あもーれ

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    長岡ゼミのnoteマガジンです。 Vol.1、Vol.2、と定期的に文章を投稿していきます。

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    F&Nは長岡研究室で発刊しているマガジンです。 Foot&Networkの略であり、半年間の活動で出会った人や活動について紹介していきます。これまでは冊子の印刷をしていましたが、オンラインでの発刊を行います。

最近の記事

受験勉強を乗り越えて

大変な受験勉強を経て、難関大学に入学した学生の多くにとって、その「受験勉強」というプロセスの与える影響はとても大きい。かく言う私も小学生のころから受験というものに触れさせられており、私のような人たちにとって、それはこれまでの人生の半分近くをともに過ごした経験であり、その人格形成に与える影響は凄まじいものだろう。この1か月ほどの「経営組織論」でしてきた数十のポストの中で一番反響があったのがこれだったのだから。 「高校までの受験勉強と大学からの学びの違い」はここにあるのだと思う

    • 練習あるのみ

      たった今感じたことや思ったことを的確に表現することは思っている以上に難しい。授業アシスタントと受講者の両者の立場から同じ授業に参加したからこそ、その難しさや悩ましさはよくわかる。ただ、アシスタントとしてリプライを去年以上に返すようになって気づいたことが1つある。それは、表現するにあたっては、やはり「量をこなさないと質はよくならない」ということ。リアルタイムで進行し、話題が次々に移る授業の中で質を求めじっくりツイートをしている余裕はない。多少つたないものであってもとにかく表現の

      • 「すごい」の先へ

        このツイートの前の週に、パラレルキャリアを実践する神谷俊さんをゲストにお呼びして講義が行われた。このツイートはその振り返りの際にツイートしたものだ。ゲスト講義中の受講生によるツイートを最新から順に追っていくと、とある単語がたくさん目に入ってくる。「すごい」だ。「~できるなんてすごい」とか「それに比べて自分は~」とか。そんな感想でタイムラインが溢れる。でも、そんなことは分かりきってるじゃないか。すごい人を呼ぶゲスト回なんだから。「すごい」って感想を抱くのはいい。でも、そこで止ま

        • "遊び"のある生活

           ツイートに書いた通り、"遊び"は本質的だと思います。「遊ぶために遊ぶ」んですから。内発的動機の源泉は遊びにあると言っていいのかもしれません。では遊ぶにはどうすればいいでしょう?そこで、「遊びを持たせる」という表現を考えます。語義は「遊び=余裕」ととらえてくれればいいです。この「遊び=余裕」という表現、一体なぜ等しくなるのでしょう。それは、遊びは余裕のあるときに生まれるからではないでしょうか。余裕がない時は遊んでる暇なんかありません。やらなきゃいけないことややるべきことに追わ

        受験勉強を乗り越えて

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        記事

          伝播する"想い" 【Footwork & Network vol.20 No.7】

          去年の暮れあたりからアナログゲームを作成するプロジェクトに参加することになった。今日はそのプロジェクトのはじまりについてお話ししたい。 鶴の一声 「アナログゲームを作りたい。力を貸してほしい。」 突然の連絡。ひろぴーとは中高を同じ学校で過ごして以来あまり連絡を取っておらず、抱いた感想は「いきなりなんだ」だった。アナログゲームは好きだ。連絡をくれた彼を含め、中高から今に至るまで多くの友人と一緒にプレイしている。しかし、やることと作ることでは話は大きく変わってくる。なぜそうし

          伝播する"想い" 【Footwork & Network vol.20 No.7】

          形骸化するアンケート

          学期末に入り、受けている授業の多くが終了した。そして、それぞれの授業が最終回を迎える度に受講した学生は「授業アンケート」への回答を求められるのだが、これがなかなかの曲者なのだ。 Twitterの投稿にも書いたが、まず躓くのは授業への5段階評価。「とてもそう思う」から「全くそう思わない」までの5段階で各項目に答える。これがそもそも曖昧だ。「とても」ってどれくらいだ。「少し」とどの程度違うのか。私自身ですらよくわからない。さらに、これには個人差だって多分に含まれる。私の「少し」

          形骸化するアンケート

          「蒐集」という生き方

          私は必要以上にもちものを増やすのが嫌いだ。ものが増えると、ものに縛られるような感覚がする。もっと身軽に目の前のことに集中して生きたい。 しかし、今日の企画展でその正反対の考え方に触れた。「蒐集」する生き方だ。 展示されるものを見ながら 考える。なぜ、ものを集めるんだろう? 考える。ものをたくさん集めて保存するという行為に何の意味があるんだろう? この企画展に来る人を見ながら 考える。そうして集めたものをお金を払って見に来る人がたくさんいる。 考える。蒐集したものには魅力

          「蒐集」という生き方

          きれいは汚い、汚いはきれい

          「きれいはつくるものだ」東京はきれいだ。 皇居に行けば歴史的建造物と紅葉しかけた木々が見られる。少し歩けば大通りに出てこれまた木々と芸術的とも言える建物が私たちを出迎える。 でも、その「きれい」は誰かによってつくられたものだ。私はそれに無意識的に嫌悪感を抱いてしまう。 一方で、うちの地元にはあまり手入れされていない公園がある。見た目は汚いけど、ある意味自然的なものだ。人の手が入っていないことにはいいイメージがある。これも「きれい」なのだろうか。 東京はきれいで汚い場所

          きれいは汚い、汚いはきれい

          いま、暇ですか?

          あなたはどうでしょう?オレは暇に「なりたい」です。 暇「である」ことと暇に「なれる」こと 同じ「暇」な人間でも、結果として暇「である」人間と自ら暇に「になる」人間には大きな差があります。社会のこと、誰かのことを考えられるのは後者の人間です。 暇「になる」ために ツイートでは「暇」という言葉を使いましたが、オレは「お手隙」という言葉の方が好きです。意味は「暇」とほぼ一緒ですが、こっちのほうがイメージがしやすい。要は「手ぶらである」ということ。手ぶらであるにはなにが必要か。

          いま、暇ですか?

          「仲間」がいるということ【Footwork & Network vol.19 No.7】

          オレ、大学生になって初めて「仲間」ができました。 「仲間」とは...? 大学受験期の担任が「クラスメイトはなかまです。なんでも相談しあって互いに高め合いましょう」と言っていた。そんなことできるわけがない。クラスメイトはあくまで他人で、競争相手なのだから。  じゃあ、「仲間」ってなんだ?  大学に入って、交友関係がリセットされた。大学は「仲間」を探す場所だと高校の恩師が言っていた。そのために躍起になって出会いの数を増やそうといろいろな努力をした。そのおかげか多くのナカマが

          「仲間」がいるということ【Footwork & Network vol.19 No.7】

          Hello World!

          「新しいことに興味はあるけど、初めの1歩が踏み出せない。」 それがずっと悩みだった。それがこの1年で大きく変わったように思う。長岡ゼミでの活動もその要因の1つだ。まだ初めて1ヶ月も経たないが、ここでの体験は「初めて」で、とてもワクワクする体験ばかりだった。 Hallo Fashion!「ファッション」のあり方について考えさせられた。これまでの買い物でその裏側を考えたことは1度でもあっただろうか。作る側のメッセージは?経済格差や環境など社会問題への影響は?見た目にばかり意識を

          Hello World!