見出し画像

#18 劣等感を燃やして上昇気流で舞い上がれ【7年間の不登校から大学院へ】


 高校に通えるようになっても、不登校で抜け落ちた7年間の勉強のブランクを埋めながら同時に高校の授業にもついていくのには、やはり時間がかかりました。

今回の記事では、しんどい思いを抱えながらも、そんな劣等感を勉強へのエネルギーに変換して頑張り始めた高校2年生のころについて書いていきます。

劣等感に苛まれて、思い悩んでいた日々をありのままに書いた前回記事はこちらから



「劣等感は最高のガソリン」

 小中学校で2度も不登校になってしまったこと、そして前回記事に書いた経験で覚えてしまった劣等感。でも、そんな抜けきらない劣等感を抱えるなかで、私はどうしたらこの現状を打破できるのかを考えるようになっていった。

いや、正直、そんな立派なものではなくて、悪口を言ってくる子たちをどうやったら見返せるだろうかと考えるようになっていた。


それに対する、私がたどり着いた答えは「勉強」だった。

うんと勉強をして、もっと高いところに、あの子たちがついて来られないほどの領域まで飛んで行こうと決めた。


当時、劣等感に苛まれコンプレックスまみれだった私。
だから、そんな気持ちを永遠とエネルギーに変えていった。



大人になってから、南海キャンディーズの山里さんの著書『天才はあきらめた』という本のなかで「劣等感は最高のガソリン」というフレーズを読んだけれど、本当にその通りで。

コンプレックスや劣等感、自分を傷つけてきた誰かを見返したいという気持ちは非常に強いパワーを持つ。「学校に行かない」という選択肢はなかった私にとって、高校を卒業するためには、教室での日々がどれだけしんどくても自分が我慢して耐えるしかないと思い込んでいた。でも我慢はいつか必ず限界を迎える。

だからそんなふうにずっと我慢し続けた、相手にぶつけられない怒りに近いような感情を、私はひたすら勉強へとぶつけることに決めた。


劣等感を、どんどんと自分のために使うエネルギーに変換する。

高校2年生、そのパワーでしんどかったその領域を最初に突っ切った。そしたら次はまた違う世界が見えてくるようになった。もっともっと高い場所にある広い世界が徐々に見えるようになった。



飛行機に例えるなら、離陸のためにガソリンをどんどんと燃やしてエンジンを轟かせて、やっと陸を離れて機体が少し宙に浮かぶ。次は上昇するためにどんどんとエネルギーを使ってエンジンを回す。そのなかで少しずつ自分が向かうべき軌道を修正する。

そうこうしているうちに、ある程度の高さまできて雲に到達する。
やっと雲に到達したと思ったら、急に全方面の視界がぼやけて真っ白くなる。
自分はどこに向かっているのか分からなくなる。でもそんな何も見えず雲に埋もれた状態でも、なんとか少しずつ高いところを目指して進む。


すると、ある瞬間を境にして、視界を遮るものが一切なくなって景色が一気に開ける。
そこでやっと振り返ってみると眼下には雲海が広がっていて、自分がいるところは、青い空と宇宙の狭間のグラデーションだと気がつく。

頑張りが報われたときの感覚は、そんな感じだった。


そんな領域を通り抜けて合格した大学では、今度は素敵な力に出会ってさらなる高みを目指すように自然となった。

その詳細はまた大学生編で。




高校2年生、3学期

 コンプレックスと劣等感を持っていた私だったけれど、それが長期化してくると、内心ではそれと比例するように「絶対に頑張って良い道へ行ってやる」という気持ちが次第にメラメラと燃え始めていた。

どうすれば良いだろうと考えた結果、とりあえず私は勉強を頑張ることにした。

勉強を頑張って、もっと高い環境に行くことができれば、もっと良い道と人に出会えると思ったから。

自分にできるだろうかと思ったけれど、クラスメイトに毎回の定期テストで必ず全教科を8割以上を取る子がいて、それが可能なのだと知った。

あの子にできるのであれば私にもできるはず、なんて軽く思い始めて、私は定期テストのだいぶ前から予習と復習とテスト勉強をちゃんとするようになった。

でも、当たり前だけれど、テスト勉強での誘惑はもちろん多い。
「ふ〜、ちょっと疲れたな」と思ってYouTubeなんかを開くとあっという間に時間が経っている。
勉強を一人で粛々と続けるのは結構大変だ。


でもそんなときは悔しい気持ちを思い出して、劣等感の悔しさで心を燃やして、尽きることのないガソリンを投入し続けて頑張った。いろんな思いをたくさん経験した分、燃料のガソリンは尽きなかった。

ガソリンが尽きないことは悲しくて悔しいことでもあるけれど、良い方向に向けられる日がくることもある。

『劣等感は最高のガソリン』そう思ってなんとか耐えるしかない日々も、もうこれ以上は耐えられないと思う日々も、そこから逃げるなり、ただ過ごすなり、突き抜けるなりすることができれば、また違う世界が見える日がくる。

渦中にいるときは何も考えられず、ただしんどいとしか思えない。けれど、そんなふうに抱く気持ちもすべて、自分の翼に「羽」としてちゃんと蓄えられていたみたいだった。



私はずっと、Aちゃんから送られた歌「裏切られても、裏切るなよ」「本当の自分を裏切るなよ」を何度も心のなかで反芻していた。



劣等感のガソリンを燃やし続けた結果


 劣等感のガソリンを燃やし続けて全教科を頑張って勉強した結果、定期テストで全教科8割を超えた。英語は9割を超えた。

「勉強って、頑張った分だけちゃんと伸びるんだ」と実感した私は、頑張れるところまで頑張ったらどこまで成績が伸びるだろうかと不思議に思って、好奇心も相まって勉強をさらに頑張るようになった。


そうなってくると勉強をして良い成績を収めることが快感になり、私はますます勉強を頑張った。


悔しい、しんどい、つらい。

そんな全ての想いを勉強へのパワーにどんどんと変えて、ひたすら打ち込んだ。

すると、その次の期末テストでは9教科中5教科で学年1位をとった。

テスト返却の際に、どの科目でも「はい、最高点おめでとう」と先生に言われながらみんなの前で答案を受けるたび、みんなはボーゼンとなり「すごい!」とかではなく、「……すごい」に変わっていった。

すると次第に不思議と、私に対する悪い言葉は減っていった。
もしかしたら、急に飛び出過ぎた釘は打ち方がわからないのかも知れない。



塾のE先生とも「英語で学年1位を絶対に取ります」と約束して、その宣言通り、英語の期末テストで学年1位を取った。


そこからは毎回の中間テスト、期末テストで必ず全教科9割以上を取るように頑張った。取れるようになった、のではなく、そうなるように頑張った。


全教科2割程度しか取れなかった私が、劣等感を燃やして勉強を頑張った結果、その約1年後には全教科9割を取るまでになった。


勉強を頑張ること、それはもしかしたら私の場合は、自分のために何かを頑張ることなのかもしれなかった。

自分のためにする行為。自分を少しでも成長させること、より高いところに行けるようにしてあげること、自分というタネに丁寧に毎日水やりをしてあげる行為だったのかもしれない。

だから、自分が自分のために頑張ること、自分のために頑張ること。自分が自分に対してできる最大の愛情表現が、当時の私の場合は勉強を頑張ることだったのかもしれない。



 

全国模試で現代文、満点


 
学校の勉強を必死に頑張っていたら、あまりの急激な点数の伸びにビックリした各教科の先生が声をかけてくれることがあった。

「急にどうした?! 神が降りてきた?!」

すると、先生からもっと沢山の勉強のコツをより教えてもらえるようになった。
真剣に頑張っていたら、それに真剣に応えてくれる人がたま〜に現れることがあった。

全国模試は流石にレベルが高くなるため、順位が出ても上位に食い込むことは難しい。でも、そんななかでも全国模試の現代文で満点を取った。結果は50点満点中50点だった。「やっと!やっと自分も!」と嬉しくて、さらに塾のE先生が喜んでくれたりするのも嬉しくて、どんどんと勉強の楽しさに惹かれていった。


そして進路を考え始めたとき、やっぱり私は、あのとき私のことを救ってくれたE先生に教えてもらった英語が、一番好きなのだと改めて気がついた。


イギリスへ語学研修に行ったときに実感した、英語をもっと喋れるようになりたい! という気持ちも変わっていなくて、むしろ増していた。





高校2年生もあとわずか、進路を考え始める

 私が通っていた学校では、受験勉強をせずとも内部進学で大学まで進むこともできた。

多くの子がそのまま内部進学するため、実際に私もその説明会に参加した。
先生からは、特待生としての進学も可能範囲だと言われた。

ただ、私は内部進学しないほうがいいだろうなとなぜか思った。


高校で大きく環境が変わって、学校に通えるようになった。その体験から、もっと自分に合った環境があるのかも知れないと考え始めていた。


さらに英語に興味があったので、もっと専門的に英語に特化した大学に行きたいと考えるようになった。ただ、いくら学内で優秀な成績を収めていたとしても受験となると話は全く変わってくる。だから改めて外部を受験したいと決心するのには勇気がいった。


でも先生との進路面談で「もっと上を目指せられる」という言葉をもらって、その先生があまりに真剣な面持ちだったので、家族とも相談した結果、最終的に外部受験を決意した。


受験勉強のスタートは遅かったけれど、第一志望の大学に合格するために受験勉強を精一杯頑張ると決意した。


第一志望に決めた大学は、自分に合うと思った環境が揃っていた。


でも、その大学が第一志望だと周りに告げると、記念受験? みたいに言われることが多かった。しょうがない、当時の私はそんなもんだ。

そんななかで受験勉強に奮闘した高校3年生はまた次回に。


次回は #19 元不登校、大学受験で知恵熱?!【7年間の不登校から大学院へ】を更新予定です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?