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#7 アジア旅2カ国目「ベトナム社会主義共和国」

アジア旅 2カ国目 ベトナム🇻🇳 現在の正式名称は「ベトナム社会主義共和国」

シンチャオ(こんにちは)
私たちはベトナム最大の都市であるホーチミン市で3泊4日しました。ベンタイン市場で格安で買い物をしたり、メコン川で船旅をしたり、ハイネケン博物館でビール飲みまくったりと非常に有意義な時間を過ごしました。

ホーチミン市で印象に残っていることを3つに絞ると「人・バイクの多さ」「貨幣のインフレ」「今も残るベトナム戦争の傷痕」ですかね。

① 人・バイクの多さ
ベトナムは日本の国土から九州を抜いたぐらいの面積に9,370万人(2017年当時)が住んでいるそうです。東南アジアありがちの都市一極集中型で、肌で感じたホーチミン市の人口密度はエグかったです。
そして、ベトナムの都市といえばバイクです。バイクの横をバイクが走り、その間をバイクが走り抜けていく、駐車場はバイクで溢れかえって、歩道すらバイクが走る。我々のような歩行者に人権はなく、何度も事故に遭いかけました。もしベトナムに行かれる予定の方は十分に気をつけてください。事故に遭うには”十分すぎる“ほど、バイクが走っています。

② 貨幣のインフレーション
予約したホテルの価格を友人に尋ねました。
友達「2人で100,000ドンだって」
ぼく「!?」
友達「10万ドン!」
ぼく「???」
ぼく「え?それ日本円だといくら?」
友達「470円」
ぼく「やっす笑」
これ、間違いなくベトナム旅行あるあるだと思います。
後述しますが、1976年までベトナムは南北に分かれていて、統一時に通貨の調整を行った結果、インフレーション(通貨の価値が下がること)が80〜90年代に起きたそうです。
ちなみに私たちは、4日で「4,000,000ドン(400万ドン)」という大金を2人で使い果たしました、日本円にして「20,000円弱」です。

③ 今も残るベトナム戦争の傷跡
ここからは歴史の内容になりますが、ベトナム戦争をご存知でしょうか?第二次世界大戦後の東西冷戦を代表する壮絶な争いです。

出来るだけ簡潔に説明すると、
元々ベトナムはフランス領インドシナ(現在のベトナム・カンボジア・ラオス)でした。第二次世界大戦後「フランスから独立しようとした北ベトナム」vs.「フランス傀儡国家の南ベトナム」で戦争(第一次インドシナ戦争:1946年〜1954年)が起きます。前者の北ベトナムが勝利して、南北統一ベトナムを作ることになりました。
しかし、南北でベトナムの体制争いが起き、1955年頃から再び戦争状態になってしまいます。北ベトナムは共産主義陣営(ソ連・中国)にサポートされ、南ベトナムは資本主義陣営(アメリカ)にサポートされたことによって、一国の南北統一戦争から世界中を巻き込む代理戦争になってしまったのです。

この戦争は20年(1955年〜1975年)も続き、信じられない程多くの犠牲者を出しました。中でも1962年からアメリカが開始した「枯葉剤散布作戦」によって、ベトナムには非常に毒性の強い薬剤が撒かれ、多くの人々が死ぬことに留まらず、枯葉剤の影響で奇形の子どもが生まれるなどの多くの影響を残しました。実際に私たちは、頭が肥大化した子どもを抱えたお母さんが路上で募金を募っているのを見かけました。

ベトナムには「戦争博物館」というインドシナ戦争〜ベトナム戦争で起きたことを伝える博物館があります。ホーチミン市を訪れた際には、ぜひ訪れてみてください。
カームオン(ありがとう)

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