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泥沼料理教室 最終話

弁護士から連絡が入ったのはそれから一週間くらい経った後だった。

妻は早々に荷物を引き上げ、マンションから出て行った。俺は妻のいなくなった部屋に戻り、自分お荷物を整理しつつ解約の日を待っていたところだった。

弁護士事務所に着くと、いつものように柔和な表情で弁護士は迎えてくれた。精算をするための話し合いだった。こんなにスムーズにいった示談交渉は珍しいのだという。しかも慰謝料は満額勝ち取ることが出来た。それもこれも事前の準備が万全だったことが功を奏したとも言っていた。親友にはお礼をしなくてはならないな。目の前に出された支払われた示談金は俺の年収の数年分だった。おそらく一生こんな現金を手にすることなんて、宝くじでもあたらない限り手にすることなんてないだろう。諸々、精算の書類にサインをして、俺は冷めかけていたお茶を一口飲んだ。それにしても弁護士費用が安い。成功報酬は当然だが、経費が非常に少なかった。もっともらってもらっても、と余計なことを口にしたが、弁護士は笑って、事前準備が万全だったから安いんですよ、と言った。つまり、今回興信所を使ってあらかじめ物的証拠をあらかた用意してあったので、弁護士が動く必要性がほとんどなかった、とのことだ。実際、弁護士がしたことと言えば、それぞれの書類の作成と交渉だけだったという。親友のアドバイスが無かったら、余計な費用が掛かり、こんな金額では済まなかったに違いない。弁護士は自分の取り分を差し引いた金額を明日振り込んでくれるという。最後に弁護士と握手しながら、深々と頭を下げて、事務所を後にした。

その後俺はどうしたかと言うと、住所を妻の実家とは真逆な方面にマンションを借りた。間取りは2LDK、一人暮らしには広い間取りだけど、念願の趣味部屋を作った。実は趣味はプラモデル作りで、学生時代はハマりにハマって、学校のサークルもプラモ作りだった。腕前はちょっとしたもので、実は鉄道模型専門店から依頼されて、ジオラマレイアウトを作ったりもしていた。ここに川が流れて、ここに家があって、トンネル作って橋掛けて、なんて考えた世界が目の前で形になるのが楽しくて仕方がなかった。前妻との婚約を機に封印した趣味だった。しばらく女性にはなかなか関心が出てこないだろうけど、もし、次に付き合うなら、自分の趣味もまるっと認めてくれるような懐の広い人がいいなぁ。仕事もゆとりのある会社に移り、趣味を中心とした生活を満喫している所に、不意に電話が鳴った。

元妻からだった。
まあ、相手にせず無視してしまってもよかったのだが、何となく出てしまった。久しぶりの彼女の声は少しかすれているようだった。久しぶり。用件は何? と尋ねると、金の無心だった。彼女はひとしきり愚痴を並べた。仕事をしたけどなかなか続かない、職場で意地悪をされている、実家を出て一人暮らしをしているが上手くいかない、こんなふうになったのはそもそもお前のせいだ、と…… 離婚したのでもはや他人なのだから連絡してくるな、金も貸さない、と言ったら、何やらヒステリックにわめいて一方的に電話が切れた。正直、連絡して欲しくはないので前妻の実家に連絡を入れた。彼女から何やら金の無心があったが、迷惑なので連絡してこないよう言って欲しいと伝えたが、彼女の思わぬ近況が聞けた。今は実家を出たらしい、と言うか、ケンカをして父親に勘当されたらしい。母親は心配してマメに元妻に連絡を入れていたが、その度に悪態をつかれてしまい、距離を取っているらしい。離婚以来性格が変わってしまったらしく、就職しても職場の男性に声を掛けてはトラブルになったり、もめ事を起こしたりで一向に続かないのだそうだ。離婚が原因で変わったのか、それとも離婚をきっかけに本性を隠さなくなったのかわからない。しかし、あの話し合いをした時の、見たこともない醜悪な顔で食って掛かる姿が脳裏に浮かび、これがそもそもの本性なのだろうと思った。とにかく、もう関わり合いが無いのだから連絡しないよう徹底して欲しい旨を良い、電話を切った。

久しぶりに親友を誘い、飲みに行った時、意外な話を聞いた。
元妻が、どうやら風俗で働いているらしい。親友は実は大の風俗好きなのだが、たまたま行ったファッションヘルスで、元妻の写真があったそうだ。とうとう食べられなくなり、行きついた先が風俗だったようだ。堅い仕事と性格の父親からすれば絶対に許せないだろう。指名したのか? と聞くと、いやぁ、さすがに、と友人は笑った。
今の生活を望んでいたわけではない。もちろん結婚していた時は、子供をもうけて、彼女と一緒に年老いていくのだろうと思っていた。が、今の生活にすっかり満足し、落ち着いてしまったので、そんな話を聞いても、昔話を聞かされているような不思議な感覚で、興味が全くわかなかった。それよりも、次はどんなプラモを作ろうかと悩むほうが忙しい。

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