見出し画像

2020年、今夏もスタートしました

だいぶ前回の更新から間があいてしまいましたが、2020年のプロジェクトがスタートしました。初めて読まれる方のために、プロジェクトのご説明をもう一度・・。

本プロジェクトは、夏休みに子どもの「やりたいこと」を、子ども自身が企画、実施するもの。大人のサポーターが相談役として伴走します。1人でやってみるだけでは気づかなかったことに子どもたち自身が気づいたり、考えもしなかったことに考えが深まったりするような時間をつくることを目指しています。

ルールは、「子どもが自分で考え、自分でやる」こと。

サポーターは相談には乗りますが、指示はしません。最初に立てた計画が上手くいかなくても大丈夫。失敗の中に学びがあります。逆に、大人が上手くいかせようとしてレールを敷いてしまうと、子どもの考える機会を奪ってしまいます。大人は見守りに徹し、必要以上に手も口も出さないのが鉄則です。

このプロジェクト、子どもよりも実は周囲の大人の方が大変です。子どもが失敗しそうになると、つい失敗しないように指示したくなるものです。また、大人の思い描く理想にたどり着いて欲しくて、つい「●●しなよ!」と言ってしまう。それらを飲み込むのは、思っている以上に簡単ではありません。

でも、手も口も出さない、とは言っても、命の危険に関わるようなことは指示を出します。また、どうしても一歩が踏み出せない子には手を貸すこともあります。このあたりの、どこまで手を出して、出さないか、の塩梅にサポーターも毎年悩みます。周りの大人の心得は、2年前に書いた下記の7つの記事をご参照ください。

「キミチャレ」の極意を、柴田朋子さんに聞いてみた①サポート編
「キミチャレ」の極意を、柴田朋子さんに聞いてみた②サポート編
「キミチャレ」の極意を、柴田朋子さんに聞いてみた③サポート編
「キミチャレ」の極意を、柴田朋子さんに聞いてみた④サポート編
「キミチャレ」の極意を、柴田朋子さんに聞いてみた⑤アンチ・サポート編
「キミチャレ」の極意を、柴田朋子さんに聞いてみた⑥キャリア教育編
「キミチャレ」の極意を、柴田朋子さんに聞いてみた⑦キャリア教育編(最終回)

2年前のこの記事は、今読んでも「あぁ出来てないな自分・・」と反省することがたくさんあるのですが、ここに加え、最近もう一つ自分の中で言い聞かせている言葉があります。

「真摯(しんし)に向き合い、責任をとらない」

これは、大学時代のゼミの恩師が話していた言葉です。大学生の時、教育学を専攻していたのですが、先日、オンライン同窓会が開かれました。その中で、卒ゼミ生が話す「部下と向き合う上司の話」や「生徒と向き合う先生の話」、どのエピソードも、先生に係ると上記の言葉に帰結するのでした。

本質的には、このプロジェクトのサポーターも同じだと思っています。
繰り返しますが、命の危険に関わるようなことや常識的にNGなこと(親のお金を勝手に使うなど)はあらかじめ禁止事項に入れています。
この場合の責任とは、プロジェクトが成功する責任や、そこから学びを得る責任のこと。そこの責任を負うのは、最終的には子どもたち自身です。

短期的な成果も期待していません。人が育つ時間は、人それぞれです。短い時間で気づきを得る子もいれば、10年くらい経ってから「あの時の言葉は、こういう意味だったんだ」と思う子もいるでしょう。それでいいと思っています。

責任は負いませんが、サポーターは子どもたちに向き合う時は真摯に向き合います。表に見えてることだけでなく、子どもたちの頭の中で何が起きてるのか知ろうとしています。気づきを得て欲しいな、と思っていろいろ「問い」を投げます。でも、これらが子どもたちの学びや成長に確実につながるという保証はありません。

この言葉を聞いてから、私は日々の暮らしの中で「責任をとるために、真摯に向き合う」ことに出会う方が圧倒的に多いなと思いました。仕事しかり、学校教育しかり。

でも、子どもの成長に向き合うとき、大人が「責任をとろう」としすぎると、かえって子どもの成長が阻害されるという事が起こるのだろうと思います。

とは言え、「責任をとらない」とは言っても、「何を良いと思っているのか」の方向性はあります。子どもたちが自分の頭で考えること。

8月末に、PBL(プロジェクトベースドラーニング/自ら問題を発見し解決する能力を養うことを目的とした教育法のこと)のこちらの研修を受けるので、子どもたちに伴走しながら、私も学んでいこうと思います。

小学4年生〜中学生の子どもたちが、夏休みを使って、自分のやりたい事を計画、実行するプロジェクト『マイプロU-15』をやってます。いただいたサポートは、プロジェクトの実施に活用させていただきます。