見出し画像

歴史・人物伝~太平記・倒幕編⑩天皇方についた足利尊氏

歴史・人物伝~太平記編の第10回です。

第9回でご紹介した楠木正成は「忠臣」の代表的人物でしたが、「逆臣」の代表的人物とされたのが足利尊氏。後醍醐天皇の親政を打ち破り、征夷大将軍として幕府を開いたため、「逆臣」とされたのです。

しかし、後醍醐天皇の倒幕が成功したのは、足利尊氏が天皇の味方に付いたからです。尊氏は幕府(北条氏)から大軍を任されて、倒幕勢力の討伐に出陣しましたが、密かに天皇方と連絡を取っていました。

当時、京都には幕府の組織である六波羅探題がありました。尊氏は西国の武将らを引き連れ、六波羅探題を攻め滅ぼします。北条方が一掃されたことを受け、後醍醐天皇はようやく京都に戻れました。

幕府にとって「反逆」といえる行動を、尊氏はどの時点で決断したのでしょうか。鎌倉を出陣する際には「思い」を持っていたと思われますが、実弟の直義など少数の者しか知らなかったと考えられます。

尊氏は、北条高時から「高」の字を授かって「高氏」と名乗り、北条一族の女性を妻に迎えています。北条氏は「尊氏は身内同然」と思っていたに違いありません。だからこそ、尊氏の「反逆」は致命傷になったのです。

そして、幕府の本拠地である鎌倉にも倒幕軍が襲い掛かります。その主役が新田義貞です。次回、詳しくご紹介します。


noteでは連載コラム、エッセイをほぼ毎日書いています。フリーランスのライターとして活動中ですが、お仕事が・・・ご支援よろしくお願いいたします!