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歴史・人物伝~松陰先生編⑦仲が良かった松陰と、きょうだいたち

歴史・人物伝~松陰先生編の第7回です。

野山獄での収監から許された吉田松陰は、自宅の杉家で幽閉の日々をおくることになります。杉家は、父の杉常道、母の滝、兄の杉梅太郎(民治)のほか、複数の妹や弟たちが暮らしていました。

梅太郎は松陰の2歳年上で、兄弟の仲はとてもよかったそうです。幼い時から松陰を生涯励まし続け、明治になって官職を退いてから松下村塾を継承しました。晩年は松陰の思い出話を人に聞かせていたといいます。

千代は松陰の2歳年下の妹で児玉家に嫁ぎました。明治41年に雑誌のインタビューで兄・松陰について語っていますが、松陰の人柄や家族愛など、血気盛んな志士とは違った人物像を紹介したのです。

寿は小田村伊之助(楫取素彦)と結婚します。小田村は松陰とほぼ同世代の長州藩士で、松下村塾を開いたり、再度牢に入れられたりした時には、良き相談相手になったようです。

文は松下村塾の塾生だった久坂玄瑞と結婚します。久坂は若くして亡くなってしまいますが、その後も杉家とは縁が深く、明治になって寿の死去後、楫取と再婚するのです。

末弟である敏三郎は、生まれつき耳が聞こえなかったそうです。幽閉の身だった松陰は、家族相手に講義を行っていましたが、障害のある敏三郎を教えることは松陰自身も勉強になったのではないでしょうか。

自宅での教えは、家族から近所の人たちへと広がっていき、やがて叔父の玉木文之進が開いた松下村塾を継ぐようになるのです。

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