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存在が許可制

いたたまれない。いづらい。いなくなろう。

「自分がそこに存在していること」に耐えられないのはよくあることだ。その理由を考えたり調べたりしていたら「自分の存在は許可制である」という固定観念に気付いた。


存在不許可がデフォ

おそらく、自分の存在許可がない状態がデフォルトだ。人の邪魔をしないとか、人の役に立つとかができれば、やっと一時的に存在していていいという感覚がある。反対に、何か失敗すると「自分が本来は存在してはいけないこと」がバレた感じがする。だからすごく焦るんだな。

その原因は、主に昔の家庭環境にある。当時、私が存在していいかどうかは養育者の気分次第だったのだ。

昔話をする(面倒ならこの段落は飛ばしていい)。私は18で一人暮らしをするまで、元養育者(女性・一人)に持て余されたり、邪魔者扱いされたり、逆に過度に干渉されたりしていた。半ば妄想に基づくDV(もちろんモラハラ含む)を真に受けて、自分を精神的に罰する癖がついたし、「自分がいるせいで養育者(当時)は貧困に苦しんでいる」という現実問題に基づく罪悪感も持ち続けていた。また元養育者との自他境界が曖昧だったせいで、長年自分の意見も持てなかった。だから、元養育者の分身・付属品あるいは透明人間か召使として目立たず過ごすことで、かろうじて存在を許されたつもりになっていたのかもしれない(よほど嫌な思い出なのか、この数年で詳細を思い出せなくなってしまった)。

また、行動の否定を人格否定に結びつけて被害妄想するな、という話は一般によく目にするし心掛けてきた点だが、批判に一貫した基準がないモラハラ家庭で育ったせいか、その境目がよくわからなくなることがある。例えば、普通の指摘と悪意ある嫌味を見分けられず一律に申し訳なくなる。昔、家庭では行動を否定するように見せかけて人格否定されたり、行動を非難された理由の具体的説明がないまま「お前が悪い」で片付けられたり、非難された行動を改めたのにまた怒られたりした。まぁ人間色々な運の悪さがあるだろうが私の運の悪さはそういうものだった、というだけの話なのだが。

つまり、私は自分の存在に罪悪感を持っていたし、家庭では私の存在許可について一貫した基準がなく、元養育者の気分次第=こちらからすればランダムだった。

そんなわけで安定した居場所を持ったことがない(あっても認識できない)からか、自分は「居ていい感覚」をよく知らないのかもしれない。だからか、どこに行っても居続けるうちに存在することが段々つらくなってくる。初対面とか一時的な滞在の方が気が楽だ。でも、付き合いの長い友達と一緒にいるのに安心して過ごせないのは苦しい。

問題は失敗をしたとき

問題は失敗をしたときに出てくる。人に何かを注意・指摘されたときの私の気持ちは、「波風立てずにひっそり過ごしていたつもりなのに問題を起こしてしまった、やはり自分はこの場に相応しくないのだな」である。極端すぎる。

そして言い訳をたくさん考えて、でも全部飲み込む。例えば「知らなかった(ので許してほしい)」という仕方ないものから、「自分に常識がなくてやってしまっただけ(なので許してほしい)」という無責任なものまで。どれなら言っていいのかも分からないから、言えない。でも、いずれも言うべきではないのだろう、相手は問題を指摘しただけであって、許す・許さないの問題だとは思っていないだろうから。

結局私は「そうだね、ごめん」などと言って、その後は平気なフリをする。しかし問題発覚の瞬間の焦燥感はその後もずっと続く。例えば、何週間にもわたり寝ても覚めても心臓の鼓動が強いままになったりする(実は物心ついてから常にドキドキしてたことにやっと気づいた、という可能性もなくはない。なお心拍数は正常範囲内)。

このパターンに陥る原因は、自分の存在が許可制だと思い込んでいて、自己主張も不得意だから。例えば、30分も考えた結果の言動が問題視されたとしても、すぐに引き下がって非を認めて、「何も考えてなくてバカやっちゃいました」という態度を取ってしまう。どういうことかというと、おそらく私は「失敗した上に言い訳なんてしたらもうここに居させてもらえない」と思い込んでいる。さらに「私はあなた・みんなと同じように自分で自分の存在を肯定できてます」というフリまでしてしまうのだ。そして自分にとってはこの思考回路と振る舞いが当たり前すぎて、普段は意識にものぼらない。

存在許可制を脱するには?

ではどうやったら、他人に存在を認めてもらう姿勢を改めて、自分で自分の存在を肯定できるようになるのだろうか。わからない。

まずは「他人に存在を許されたい」という自分の感情を認識するところからだろう。そう思ってしまうのは仕方ない、と。

それができたら
・実は友達は、私の存在を既に受け入れている
・たとえ他の人が拒否しても、私は自分の存在を認めよう
などと考えてみればよいだろうか。

でもどうやって? 人間、言い聞かせるだけでできるようになったりはしない。

とにかく、「居ていい感覚」を知って、焦燥感なく落ち着いて過ごし、他者と共有する「今この瞬間」を味わえるようになってみたい。

今回は固定観念に気付いたとこ止まりで、あまり答えらしいものが出せなかったな。


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