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「余韻」と視覚の優位性について

「余韻を大事にして」といわれること、あると思います。
ソロの後とか、章が変わるとき、はたまた曲の終わり方など。
余韻、とは何だろう。そして、それを「作る」とは。

聴く人の「楽しむ」ための時間

3年目くらいから、段々と、技術的な指導の他に、音、音楽というものについて、OBさんから教わることがありました。特に、「人を楽しませる = 飽きさせない・冷めさせない」ための、気をつけるべきポイントをいくつか。

その中で、余裕がない状態の奏者が特に気をつけるべきことは、「間」と「余韻」、お客さんの楽しむ時間を無視して弾き急いでしまわないように。と。

曰く、余韻というのは、物理的に音が鳴っている間+その残響、ではなく、送り出した音が人に届いて心を動かし終わるまでの時間と考えるべき
「間」も「余韻」も、自分の思っているよりも、気持ち長めでちょうどいいくらいである。と。

例えるなら、ちょっといいお店にご飯を食べに行って。
食べ終わってすぐには、席を立たないよね。「美味しかったねー」と、同行者と言い合ったり、1人で行っていたとしても、ちょっとため息とともにお店の雰囲気を楽しんだり、たゆたうような時間をもつと思います。
その、後味を確かめるような、瞬間が、音楽にもほしい。ということだと。

(ここ、逆にたたみかけるように突っ込んで次を始めるときもあります。どちらにしても、演出として計算されたものだと理解されるように、適切な「間」(ここではイコール切替えタイム)を考えたいとこ)

私は個人的には、余韻を楽しむという処理に、だいたい一秒程度、と大雑把に思っていました。
音が鳴って、拍分を伸ばして(減衰)、残響が消える。そこの消える、ところで約一秒。(この辺は、リタルダンドの時などは拍の感覚によっても違います、だいたいです)

奏者は次へ向かって気がせいてしまうので、お客さんの気持ちがついてくるのを待つ余裕をもつ。で、追いついてきたお客さんの意識と一緒に自分も一息ついて、次を始める。
「さぁ次は何?」という欲求を起こさせる、焦らし、というのも、上手に使いたいところ。焦らしは、次の章に入る前の間をとる時に、使うといいかな。短すぎず長すぎない空白、微妙な所ですが。
(2013.12記事より改稿)

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■ 音を残す。余韻と視覚。

短音の撥弦楽器で「伸ばす」。これ、どれだけ努力しても、「音は伸びない」のですね。物理的に。
しかしながら、演出として「ここは音が伸びているものと仮定する」みたいに示すことは、可能です。

・「演」を担う「動作の使い方」=視覚の利用

音が伸びていますよ、と動作で伝えるのは、手の使い方。
弾いた後の手を止めたままにする、またはゆっくりと次の動作へ移る曲線上を動いている間は、なぜか、「音が伸びている」と認識されます。
たとえ音がほぼ消えていたとしても「存在していると感じられる気がするような気がする」というか、なんというか、錯覚を利用するような、そんなテクニック。
視覚の優位性といっていいんだろうか。
実際にやってみると、聴く側に回った人にはその違いが分かると思います。交代でやってみて。

(これ、実際に音が鳴ってる最中に脇に手を置いてしまうと、音が残ってても、聴く側の中ではそこで途切れてしまいます。違和感がすごく出ちゃう。なので、弾き終わった後の動作、特に一年生をよく見てあげて下さいね。弾き終わってすぐ手を龍角横へ置いて休めてしまうこと多いので。)

演奏の、「演」の部分は、視覚を考慮して作る部分かもと思います、ある程度。
ここを作る余裕があると、格段に、人前でやる前提の時のクオリティに影響してくると思う。

(でも、この場合の「演」は、ある程度、聴く側に「設定に対する理解がある」ことが前提なので、たまに、伝わらないことがある感じもします。
まぁそういうときは、そういうことになってますと押し切る。w)

 G.P.(ゲネラル・パウゼ)

話はちょっとそれますが。
視覚での演出、G.P.(ゲネラルパウゼ、全体の休止)もそうじゃないかな。箏だと、絃を手・腕で押さえて「ケ(消)」のあとで動かなくなる瞬間を作る、というアレ。
(G.P.をやるときの感覚、「いきなりブレーカーoffった家電みたいになって!」って言う人がいて、分かるなーと思ったから書いとく)

この場合は、余韻とは逆で、「視覚でもって音を消す」というやり方かと。

fff でウワンウワン鳴るような残響が残ってても、音を消して全員が静止してたら、「MAXからゼロ(minimum)へ瞬時に移行し、かつその世界は停止している」ということになってる気がします。設定として。

奏者の動作というものが、いかに「演」の部分を担い、また聴く人の感覚へ影響しているか。
ということでもあるし、またそのような設定でもって楽しませられる仕組みになっている、といってもいいのかも。

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・休符の種類

楽譜の休符、二重丸の中に、「黒丸」と「白丸」があるのは、区別しておくといいかも。

● 黒丸:
「伸ばす」指定なので、上記の手の使い方で演出を行います。目立ってもいい。
○ 白丸:
「お休み」ということなので、適当(適切)な雰囲気で目立たぬようにそろりと。

ソロのラストなど、この伸ばす音の演出や、余韻の残し方は、曲の雰囲気を壊さず崩さず=お客さんを冷めさせないために、必須です。

(「冷める」っていうと分かりにくいかもしれないけど、聴いてる側に、違和感があると没入できないとか、疑問が生じると曲以外に意識がいくとか、聴くための集中を乱される、そういう感じ。
聴きたいのに邪魔されたら、あんまりいい印象にはならないです)

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* 武道の「残心」

おまけ。
余韻を検索したら、この残心をオススメに出されたのでwikiを読んでみたのですが、関連として余韻も含まれているっぽいので、見ておいてもいいかも。主に武道で「残心」とは、「終わった後でも状態を保つ」ということみたい。
茶道の場合は、「名残惜しさの表現、余情残心」、日本舞踊では「最後まで気を抜かず、手先足先まで神経を行渡らせ区切りの「お仕舞い」まで踊る事を指す。」以上wikiより。

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*視覚効果、構えの動作=出だしの雰囲気

さらにおまけ。

視覚効果、動作での演出は、構え、手を置くところから始まります。
曲って、一音めからではなくて「礼から礼の間」になるんですけど、その礼の後、構えのスピード感・やわらかさ等で、すでに出だしの雰囲気が作られてしまいます。

気合い入れて「シュッ」と構えてたのに、ゆるっと始まったら、違和感が出ちゃう。私は演奏会でこれやっちゃって指摘されたことがあるので、ついでなんで書いておきます。笑

構えも曲の一部。ゆったりならゆったりで。かっこよくしたいならキリッと。


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