犯人探し

 責任、原因を厳しく追及する社会。そんな息の詰まる世界を私たちは生きている。近頃でいえば、それは芸能人の不倫であったり、政治家の汚職であったり、スポーツ選手の揉め事であったりする。私にとって至極どうでもいいニュースが、テレビの中ではコメンテーターによって延々と討論し続けられる。事件や事故が起きた時、決して再発することのないように、同じ悲しみを味わう人が生まれないように、社会は犯人探しを白熱させてきた。ひょっとすると、その被害者たちさえ望んでいないような結果をも招いている気がしてならない。原因や犯人が分かればもう同じことは起きないと安心するから、必ずしもそれは悪意に満ちた行動ではないのだろう。人はわからないことや、未知のことを何よりも恐れるのだ。だがやはり過度な責任追及は、正しさを振りかざして大事なことを見失っているように私は感じる。ハドソン川の奇跡の英雄、チェスリー・サレンバーガー機長とジェフリー・スカイルズ副機長もそんな風潮の被害者と言えるのではないだろうか。
 彼らは離陸後間もなく両エンジンが停止した飛行機をハドソン川に不時着させ、乗員乗客155名を救った全米のヒーローだ。そんな彼らが国家運輸安全委員会に尋問されていたことなどつゆほども知らなかった。あの奇跡が不時着だったのか、墜落だったのか調査が行われたのだ。よりよい選択があったのではと責められた。全員の命を救った彼らがなぜそんな目に遭わなければならなかったのだろう。機長は委員会の執拗な問い詰めや加熱したメディアにより、PTSDにも苦しんだことを明かしている。結果的に機長たちは委員会によるシミュレーションの不備を見つけ、当時の選択と行動が全て最善のものであったと証明し、功績を認められた。だが私の中にはもやもやとしたしこりが残った。
 初めは委員会に怒りを覚えたのだが、背景には原因究明を強く求める声があり、それを煽るメディアの存在もあったのだとハッとした。私たちは正義の名の下で罪のない人々を容赦なくいじめる、こわい社会を作り上げてしまったのではないか、と。自身の傷ついた他者を守りたいという真っ直ぐさと自分は同じような悲劇に見舞われたくないという弱さは危うさを孕み、間違った方向に加熱していると思う。それがまた別の被害者を生み続けている。起きてしまったことの責任の所在を明らかにしようとする時、焦りすぎずに立ち止まって真実と向き合う冷静さと真摯な姿勢を持っていたい。

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