、見透かせるわけがないのです。
 私と先輩だけが、間接キスを知っているのです。それが起こっていると感じているのです。
 誰も知らないふれあい。
 内側が満たされながらぞくぞくと刺激され、欲動の湧き出るのが感じられます。どうにかなってしまいそうで、先輩を見つめてみると、先輩は大きな手で私の頭を撫でてくださいました。私は犬のような心地で素直に嬉しがることしかできませんでした。
 先輩は何をどのようにすれば私の鼓動をからかうことができるか、すっかり理解しているように思えました。
 クリスマスイブはホテルに行きました。
 それは交際開始のときから決まっていたことでした。私は二回のデートと並行して、その日のための準備をしていました。私も先輩も未成年で、門限がありましたので、宿泊はできませんでした。それから、クリスマスらしいディナーなどのあとにホテルを使えるほど、懐の温い高校生ではありませんでした。それからそれから、クリスマスということもあり、夜間のホテルとなると休憩であってもそうそう空きはありませんでした。昼間の休憩であれば、どうにか見つけることができました。
 先輩も私も初めての、新境地とでもいうべき感覚を、手探りで切り拓いていきました。憧憬の対象である先輩もまた未熟な側面を持っているのだ、いま私たちは未熟さを重ね合わせながら内外から増幅させられる熱情のなかでもがいているのだ、ことここに至るまで気づいてもいなかったお互いの痛痒を乱し合い癒し合っているのだということに、言い尽くせない幸福を抱きました。
 そうした欲情の坩堝においても、私と先輩はある面で冷静でした。私は確実なことを、出典のたしかな情報だけを信用し、それが不在であるならば踏み出せないところのある人間でした。そして先輩はそのような私の性癖を受け入れ、お互いにとって危険な行いは絶対に試しませんでした。避妊具は外されませんでしたし、細菌感染などの恐れのある行いへの好奇心も抑えました。
 メッセージでのやりとりしかなかった寂しい正月を挟み、最後の三か月間が始まりました。私はクリスマス後から神社でアルバイトをして、デートのための代金を用意しました。
 先輩は三月の初旬には学校を卒業してしまいます。どの角を曲がり、どの教室を覗いたところで先輩の姿を求めることはできなくなってしまうのです。想像してみると、それは砂漠のような環境でした。ありふれた比喩ですが、先輩はオアシスです。私にとって、この世界のただひとつの楽園です。私は先輩といるためなら級友など、どうでもよいと心から思いました。校内をすり抜けるように私たちは逢い、誰にもわからない愛を育みました。
 土曜日は月に二度、級友に遭遇しないような遠い駅を選び、ホテルに入りました。私はあるとき先輩にせがんで、ホテルの一室で口淫をしました。口内と性器を充分に洗浄したのち、それは行われました。性器は熱く、生臭く、ぶにぶにとしていて、美麗とは言えませんでした。そしてだからこそ、美しく気高い先輩はしかし作りものではないのだ、生きとし生けるものなのだ、私と同じように臭気を帯び細菌が繁殖し体液が分泌されているのだ、と感激し胸がいっぱいになりました。性の交わりは愛の確認と呼ばれますが、愛だけではなく生、肉体のありさま、人間であることそのものも、また確認されているのではないでしょうか。いまこのときに。
 どこまでも生物である先輩にひざまずきながら、私は奉仕のためのマシンのように自分を律し、愛を与えました。幸福で幸福でしようがありませんでした。
 先輩先輩先輩。可愛らしいと、最近では不躾にもそう思うことがあります。
 美しさとは静止画で、可愛らしさとは動画だと、私は思います。私は先輩の動き回る姿を、めくるめく表情変遷を、隣で向かいで後ろで、いつだって焼きつけてまいりました。だから私はそのたびに、可愛らしいと感じてきたのかもしれません。私は先輩に踏み入るまで、あるいは先輩が踏み込ませてくださるまではずっと、写真や遠景で突出する先輩の姿を眺めるばかりでした。先述の、迷路から脱させていただいたときのことも、時間にしてみればただの数分ほどの出来事でした。その距離では、あるいはその短時間では、わからなかったのでしょう。先輩は可愛くて、特別さを抱えながらも一般的な側面もあるのだと。痛みを痛がり、残念を残念がり、快感を感じるのだと。
 先輩先輩先輩。私のことも、たくさん伝わってきたことでしょう。
 先輩は自分からは口にしませんが、きっととっても私のことを愛してくれているのでしょう。先回りする声かけや、受け止めてくれる優しさ、予期していたみたいな気遣い。先輩の脳髄が私のために、私を苦しみや疲弊や混乱から遠ざけるためにリソースを割いてくださっていること。それが愛でなくてなんというのか、私にはわかりません。私は先輩の愛をわかっています。そして、ご自分からは言ってくれないところも、照れなのだということは容易に想像できますから、なんとも可愛らしいと感じます。
 先輩。
 先輩先輩。
 先輩先輩先輩。
 私は寂しいです。
 先輩と私の関係が三月になれば立ち消えてしまうことがたまらなく寂しいです。日付を見るたびにタイムリミットが肺と気管につまり、私は息ができなくなります。永遠に近くにはいられないとわかっていました。どんな恋愛関係も、いつかは別れてしまったり、遠距離恋愛となってしまったりといったことが起こるものなのだと理解して、私のこの恋愛もその一例に過ぎないのだと冷静なフリをしていました。深く悲しむほどのことではなく、ただ毎日を無駄にしないように愛せばよいのだと考えていました。ですが、タイムリミットが間近に迫ると、それはよその恋人間の話ではなく、目の前に、隣に、後ろにいる先輩と私の話なのだという実感がわいたとき、そのような冷静を保つための思考は無に帰しました。抱き合うたび、これが永遠ではないということが頭から離れないようになってしまいました。幸せになればなるほど、顔の真中が何かに引っ張られるような感覚に襲われました。
 それから、先輩が私に好きともなんとも言ってくださらないことがどうしようもなく寂しいです。先輩が愛情を注いでくださっていることは理解しています。ですが理解は必ずしも正解ではありません。私が愛だと感じている施しが本当に愛情であるのかわかりません。愛でなくてなんというのか、私にはわかりませんから、もしかしたら愛ではない何かなのかもしれないと思ってしまいます。先輩がご自分から伝えてくださらない理由は照れによるものだ、という想像は私にとって都合がよすぎる甘い夢のように思えて仕方がありません。愛されているという根拠が自分の脳内解釈にしかないということは、私のような小心者にとってはひどく心苦しいことです。もしかしたら自宅が放火魔に目をつけられているかもしれない、という可能性が全く消えないまま過ごす日々のようなものです。何もかもが思い上がりであり、先輩は私などと時間を過ごしたところで全く愉快ではなかったといつか告げられるかもしれません。そのような想像を夢に見て、飛び起きても不安は膨張したままです。
 先輩。
 三月になってしまいました。
「先輩」
 卒業式の予行演習が終わった放課後、誰もいない教室で、私は先輩に言いました。薄暗い教室に外の夕焼けが差し込んでいました。
「どうしたの」
「先輩は、」
 私のことが好きでしたか、と言うことができませんでした。そんなことはなかった、ただ恋愛関係というものを体験したかった、肉体関係も体験することができたからラッキーだった、などと言われてしまうかもしれないと思ったからです。先輩はそういうことを伝えるにしても、もっと言葉を選んでくださることは重々承知でした。ですが、膨らんだ不安が見せる未来は露悪的なものなのです。
 私は、怪訝そうに首を傾げる先輩に、代わりに訊きました。
「先輩。どうしてあのとき、私に、同性愛者だと告白してくださったのですか」
 すると先輩は言いました。
「きみのくれる視線が、恋慕のそれだということに賭けてみたんだ」
「……どういうことでしょうか」
「お恥ずかしながら、高校三年生まで生きておいて、誰かに恋をしたのは初めてで。何もわからなくて、自分から言い出せなかった。だから、きみと両想いなら、……もしもそうなら、可能性があることを示したら、もしかしたらって」
 私が同性の先輩に愛の告白をすることができたのは、先輩が同性愛者だと告白をしてくださったからです。同性の身で告白をしても傷つけてしまわない、と思える根拠でした。先輩自身の発言ということは、先輩について捉えるうえで何よりも確実なソースだということです。先輩がそれまでクローズにしていた性的志向を、私からアプローチをしてほしいという理由で私だけに告白してくださったこと。私が望んでいたよりずっと私に都合がいい真相、その情報ソースもまた先輩自身の発言だということが、泣き崩れてしまうほどに幸甚です。
「先輩。好きです、大好きです」私は泣きながら、抑えきれずに縋りついてしまいます。「先輩。先輩先輩。先輩先輩先輩――別れないでください。私から離れないでください。どこにも行かないでください。卒業したからって、そうと決まっていたからって、私の前からいなくなったりしないでください。私が好きなら翻してください。私を愛しているなら、決めてあったことなんて、あっさり覆してください」
「ごめん」先輩は私を抱きしめて、言いました。「ごめんね。大好きだよ。ごめん。本当にごめん。泣かせてごめん。寂しがらせてごめん。離れたくなんてないのに、それなのに、きみがそんなことになっているって伝えてくれたのに、何も変えられなくて、変えていいのかどうかわからなくて、ごめん」
 先輩は涙こそ流しませんでしたが、その声には普段の堂々としたものではなく、ゆらめく陽炎さながらの惑いがございました。
 私はそれでも嬉しく思いました。大好きと明言していただけたこと。そして、先輩も私と同じで、離れがたく想ってくださっていたこと。
 私は幸せです。手離したくないほど。
 先輩は、進学も就職もしませんでした。高校を卒業すると、その行方は誰にも掴めなくなってしまいました。メッセージアプリのアカウントは消去され、電話番号も繋がりませんでした。先輩のお宅をおとなってみましたが、もぬけの殻でした。
 私の心のようでした。何故なら私にとっては先輩こそが世界でしたし、先輩こそが世界となるべきだと信じて疑わなかったのですから。
 だから私は先輩がいなくなってから、先輩を捜すために時間を使いました。先輩はもしかしたら、私が受験勉強もせずにそのような行いをすることを望んでいないかもしれません。ですが、先輩はかつておっしゃいました。
『嫌なことをせず、好きなことをして、なるだけ居心地のいい未来を目指して、きみが愛したい人とともにいること。きみらしい生活って、そういうことだよ』
『自分らしく生きるとは、自分らしい生活を目指す努力を忘れないことなんだよ』
 私は先輩のいない世界で生きるのが嫌で、先輩を求めることが好きで、先輩のいる世界こそどこよりも居心地がよく、愛したい人など、先輩のほかには、考えられません。
 私は私らしく生きます。そのために先輩を捜し続けます。
 だからどうか先輩も、先輩らしく生きることができていますように。
 捜すなかで、先輩のご家庭にただならぬ事情があった、というお話を、先輩と同じ教室にいたという卒業生の方から聞きました。詳らかで辻津の合う逸話もお聞きしましたが、私はここにその内容を記述するつもりはございません。
 先輩自身の口から肯定されない限り、情報ソースとして信用し拡散してよいものとは、私にはとても思えないからです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?