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速読なんかできない。何度も読み返してしまう文学があるなんて | 〜筒井康隆『残像に口紅を』を読んで

「なんじゃこりゃ」


この作品を形容するのにふさわしい言葉が出てこない。今まで読んだことのない、得体の知れない作品に出会ってしまった。


筒井康隆さんの『残像に口紅を』を読み終えた。本屋さんの小説本コーナーを見ていると、この作品が帯付きで平積みにされていた。なんでも、TikTokで紹介されて話題になっているのだとか。


若者で本を読む人がどんどん減っているいま、しかも20年以上も前に発表された作品がなぜ…?


そんな疑問と好奇心が私に手を取らせた。


「あ」が使えなくなると、「愛」も「あなた」も消えてしまった。世界からひとつ、またひとつと、ことばが消えてゆく。〜中略〜
言語が消滅するなかで、執筆し、飲食し、講演し、交情する小説を描き、その後の著者自身の断筆状況を予感させる、究極の実験的長篇小説。

-筒井康隆『残像に口紅を』背表紙あらすじより


あらすじを読んだだけでは、どんな作品かなかなか想像がつかないと思う。気になった人は、ぜひ実際にお手に取ってみてほしい。そしてあなたの感想が聞きたい。


とにかく、ひとつずつ平仮名が消えていく。そして消えた平仮名が使われている言葉、物、人なども共に消えてしまうという世界のお話し。



序盤の方は、不便さを感じながらもかろうじて他の消えていない言葉で置き換えてみたりして、読んでいる側もなんとか追いつける。



しかし失われた平仮名が増えていくと、文章もなんだか次第によくわからなくなっていき。

キャラクターたちの口調もおかしくなっていって。

最後の方なんかは、物語冒頭の主人公からは想像つかない、別人のようなキャラクターが出来上がっていた。その様がなんとまあ薄気味悪いこと。(決して貶しているわけではない。)



通常、小説を読んでいるときは終盤に向かってだんだんと物語に自分がのめり込んでいく感覚があるのだが、この作品ではそれがなかった。

なぜか。


作品の設定自体が独特ということもあるが、一番はここまでのメタフィクション作品を読んだことがないからだろうなと思っている。


メタフィクションとは!

メタフィクションとは、架空の出来事であるフィクションをフィクションとして扱うこと。小説や映画、アニメなど創作物において、作中であえて「これは作り話である」と表現する手法です。

P+D MAGAZINE「“メタフィクション”って知ってる?小説用語を徹底解説


たとえばドラマを観ていると、途中で主人公が視聴者に向けて話しかけてくる、という場合が時折ある。近年だと長澤まさみさん主演の「コンフィデンスマン」がそれに当たると思う。それがメタフィクションというらしい。


この作品の主人公は、自分がフィクションの中の存在であり、世界から言葉が消えていく自分にとっての現実は、虚構であるということを知りながら物語が進んでいく

ついさっきまで一緒にご飯を食べていた自分の娘たちが、食事中に順番に消えていったのに、主人公は少し悲しみながらもその状況を客観的に楽しむ。


自分の身内や仕事仲間、あるいは店のスタッフたちが、どんどん喋りづらそうになっていく。それを観察しながらほくそ笑んだり、馬鹿にしたり。


わたしは小説に限らず、なにか物語を観たり読んだりするときは、そのキャラクターたちが虚構の中の世界を全うし、さまざまな困難を乗り越えたり、本気で喜んだり悲しんだり怒ったり。そういう様を楽しむ。わたし→物語の方向なのだ。


ただこのメタフィクションは、作品内のキャラクターがなんだかこちら側(読者側/視聴者側)に回り込んで来ている感じがあり、読み進めていて引っかかりがあった。その引っかかりこそ、小説に100%のめり込むことのできなかった理由だと思う。


ただし、のめり込めなかった=楽しくなかったでは決してない。


むしろ本という媒体で、こんな新しい体験ができるなんてと感激した。


まさに実験的小説。

もう一度最初から読み直してみようと思う。

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