幸せになるという幻想

【“幸せになる”という幻想】

・自分を責めるのをやめられない
・自分を好きになれない
・いつも自分を責めてしまう
・悪いのは私だから

こんな思いに駆られることはありますか?

・それは私が弱いからだ
・私は変われないから
・自分を好きになるやり方がわからない

そう思ったりしていませんか?

これ、実は
自分を幸せにしたいっていう
隠された根本的な欲求から生まれていると
ご存知でしたでしょうか?

いやいや、そんなはずはないよ!
現に自分を好きになれてないし
幸せでもないんだから!
私だって幸せになりたいよそりゃ!

と思うでしょうか?


ここで注目です・・・


「私だって幸せになりたい」


そうなんです
幸せになりたいんですよね?

ほら
幸せになろうとしてますよね?

そんなこと言ったって
それは言葉遊びでしょうよ!

そう思う方も少なくはないかもしれませんが

よくよく考えてみてください
もう一度上の文章を読んで頂けますか?

すご〜くシンプルに読んでみて下さい

いやいや、そんなはずはないよ!
現に自分を好きになれてないし
幸せでもないんだから!
私だって幸せになりたいよそりゃ!


どうですか?
幸せになろうと切実に願ってはいないでしょうか?


人間誰しもが幸せになる為の思考や行動を取っています

しかしながらここで
大きなジレンマが起こります


幸せになりたいけどなれない…


この考え方こそが
大きな落とし穴なんです

誰から教わったのでしょうか?


幸せは[なる]ものなのだと


そもそも幸せって
なるものなのでしょうか?


幸せって
掴みにいくもの
取りにいくもの
なのでしょうか?

幸せは自分のに存在するんでしょうか?

誰がそう決めたんでしょうか?

ここがなかなかに盲点であり
陥ってしまいがちな罠のようなものなのです


結論から言うと

幸せは【状態】

そう私は捉えています


状態?


頭にハテナが浮かんだ方もいらっしゃるかもしれません

何を言っているんだこいつは?

と思われた方もいるかもしれません

もしかしたら
屁理屈に聞こえる方もいるかもしれません

もし、まだ疑いの心が拭い去れずにいるのなら
それはもしかしたら
相当な呪いにかかっているのかも知れません…

そう

私は幸せになってはいけない…

という呪いに…


もちろん
どんな価値観、概念を選んでもかまいませんし

選ぶこと自体、私たちの自由であり
そして自分自身にしか決められないことです

自分が自分の概念を選び
自分の価値観を作っています

というより
自分しか価値観や概念を選ぶことは出来ないんです

不可能なのです

いやいや、だって
あの人もあの人もみんなそう言ってるし
あの人にそう言われたし教えられたから
今の自分の価値観や判断基準があるんだよ!

よくわかります

そう思ってしまうのもよくわかります

実際、私もそうでした…

ですが
ですがですよ?

はたして本当にそうでしょうか?

意識的であれ無意識的であれ
誰かから教えられたことを
「○○は○○だ」と自分に取り入れたのは誰でしょう?

親でしょうか?
友達でしょうか?
親戚でしょうか?
先生でしょうか?
先輩でしょうか?

「だってそう言ってたもん!」

はい、言ってたと思います

そう、言ってたんです

言っただけなんです

ただ、言葉にして話した
あるいは
行動で表現していた

だけなんです

私たちが選ばなければ
その信念や価値観などのビリーフは
私のものにはならないんです

例えば言葉

話した言葉の意味がわからなかった場合
どれだけ教えられても意味がわからないので
私たちのビリーフになりようがないんです

「そらそうでしょ、わからないんだから!」

「わからない」という理由が
はたして、ビリーフにならない原因になるのでしょうか?

仮に意味がわかったとして
それが自分のビリーフになる原因になるのでしょうか?

ここ大事です

私たちは自分自身で
そのビリーフに同意をしない限り
私のものにはならないんです

少しずつ掴めて来ましたでしょうか?

全ての価値観、信念などのビリーフは
自分が選び、同意し、私のものであると
私が取り入れた事から始まっているんです


さて?
私たちはどうして
幸せになろうとするのでしょうか?

【 幸せになる 】

という概念や信念は
本当なのでしょうか?

先に述べましたが

幸せとは状態

のことなのです


ここで試してみて欲しいことがあります

自分が信じている事
それが正しいとしていること
自分のビリーフ

一度疑ってみて欲しいのです


・それは本当にそうなの?
・誰が決めたの?
・本当に正しいの?


そうなんです
実のところ…

幸せになるという表現は
必ずしも正しいとは言えないかもしれない

ということです

ではどういうことなのでしょうか?

幸せは
【 なる 】

というよりも

幸せで
【 ある 】

という状態を指して話した方が
より本当の姿に近づいていく

私はそう思っています

もっと言うならば

幸せだと感じる
もしくは
幸せだと感じている

まさにその状態

それが
幸せである
ということなのではないかと思っています

この幸せの定義を持ち込めば
幸せである状態は

幸せな感覚や状態を
意図的に選んだかどうか?

と捉えることが出来るようになります

もちろん
幸せな感覚を味わうための
キッカケは沢山存在すると思います

音楽だったり食べ物だったり
旅行だったりおしゃべりだったり

色んなキッカケを作ることは出来ると思います

ただそこで
一色単に考えてしまいがちなことが

何かをすれば、または何かを達成すれば
私は幸せになれる

といった
物事ありきの条件付きの幸せ観です

出来事と幸せという体感を
同じ1つのものとして捉えてしまう

これが幸せを見えなくする
あるいは、わからなくさせる
とても大きな幻想の1つだと思います


『次の記事も気になるなぁ〜』と思った方は
フォロー宜しくお願い致します☆

================================
❝ 役にたったなぁ~ ❞
❝ タメになったなぁ~ ❞
と思って頂けた方は

下の【サポートをする】ボタン を押して
「金額を選択する」 or 「任意の金額入力」 して
支援して頂けたら嬉しいです♪

~ サポートとは ~
======================

少しでも「これタメになったな~」「他の人の役に立つな~」と思えたら、【サポートをする】ボタンを押して支援宜しくお願いします☆ シェア、スキも宜しくお願いします♪