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萩尾望都『銀の三角』読解:ラグトーリンの嘘を暴け

Ⓒ1982 早川書房

① 序論:『銀の三角』再評価のために

萩尾望都『銀の三角』は80年代に書かれた作者の代表作の一つであり、第14回星雲賞を受賞したSF作品の金字塔でありながら、その高い評価とは裏腹に世間からも研究者からも正当に注目されてきたとは言い難い。本作は2023年10月現在絶版となっており、(ざっと探したかぎり)めぼしい研究も見当たらない。2022年7月に長山靖生による萩尾望都論『萩尾望都がいる』(光文社)が出版され、『銀の三角』について触れられてはいるものの、誤読も見られ論としての強度に欠けている(ように思える)。
 作品の価値を鑑みると異様なほど知名度が低く議論も少ない本作であるが、その理由の一つとして(本作を「超難解SF」と呼ぶブログ⁽¹⁾があることからも察せられるよう)複雑なプロットによるとっつきにくさが挙げられるだろう。本作は気軽に読み通せる作品とは言い難く、腰を据えて読まなければあらすじすら把握できない難解さが現代において重視されるタイパ重視のファスト読解を拒絶している。

 本論は作中のキーパーソンであるラグトーリンが物語の根幹に関わる「嘘」をついているという仮説をもとに、容易には読み解けない『銀の三角』の読解を試み、少しでも作品理解、ひいては作品の再評価に貢献することを目的とする。

② 弁証法と「三角」の形成

本章では、ラグトーリンの嘘に関する仮説を述べる準備その1として、以下三点を指摘する:①本作が多数の「三角」によって構成されている点、②その三角が弁証法的な発想で組み立てられている点、③ラグトーリンが「三角から無限への脱却」を求めるキャラクターである点。

 タイトルにも表れているように、『銀の三角』は三つの要素の組み合わせで成り立っている場面が多い。例えば、第一部(一)「いのりのあさ」では「男/女」という図式に「子供」という第三の要素が加わる過程が語られており、第三部(四)「空白の岸辺」では複雑な物語の時間軸が「古代/三万年前/中央現在時」と三つに整理され提示されている。また、登場人物の配置を見ても主人公マーリーはクローンも含め合計三人登場し、半超越者ラグトーリンが未来の歪みを解消するため干渉する人物も「ル・パント―/エロキュス/マーリー」の三人である。
 上記のような三要素の組み合わせを対等な対立構造とみなし、各要素(例えば「男/女/子供」)を頂点とする正三角形を想像することも可能だろう。しかし、本作に登場する様々な「三角」は対等でバランスの取れた三要素により構成された正三角形とは考えにくい。どちらかと言えば二等辺三角形のような形の崩れた様相を成している。

 これらの三角形は弁証法的な視点で読み解くとより正確に把握できる。例えば「いのりのあさ」における「男/女/子供」の図式については「男/女」という二項対立が三角形の二つの頂点として存在し、その営みの結果として「子供」という第三の頂点が誕生するのである。
 ラグトーリンは(本人の言を信じるならば)この弁証法的な営みにより誕生した子供であるためか、物事の解決に対しても①二項対立の設定 ▶ ②弁証法的状況の設定という自身の出自と同じ流れを好んで採用している。実際、未来の歪みを正すための彼女の計画を整理すると以下の通りとなる:①ル・パントーの「運命の糸」をほぐす(かもしれない)エロキュスという女性を中央現在時に転生させる=二項対立の設定 ▶ ②エロキュスに音楽を聞かせル・パントーのいる赤砂地へと導く=弁証法的状況の設定。

 しかし、ラグトーリンは弁証法的状況の設定までは行うものの、その果てに誕生する「第三の頂点」について綿密な計画を立てているわけではない。自らも「男/女/子供」という三角の一頂点にすぎない彼女は三角形そのものを外側から俯瞰して観測することができない。このことについて彼女は「すべてが見えるわけじゃない」「もしわたしがこの手に完成した宇宙のすべてを把握していられるとしたらあの方法かこの方法かと悩み探すこともないのに」とフラストレーションを表明している。
 彼女がエロキュスに歌った歌にも(先祖代々伝わる歌ではあるものの)どこか半超越者としてのもどかしさが反映されているように感じられる。「三が現存世界の限界を示す数」「三から先は四・五・六・七……と神の無限へ続く」という序盤の解説を踏まえると、「夢のまひるに 金銀の 四角三角 四角六角 六角無限角 恒久沙角 [……] あなたの無限に わたしをとらえておくれ」という歌詞にはまだ三角の領域を脱していない彼女の無限への憧憬がこめられているようである。

 さて、ラグトーリンはマーリー・1の介入により計画の変更を余儀なくされる。再計画遂行の際も彼女はマーリーとエロキュスの二項対立からマーリー・2を作り出す、という弁証法的な方法を取っている。マーリー・2を加えた再計画は未来の歪みを正すという当初の目的を達成するものの、引き換えにル・パントーが因果ごと消滅し「ル・パント―/エロキュス/マーリー」の三角形が崩れて物語が終了する。
 次章ではラグトーリンの嘘に関する仮説を述べる準備その2として、物語の結末を「ラグトーリンの願望の挫折」と捉えられる可能性について言及する。

③ 三角の消失と再形成

『銀の三角』はラグトーリンがバランスを取りながら三角を作りあげる物語でありながら、彼女自身もその三角の構成員であるという点が特徴である。彼女は意図的に二項対立を作り出し、そこから弁証法的に三角形を生みだすことで計画を推進しているが、その結果何が起きるのかに関しては行き当たりばったりな面も見られ、最後には組み立てた三角形の頂点が一つ失われてしまう。この結末は作中マーリー・3が言及した「不安定」な状況と合致する。

 マーリー・3はラグトーリンとの対決を決意した物語終盤に状況を以下のように説明する:「ラグトーリンはエロキュスを古代の川辺から引きよせる」「やってきたエロキュスはわたしと相反する」「わたしははじき出され三万年前のプロメへ そこでミューパントーと出会う」「三つのポイントに四人の人間 この不安定さ」。三つのポイントとは①古代、②三万年前、③中央現在時の三つの時間軸のことであり、四人の人間は①エロキュス(=マーリー・2)、②マーリー・3、③ミューパントー、④ル・パントーを指す。三つのポイントに三人の人間が配置され形成される三角こそ「安定」の形であると想定すれば、ラグトーリンの計画は安定の形を復元できずに終了してしまったと指摘できる。まず、古代にはエロキュス(=マーリー・2)が配置される。続いて中央現在時にはマーリー・3が戻る。しかし、三万年前には誰もいなくなってしまうのである。
 前章で触れた通り、ラグトーリンは三角である現在地点から四角・五角と頂点を増やし無限へと至ることを望んでいる人物であると考えられるため、逆に三角形の頂点を一つ減らしてしまった結末は彼女の願望の挫折を意味しているとも取れてしまう。

 本章ではいったん結末を「ラグトーリンの願望の挫折」と解釈して最終章「夢狩りの夕べ」を再考する。「夢狩りの夕べ」の時間軸は三万年前、ミューパントーの死に際にエロキュスが時間を越えて引き寄せられた場面から始まる。マーリー・3はラグトーリンの裏をかくためエロキュスを殺害するが、それも彼女の計画の一部であり、エロキュスの死によりル・パントーの結び目がほどける。結果ル・パントーは夢としてエロキュスの中に納まり、現実から消えてしまう。最終的にエロキュスはル・パントーの夢を内包したまま古代の岸辺に残され、マーリー・3はラグトーリンの手により中央現在時へと帰還することとなる。
 ラグトーリンはマーリー・3に「あなたはどこへ行くんだ」と問われた際「どこへも行かない」と回答している。「夢狩りの夕べ」の時間軸が三万年前であったことを考慮すれば「三万年前の時間に留まる」と解釈することも可能な台詞である。
 仮にラグトーリンが三万年前に留まったとすれば「古代のエロキュス/三万年前のラグトーリン/中央現在時のマーリー」という三角形が形成され、不安定な状態を脱することができる。三角形からの逸脱を夢見ていたラグトーリンが不安定解消のため自らを三角形の一端に縛りつけることを決意したのだとすれば、本作はラグトーリンの願望が完全に潰えて終了したことになる。すると『銀の三角』は三角の形成と消失、そして再形成という過程の中で、ラグトーリンの大いなる野望が失墜する物語としても読み解けることとなる。

 以上の仮説は一見作品の新解釈としてある程度魅力的に思える。しかし、ラグトーリン本人の台詞と微妙な矛盾が見られ説得力があるとは言えない。三角の一頂点ル・パントーの消滅について、ラグトーリンは予定の狂いに言及しつつも「ともかくうまくいった」「わたしはきれいにとりのぞいた」「かなりうまくやった」と評し、結果に満足した様子が伺える。仮にル・パントーの消滅がラグトーリンの願望の失墜を意味するのであれば、上記のような前向きな台詞を口にするとは考えにくい。
 そこで、次章では発想を転換し、ラグトーリンはそもそも世界のバランス調整を目的としていなかった可能性について考察し、ラグトーリンが嘘をついていたという仮説を提唱したい。

④ ラグトーリンの嘘

全容の見えにくい『銀の三角』において読解の指針となるのは、ラグトーリンがはっきりと語る「目的」であった。彼女はマーリー・2にこの世界はモザイクの組み合わせのようなもので、ル・パントーが死に際に発する異形音がそのモザイクを歪めてしまうと説明し、「ル・パントーを救えば……彼の運命を変えれば……彼は異形音を発しない モザイクは歪まない」「ル・パントーが出す声を これを止めたいの」と目的を開示する。ル・パントーを救うというラグトーリンの目的がはっきりしていたからこそ、対抗するマーリー・3は「ル・パントーを救う糸口エロキュスを殺す」という手段を持つことができていた。

 しかし、ラグトーリンは元々ル・パントー救出を重要視していなかったと考えられる。まず前提としてル・パントー救出はあくまでも「未来の歪みを正す」という更に上位の目的への手段にすぎなかった。その上で、結果としてル・パントーの夢がエロキュスの中に入ってしまったことについて彼女は「[予定が]少し狂いはした」「わたしが食べるはずだった」と述べている。つまり、彼女はル・パントーを夢として非現実化し自身の中に取り込むことを最初から目的としていたと考えるのが妥当だろう。マーリー・2に語ったル・パントー救出はおろか未来の歪みを正すという上位の目的すらもそのための下準備にすぎなかったのではないだろうか。

 では、ラグトーリンがル・パントーおよび彼ら「銀の三角種」を非現実化するメリットは何か。それは彼女の願望が三角からの脱出および無限への到達であることに関連している。彼女はもともと「銀の三角種の男/銀の三角種の女/その子供」という三角形の一頂点を担う存在である。そんな彼女が、三角の次元から脱するためには「銀の三角種の男」「銀の三角種の女」という残り二つの頂点を消滅させるのが手っ取り早い。つまり、ラグトーリンの目的は決してル・パントーを救うことでも未来の歪みを正すことでもない。真の目的はル・パントーへ干渉し銀の三角種を消滅させることにより、自身が捉われていた三角の次元から解き放たれ、無限へと近付くことなのではないだろうか。

⑤ まとめ

本論では、『銀の三角』における「三角」について整理するとともに、その三角が弁証法的な発想によって組み立てられていることを指摘した。また、その中でラグトーリンの願望を「三角から無限へと至ること」と仮定し、ラグトーリンの語った目的が嘘であり、真の目的は「銀の三角種をめぐる三角そのものの消滅」であるという仮説について論じた。
 反論の余地も多くあるかもしれないが、少なくとも『銀の三角』読解に新たな視点をもたらそうという努力の姿勢は示せたのではないかと思っている。今後、本作に関する深い研究や活発な議論が展開されればファンとしてとても嬉しい。


【参考】
(1) HONKY TONK 脳内「感想『銀の三角』SFマガジンに連載された少女漫画の神による超難解SF★★★★」2016.7.14 (2023.10.26最終アクセス). https://hoorudenka.hatenablog.com/entry/2016/07/14/193708

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