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積み上げた失敗との付き合い方

失敗を積み重ねることに耐えながら生きる方法はあるのだろうか?


問題:失敗が多くて慎重になりすぎる

生きていれば失敗が積み重なる。しかし…

  • 失敗を繰り返さないように注意すること

  • (過去の失敗を気にしていないかのように)普通に振る舞うこと

これを両立するのに最近疲れてきた。

もう少し詳しく述べると、失敗は繰り返したくないが、それを気にして慎重に行動してばかりいたら、日常生活が送れないのだ(※ただし差別などについては慎重になりすぎることはない)。私はなにも完璧超人になりたいと言っているのではない、人並みにやりたいだけなのだ。

しかも、失敗の具体例をリストアップして覚えておこうとしても、失敗の原因の本質は解消されない。せめて大元の原因を分析して、それを避けなければならない。

例えば、寂しいときに飲むと酒乱で人に嫌な思いをさせてしまうとしよう。それを避けるためには、まず寂しくても酒を飲まないようにすることだ。さらには寂しさの原因を分析して、耐えたりやり過ごしたり解消したりする方向に動いていくのが望ましい。

だが、それは自力では限界があるし、結局「あれをしない」「これをしない」というNG項目ばかりになって際限がない。そして、過去の失敗とその原因を避けることや、過去の失敗を参考に自分の言動を修正し続けることこそが、自らの思考・言動の多くを占めるようになっていく。

私は30年くらい生きているうちにそういうNG項目が増えてきて、記憶や意識がそういう事柄で満ちているんじゃないか?この先やっていけないんじゃないか?と思うようになった。どのみち、これからも新しいことを経験して新しい失敗をすることがあるだろう。なんとかして失敗やその原因を一般化できないか、デスクトップを埋め尽くしたファイルを、フォルダに分類するみたいに。

そんな便利な一般化は自分にはまだ難しいが、できそうな対処法の案を考えたのでメモしておく。

可能性1:大丈夫な瞬間を認識する

自分は「行為Aをすると良くない結果になりがち」という教訓から「行為Aをしない」という意識を持っている。「行為A」は無数にあるが、例えば「何か言わなければいけない場面で、焦って本心と全く違うコメントをすること」などである。

ここで新しい考え方をしてみる。

私はこの相手を尊重したい
→ 自分なりの尊重の態度のなかには「行為Aをしない」という要素も含まれている
→ 「行為Aをしない」は現在達成されている
→ 実際、相手は嫌な気持ちではなさそう
→ 自分も相手もOK

これで、「自分は相手に脅威を与えたくないし、実際与えていない(らしい)」と確認しながら接することができる。脅威を与えてしまっても「相手を尊重したい」という自分の思いまでは疑わずに済み、誠実に対応できるのではないだろうか。

とか強引に書いているうちに、当たり前すぎて馬鹿馬鹿しくなってきた。

しかも、行為について具体的に意識すると、結局NG項目をチェックすることになりかねない。だから「NG行為をぼんやり概括して意識しつつも、あまり深く考えてはいけない」というのがミソになる(そのためにもやはりフォルダ分けができたら楽だ)。

ついでに、「相手を尊重したい」という自分の思いを信じきる自信もあまりない。なぜなら私は何かの失敗をしでかしたときに、「自分は相手を尊重できていなかったんだ!なんてこった」と思ってしまうからだ。いくら相手を尊重したつもりでも、自分の無意識では相手や第三者への優越感や嫉妬や甘えや理不尽な期待がうごめいて、失礼なことをしているかもしれないと、自分を疑うからだ。人間だから少しくらいは仕方ないのだが、その醜い感情の現実への表出の度合いは確かめようがない。これは比喩だが、自分を人々から隔離し、手足を縛って、人々に対して悪さができないようにしないといけないというイメージを抱くことも多い。

まぁだからこそ逆に、そうじゃない瞬間、達成できている瞬間を意識してみようと考えたわけなのだが。あまり上手くいかないかもしれない。どうなることやら。

可能性2:過去を終わらせる

では、未来に活かしづらい一回きりの特殊な失敗については、どう扱えばよいだろうか。具体例を挙げよう。

グループでの活動の最後の仕事で、私がAさんに「この案件を確認してね」と念を押さなかったので、Aさんの仕事にやり残しがあった。そのことを担当のBさんが私に指摘して、文句も言ってきたので、私は謝ったが、Bさんは納得いかない様子だった。Bさんにとって良くない終わり方になってしまって申し訳ないが、もうこのグループで活動することはないので挽回はできない。

この件を10年くらい引きずっている。謝ってトラブルに対処する以上に何をすればよかったのかわからない。自分の謝り方がしつこくて不誠実だったので、Bさんはますます不快になったのかもしれない。自分が精神的に幼く経験不足だった上に、言い訳をするなら、当時は家の内外の対人関係で嫌な思いをすることや初めての引っ越し準備でストレスフルだったのを処理しきれず、適切な謝り方ができなかったのだ(たぶん)。それは悔やまれる点である。

この通り、どうにもできなかったからこそ、どうすればよかったのかと今でも考えてしまう。だが取り返しがつかないし、汎用性もないから次に活かしようがない。

では、具体的にどうすればよかったのか、考えを言語化してみる。

自分は、Bさんの文句に焦って反応してしまったが、その先に期待されているものをもっと冷静に考えるべきだった。目先の案件が上手くいかないことだけでなく、グループ最後の活動なのにBさんに嫌な思いをさせてしまったことについて謝るべきだったのではないか。つまり、もう少し視野を広げて考えて対応すればよかったかもしれない。

次に、その過去について仮の結論を出して、ストーリーを完結させてみるのはどうだろうか。

数年続いたグループ活動の最後だというのに、Bさんは嫌な思いをすることになってしまった。それは「Aさんが仕事内容を理解していない」と考え至らず、Aさんにきちんと再確認しなかった自分の責任だった。自分はBさんに許されなくても仕方ない。しかしたぶんAさんもBさんも、数年間一緒にやってきたグループ活動を、(後のどこかの時点で)総合的にはポジティブな思い出として捉えることができていると、信じたい。

やや強引だが仮の結論を作ることができた。まぁまぁ腑に落ちる意義づけだと思う。

心療内科に行っていたときにもこの話をもう少し具体的に話したが、医師は「何事も100%自分が悪いということはない」と繰り返し諭してくれるだけだった。未熟な自分は、それが頭ではわかっても腑に落ちなくて、当時は何も解決できなかったのであった。(自分の説明が下手で、話を医師にうまく伝えられなかっただけという可能性もある。)

今後もこのように過去を一つ一つストーリー化することで、わだかまりを解消することができるだろうか。

理想を言えば、リアルタイムで自分の責任の範囲を線引きして、範囲外のことは自分だけで対処しなくてもいいと考える分別と冷静さがあればよかったのだろう。また、他者の表面的な言葉すべてに意味があるわけではないので、発言内容にだけ反応して相手の不満を解消しようとするのは悪手だということも、知っておくと便利だっただろう。

おわりに

過去の失敗を意識して慎重になりすぎて疲れる、という現在の自分の困りごとに対して…

  1. 自分から他者への尊重が既に態度や行動として達成されている瞬間を意識することで、自分もOK・他者もOKという望ましい状態を認識できるのではないか。

  2. 過去について仮の結論を出すことで、過去を忘れるわけではないけど、過去に囚われもしないで過ごせるようになるんじゃないか。

という提案をしてみた。

こういう問題への対処法なんて既に誰かが考えてどこかに書いてるだろと思うのだが、どこに書いてあるか見つける知性が自分には足りないので、こうやって拙い試行錯誤を走り書きするしかないのが、現状である。


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