痴漢も襲われかけたこともある。 そういうニュースを見る度思い出すのは、とある夜のこと。 女友達Aの彼氏の「上司」と、その部下と、 わたしと女友達Bとで、男女2:2で食事をした。女友達Bは先に帰って私達もそろそろ、とお会計をした。ちょっとトイレに行って戻ると、部下の人がいなくなってた。 嫌な予感がするも、さっさと帰ろうと思いお礼を伝えタクシーに乗り込むと、その男も乗ってきた。 車内でキスをしてきて、胸も触ってくる。 腕で押しのけようにもどうにも動かなかった。 それがどんどん
私が私に気づく頃 祖母が亡くなった 連なりを作った祖母 母を産んだ祖母 幼い自分の記憶に たくさん挟まれている 母を抱きしめなかった祖母 だけど孫を可愛がった祖母 最後のページに わたしのむすめの手を握っていた この世をそんなふうに生きても 祖母はなんの未練も持たなかった あっという間にお空にいって この世に軽い言葉をかけた たくさん嘘をついて 私達をかき混ぜていったけど 一体何だったのか きっと祖母もわからない 兄はくよくよ泣いて いつまでも祖母を想っている
普通と違うと言われることが いつも怖かった。 相手が褒め言葉で言っても その言葉の裏を探ろうとした。 特に、独特だよねって言われると どこがだめなのか (だめだと言われてないのに) 聞きたがった。 何がそう思わせるのか。 なんでなんでと聞いた。 そこを消したかった。 自覚のしてない鬱だったからだと思う。 でもどこかで自覚していて 普通になりたかった。 普通になりたいと打ち明けたら 面白いって答えが返ってきた。 みんな反対のことを思うのに、と。 いや、 私は個性的なの
私は親に対する毒を出し切ったと思う。 もしかしたら残っているかもしれないけど、そのときはそんな自分をちゃんと守るから、もう大丈夫という感じ。 許す許さないもなくなった。 毒親本の多くは「親を許さなくていい」と、書いてあるけれど、ある本には、ちゃんと親に会ってハグをしろ、というようなことが書いてあった。 そうじゃなきゃ、あんたのその目は治らないと(その人は目に症状が出でいた) その頃の私の心は、ぎゅっと固くなった。 そんなことできるか、と。 わたしには一生無理だと。 私
毒親のことを知り尽くしている人なら、きっと私のパターンは定番なのだろう。 でも私は自分がそういう立場だということに気づかなかった。 精神療法に取り組んで、それがとても辛いことだから覚悟が必要だと言われていたけれど 私は母に愛されていなかったことを知ったのがそれに当たると思う。 愛されなかった。 それだけならまだ余裕だった。 これからも愛されないし、少しも理解されない。 そして、私はこの期に及んで愛されることを乞うていることだ。 小さな私が、うす暗く雨ふる街なかで立ち尽くし
体調不良が悪化したのが二年前。 保険診療、自費診療、自費診療の精神療法とやってきた。 精神療法は終盤に差し掛かっている。 半年ほど経った。 アシスタントのセラピストさんが私の話を掘り出して、その次に先生がグサグサ刺していく…ということだったけれど わたしは特に核心をつけなかった。 出される課題はいつもできなかった。 「今まで散々やってきたのに?」とアシスタントさんに呆れられる。 出来なくても次の課題に進む。 ◆◆◆ 抑圧され、人の目を気にして生きてきた私は わかって
癒やしというものは、一時的なものである。 例えば良きパートナーがいて、幸せな日々を過ごしても、そりゃ人間同士たまには色々ある。 トラウマがある場合、その時に自分の傷が疼きだし苦しむ。過剰に相手を傷つけるかもしれない。 外側にどんな人がいようと、どんな癒やしに包まれようと、一人になった時自分の中心が傷んでいることに気づく。 そこは人の力では埋められない。 埋められたと思うことがあったとしたら、支えてくれた誰かの力で、またその人がいなくなったらなくなるもの。(依存になる)
保険診療では、薬を処方されるだけ。 根本的に治っているのか不安になった。 保険外診療に切り替えた時、私はそれで全て解決すると信じていた。 5万近くする有機酸検査とサプリ。 それを経て診断が下るも、サプリだけでは改善せず、その他の様々な保険外診療を受ける。 それでも改善せず、このままでいいのか?と思い始める。 少し自分の考えをいうと、保険診療のときのお医者さんと同じように、少し不機嫌になった気がした。 そうなると、心が抵抗し、通院の足が遠のいた。もうやめようと思った。
先生のカウンセリングの前に、スタッフさんのセッションが始まった。 まずは家系図を書き出す。 質問されたことに答え、改めて目の前にすると「闇深っ」と思った。 先祖からのカルマは霊障としてもあるけれど、目に見えない周波数のようなものが未来まで響いて行くのかもしれないと思った。 霊障なんて許さないと思ってきた。だけど十分に拘束されていた。 こんなもの未来に残したくない 栄養学の講習を受けながら、自分に向き合う。その最中も不安感が襲う。 先生のカウンセリングまで1ヶ月。それ
書き上げたその2が消えて書き直すのに数年がかかった。 ◆◆◆ 先生の個人施術を受けた。 あれこれやって、横になって施術を受けている時。 あらゆることを思いまくった。 心のなかで思っているのに、先生は私の疑問に答えるかのように「〇〇でしょー」「〇〇ってよく言われるの」などといった。 ‥もしかして心の声聞こえてます? その頃あたまも心もガチガチだった。 深呼吸の方法を習得するなんて自分にはとても難しいことと思っていた。 先生に言うと、難しい事ではない、という。 「
精神療法をやっている病院に来た。 スタッフさんのカウンセリングを受ける。 あれこれ聞かれたあと、一番のストレスは?と聞かれた。 …特にないんです。 「特にない人がここに来る意味あるの?」 うーん。。 小さいことがたくさんありすぎて何って浮かばないんです。 新しいとこに行くと動悸が激しくなる。人前で話せない。注目されるのが嫌だ。 いつもと違うことができない。 そういうストレスはあるんですけど、会社も学校も今はないから忘れてました。 →そういうことですよ。 ◆◆◆◆
自費診療 自費診療で有機酸検査と血液検査をして、処方されたいくつかのサプリ。診察と合わせて検査とサプリで10万ほどかかった。 5種ほどのサプリを1ヶ月ほど飲み始め、不自然な事をしている変な気持ちになった。 身体は何も変わっていなかった。それどころか胃に負担を感じた。 いつまで飲み続けるのか?それで得た健康はやめたら元に戻るのか? ◆◆◆◆ 下痢が続き、モヤモヤもあり診察の予約をいれた。 先生に近況を話す。Bスポットは近場で保険診療を見つけたというと、よかったねと言わ
副腎疲労と低血糖の治療を始めて3ヶ月経とうとしてる。 年末に胃痛が再発して、そこから1ヶ月ちょっと気持ち悪いのが続いた。 すべてで3万円くらいのサプリを飲み続けていたけど、その量が内臓の負担になっている気もしてきた。 漢方もサプリも効いてる気がしなかった。 これで治るのだろうか? 有機酸検査はなん万もかけたのに、検査結果の理解に難しく、現状も変わってない気がした。 中華街の占い もっと別の問題&アプローチがあるのではないかと思ってた時、中華街で占いをしてもらった。
自費診療の診察の日になった。 カウンセリングの結果「パニック発作」だった。パニック障害の手前。 ソラナックスという薬を出された。 …え?薬飲むの? そして血液検査と有機酸検査の結果 貧血、副腎疲労、機能性低血糖などなど。腸はほとんど機能してないらしい。 心当たりあり。 酷いときは食べてるときにお腹が痛くなり、食べたものそのまま出たよね?という状態だった。 サプリを摂ろうが、野菜を摂ろうが全て出ていっている気はしていた。 食事の改善法やサプリの処方をしてもらい 上咽頭炎
今年に入って体調不良が続いていたことに、10月になって気づく。6月くらいから食欲が落ち、胃の不快感に気づき「胃がん、胃潰瘍、ピロリ菌」の可能性をネットで検索した。 原因は鉄サプリかも!?と思ってやめたら痛みは減ったものの、モワンモワンとした感じがずっとあり、病院に行った。 血圧低い、下痢が続くなど、いくつかの質問に答え、自律神経だと言われた。漢方、血圧上げる薬、ビオスリーを処方され、数日様子を見ている。 そして2日前、無気力で起き上がれなくなった。それと同じく不安感が襲
子どもと病院。 子どもが産まれてから、コロナが始まるちょっと前くらいまで、何かあればすぐに病院かかってた。 引っ越しが多いのでたくさんの病院にかかり、色んなことを思ってきた。 「鼻水を吸わない限り風邪は治らない」 という、お医者さんの考えのもと 押さえつけながら、長いチューブを鼻の奥や喉の奥に突っ込む処置が度々あり 娘はトラウマで、喘息の吸入すら恐れるようになってしまった。 アレルギーの血液検査でも、暴れる娘は拘束されながら採血され、聞いた事のない悲鳴をあげていた。