HSPのいつも心に持っておきたい哲学

私のHSPのうちなる「正義」は、なかなかいい線言っている。と自負している。唯一結構自慢できる「特性」だと思う。

でも、相手と共有する時は、別。と最近とことん実感している。

「自分が正しいと思うと人は凶暴化する」そんな本のタイトルを見たことがあって、ハッとした(結局、読んでないし、買ってないけど)。

頭ではなんとなく、そこも理解していたけど、アウトプットには非常に苦戦していた。だって「正しいは正しいでそれ以外説明にある?」といった感じ。

それがやっと「発達障害の症状」を目の当たりにして、「そもそもの起点が真逆」という新しい解釈の幅が広がった。

好き嫌いの食べ物があったとして、「好き嫌いで食べない」のではなく、「できない」と判断となる(してあげる)。

私の発達障害への理解その1

ただ、その「できない」も年を重ねるごとに緩和される。って解説があって、おいそれは定型発達と同じではないか(怒り、笑い)。

私の発達障害への理解その2

ま、この2点に焦点をあてるだけで、精神科医でもない私の発達障害へのジャッジは止めようとしているのが、現状である。

つまり、出会い頭のその時点では、未来に出来うる可能性があるなんて思って私たちはみな幼子に接するようにいい大人に対応できない。私だって私の課題で精一杯だ。相手が「できない」というケース(以前より寛容にそして古来のDNAよりそんな気質の人間もいるのだという幅を受け入れ)を受け止めるようにしている。

実際、そんな人に会ったら、以前は「幼い」と感じていたが、ま、実際「幼い」わけで、発達障害側から説明すると、それはそれは定型発達でできない気質からの「いつできるか」まったくわからない、中途発達の年齢性別関係ない遺伝子レベルからくる「幼なさ」だと理解するようにしている。

そうすると同じ定型発達と「度合い」は、全く違うにしても「同じ土俵」で考えられるようになったのであった(ここまでくるまでに本当にASDに対してほんと恐怖でしかなかったわ)。

が、ここからが現実的な問題である。

年齢性別関係なく、中途発達(発達障害傾向の人をあえて指している)の人がいる。ご年配のグレーゾーンに道徳、倫理を教えるようなものである。
こんなに難しいことはない!!
同世代でも結構大変である。
まして、それが自分の生活の中で何かしらの権限を持っていたら?
吐き気がするほど、恐ろしい状況である。

これがHSPのカサンドラになる根本的基本形態と思っている

カサンドラの構造も簡単だった。別に相手が大切な人や自分の生活圏に属しない人なら、離れて接しなければいいだけなのだから。それが、大切な人や自分の生活圏の人だったから、詰んだだけのこと。

人は変えられない。変えられるのは自分だけ。

ロジカルシンキング先生の尊いお言葉

で、「大切な人や自分の生活圏の人だった」らどうすんの?ってところで、私は20年くらい闇を詰んだ。
(ちなみに精神科医に言わせるとそうゆうことは、悩んで10年くらいはざららしい。もっと知ら知らしめてよ、世の中に。お願いします。)

それぐらい厄介な問題なのである。

1)それが親であり、私の意思預かり知らぬところで行われた場合
ご愁傷様でした。残念だけど離縁して生きていくのがいい。私はそれで自分の人生を取り戻しつつある。人によっては、そのことを伏せて接し続けることもできるかもしれないが、予想では、その人もあっち側に行ってしまう。
HSPの気質的正義からしたら自殺行為であろうし、通常の人も「闇行き」末路は暗いと思う。あっち側に行って生きていける人こそ、病気に類する部類であろうし、そんなどうしようもない状況でも打破の可能性を前向きな発達障害傾向に近い人々が逆に打破できる存在と行動をその思考性を持ってできるのではなかろうかと私は期待を逆にするほどになった(もちろん、これが虐待とか生き物的レベルでアウトのものは含んでいない)。

2)もしも、お願い事が自分のジャッジで動向が変わる可能性がある場合。
「断る・濁す・不安がる・なにかあったらどう責任をとるか確認までする」
空気を察するHSPの一番苦手なところなんだよね。
・質問責めにする。
・もしもの質問は疑いをかけている気がする
・心配性の私も嫌い
てな感じで、基本信じて、裏切られても自分がちょっと痛いくらいならまぁよしとする心優しいHSPよ。

これから、大事なことを話します。(自分のために、これが今一番私が今後生きるためにしないといけない練習だった)

フェーズ(1)
もしも、高齢のご両親からお金を貸して欲しいと言われたとする。
・私は貸すお金はあげるものと思っているので基本トラブルは起きない。
しかし、この時は、なんとも雰囲気で助けてあげないといけないような空気が流れていた。
・だいたいのっぴきならないお願い事を聞いてしまう時はそんな時だ。
なんだか、空気を読んでしまい、理由を聞くのも申し訳なく感じるほどだった。
・が、申し訳なく思う必要はなく、感情系脳番地が敏感なHSPがただ思い込んでいるだけで、その感情脳の思い通りにすることこそ、確認事項を怠る「人間関係の怠惰」であると自身に戒める必要性がある

フェーズ(2)
その後、やっぱりなんとなく嫌な予感通り、お金を返してくれない。親だから高齢だからとか自分の納得しやすそうな理由を自分であてがえても、自分の生活もなかなか厳しい時は、お金を返すというちゃんと結果を導きたい。
・もうすでに最悪なケースであることはお分かりだろう。
・・無理やり回収したとして気分は悪い
・・回収できなかったとしてお願い聞いて損。

こんな時に自分はどうこのことを解釈するか、それがここ最近の課題だった(長らく読んでいる人は、これがシェアハウスのバカップル事件だと気づくだろう、もしそう、この田舎を離れる場合、いっときしかいない自分がここを荒らすだけのようなことをして誰かを悪者にして去っていくのは流石にHSPがざわつくのだ。では、どうするか)。

まずは、私の行動の再解釈。
私が、お金を貸したことで「悪者」を作ってしまったという事実を受け入れる。たとえ、頼まれたことへの行動だとしても、私たちには「責任」が伴う。その違和感を感じられる心があったというのに、「自分の心の違和感の確認事項を行わず」無責任に受け入れたことで、「親を悪者」にしてしまった自分をまず反省すべきである。

これがデフォルトの大人の対応というか、私はここまでできる人でなければ自分が納得しない。だからHSPだなと思った(つまり、もちろん、感じる心があってもコントロールを自分でできないHSPは多く、HSPが善人だとはとても言い切れないし、むしろ、厄介と言ってやりたい)。

が、ここで私のなすべきラインがはっきりとした。

ちょっとやっぱり実行にはかなり厳しいけど、状況や前提条件について、感情脳の誘惑なのか洗脳なのかACから脱出した私は今はジャッジができるようになり、生きてる限りこれをずっと(前向きに誇り高く)していかないといけない。

と思えるのだ。

まだ、中途発達(発達障害の障害っていい方ほんと嫌いだったんだけど、グレゾーンを中途発達って呼ぶのはなんか未来を感じるし、私もうこの人がASDかどうか問題どうでもいいというカテゴライズに入れたいから、発達障害は今後使わず、「中途発達」って言葉で自分のNOTEは勝手に進めていこう。)との対話についてまでは辿り着けない。だけど、そうだ、私たちにも「できない」までいかなくても、この予見レベルで断ってもいいのである

あなたと健全で良好な関係を維持するために、私はお断り申し上げる。

これが心地よくできるようになるのがHSP(AC)の修行であり、哲学だとも思える



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