愛の貧乏大作戦にASD傾向の人を見つけて。一般視聴者としては応援する人の優しさを見たけど。

友人から「愛の貧乏大作戦」が面白いと連絡が来た。

その中でもポンコな回をお薦めてしもらって。

というかうどんが食べたくてしかたなくなるかいである。

[みんなんが呆れる亭主]
他の人と話している時に、相手がどう感じているか理解することが難しい
→だろうな。(自分のせいで招いてる会話を他人のせいに)
他の人が気にならないようなものが非常に気になる
→「うどん」だって言ってるのに、「汁」の味にこだわる
集団で働いたり、グループで活動をすることがとても難しい
→だろうな。(厨房の中の出来事をみて)
他の人が、どのようなことを自分に期待しているのか理解することが難し
→これは今回においては集中力の限界プラスアルファのせいも
社交的な場面で、どのように振る舞えばよいか分からないことがよくある
→敬語が使えない。お願いしますという命令を使う。
他人と雑談したりおしゃべりすることができない。
→これって共感をよんで小さくても輪をつくることだったんだ。

が、救済として「うどん」をつくるという点においては、全然成長が見て取れる。技術取得においては、全然みんな頑張れる余地ある!

が、人間関係か。

[パートナーが泣きたくなるのがわかる]
・自分が言い出しっぺなのに他力フォロー必要状態
・自分のミスでこうなってるのに上から目線
・自分が言い出しっぺなのに、他人事に言う
・自分が言い出しっぺなのに、できない
→注意欠陥がありありでてた。
「見習い」・・・みながら自分の作業はできない
ルーティン崩壊・・・慣れない場所ではなおできない
つまり・・・3日の修行とかそもそも特性で無理ゲー
(無理なんだけど、テレビだから押し通すし、できたように思うけど、このうどん教わる亭主が、お人好しでなければ、一切の関係は切られてもおかしくない無礼(悪気はない)オンパレード)
・自分がやらかしたことで、逃げ出す
・自分の都合が悪くなると、だんまり

おぉまさに私がカサンドラになる相手要素

[ASD奥義]
「お願いします」という命令形で押し進む
できないことをできると思い込む
→簡単と思う傾向がある
 →簡単かもしれないが、集中力が続かず「できない」
 →突然の興味消失で「できない」
ブレインフォグ状態んなんだろうな。。。

こうゆう「特性」なんですと言ったら、一日の修行もさせてもらえなかっただろうけど、言わずにこの始末どうなん。

ここがASDに対する私の課題ポイント

あと、自分のことを相手に聞くこと多いんだよね。

パートナーには言ってないんだけど、なんかしてもらって当然という世話焼きタイプを運良くゲットした彼女の頑張りを第三者みたいに褒めるんだけど、これ依存入ってるかもと思った。

こんないい奥さん(内縁)を離しちゃだめよ。とテレビ(世間体)は言ったけど、最悪効果だね。このストーリーは、店主の主体のなさから来ている。
・奥さんんがエントリー
・なんか知らんが旦那乗り気
・結局頑張りきれなくて、奥さん頑張る
・奥さん、頼む、謝る、お願いする

また旦那さんがやる気失うのは見え見え、なぜなら、人の気持ちは汲み取れないけど、「怒られる、責められる」はASDも大っ嫌いで回避する。
この場合は奥さんが一切の小言を褒めポイントに変えて「やる気を出させ続けたら」勝ちというゲームだろう。(それができる女性はもう女性ではないと思う。相手に好意を向けなくなったその先対応な気がする。)

で、教わるうどん亭主には、自分のことを相手に聞くこと多いんだよね。

・突然の信頼(要は信頼理由が明確でない)
・甘え(親への甘えで許してくれる期待も感じる。てへぺろ失敗談)
・どこからきたのかわからない執着

自前の汁作ってという要望に
・甘すぎた
・甘すぎた
・最高じゃありません。
と報告する。相手呆れる。(多分普通感覚の人はこれでなにが起きてるかわかる)。つまり、ゴールはうどん亭主に自前の汁を提供すること。できてないものに言い訳しても「自身の問題」に相手はなにもできない(共感めいたことは言えるかもしれないが、友達作りに来たわけではない)。

この一件は、あまり私の周りににはいないけど、今父に対応していてすごくかぶる。娘を友達のように対応する。一聞するとなんか素敵な親子感だが、実際は、「父親」という立場を都合よく無視した「甘え」「勘違い(甚だしい)」。なるほどな。学生時代には友人関係も特段問題なかったのに、急に社会人になって難易度があがると書いていたASDを思い出す。

私たちは社会の中のコミュ人ティーで生きる時、自動的に立場を与えられてる。それを考慮して言動に敬語、礼、距離を織り交ぜて日々生きている人を「常識人」と呼んでいるのかもしれない。

いや、それがわからないのだろうな。寄って考えるなら、パートナーには亭主関白っぽく接し(ASDの亭主関白問題結構多く感じるんだけどなんだろう、しかも、「亭主関白」のメリット的なことを考えておらず、そう振る舞うことで自分をよく見せるくらいしかの配慮がないことにイラッとしている私である)、うどん亭主には、勝手な信頼を置いて一方的に甘えている。

うどんを本当に習得したくて、しつこいのかと思えば、修行中なにもせずぼーっとしてしまう。「しつこいおねだり」=「なにもしない」=「矛盾」

・「できない」ではなく、「なにもしない」まで行動がいってしまう点
・「矛盾」をおこしているのに引き下がらず、相手にお願い(命令)する

ASD構造に触れたような気がする

がしかし、自分で書いていても「諦めるよな」と思ってしまう私は、ASDから可能性を奪う発言になっているとするとほんとに難しい。「人は迷惑をかけているのだから、相手の迷惑も許しなさい」インドの諺くらいしか救済のコメントがでない。

が、今回のうどん店のように弟子入り何年目の人を知り退け、たった数日だけの修行を申し込めるのも、一見して「このうどんが好き、すこぶる好き」みたい取れるところが、怖い。実際は「好き」とは違う特性のただの「こだわり」「執着」だとするとストーカーみたいに怖い。(父を思い出す。。)

さて、結果、テレビではこれから立ち直せそうなちょっとパッピーで幕を閉じるが。。。

「障害特性からくる言動をその人の性格とされるもの」に照らし合わせると、

・おいしいうどんをつくることは彼のゴールではなさそうだ
・パートナーの叱責でやる気はでていない
・「4000万の借金」も頑張りにはつながっていない

すべてはまわりに嫌われないためにその場その場、まわりが起こすトピックスに、背伸びした見栄を折込、定型発達より短スパンで都度都度対応しているだけのように見えてきてしまう。ここまでくるとACの可能性を感じてしまう。

それでもさ、今はそれなりに幸せでいてくれるといいね。と人は願うことをやめないと思う。とテレビの観客をみてなお思った。


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