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メキシコ生活記録⑪ ーお点前させていただいた話

どうしてこんなことになったのか、ということを書くには、まず去年の12月にまで遡らなければならない。でも、そこから書きはじめると長くなりすぎるので、それはまた別の機会に書こうと思う。なので、今回はあの有名な最強フレーズ「ひょんなことから」を使わせてください。
そう、私はひょんなことからメキシコでお点前をすることになったのです。今回はその第1回目のお話。

お点前できます
実は、わたくし大学時代にお茶とお花を習いに行っておりました。母から習っておきなさいと言われていたので、それなら大学生の今しかないなと。部活とかではなく、ちゃんとした先生の所へ通っていたので、開かれるお茶会はけっこう盛大で、県知事とかも来てた。お教室は大学とは無関係だったんだけど、立地的に学生のお生徒さんが多かったので、学生主催のお茶会などもやらせてもらえ、私にとっては本当にいい思い出。でも、卒業後はお茶会に行くこともなく、家でときどきお茶を点てて飲むくらい。もちろん、一連のお点前なんて見せる機会もない。要するに、ここ20年くらい茶道から遠ざかっていたわけです。
こんな私が日本の伝統文化を脇汗かきながら英語で伝える日がくるなんて。のんきに学生釜を催していた頃の私には想像もできなかったな。
(ちなみに余談ですが、私が初釜(1月の茶会)でお点前する席の待合で、当時彼氏だった主人と私の両親が初対面することになり、お茶会も彼女の両親も初めてでパニックになったという恨み話を、彼はいまだにします。)

やる気の校長先生
さて、話を2023年に戻しましょう。お茶会が開かれる場所は、INSTITUTO ASIATICO PENINSULARというアジア系の語学学校。ここの校長先生が大変な親日家で、メリダに住む日本人の方ともこの学校を通じて知り合うことができた。で、去年、初めてこの学校を尋ねたときに、中国のお茶道具がたくさん置かれている一室に、畳も入れて日本の茶室を作ろうと思っているって話をされたので、「私もお茶を習っていたので、何かお手伝いできることがあれば言ってください」と軽い気持ちで声をかけた。そしたら、メインパーソナリティーとしてお点前することになっていたわけなのです。
ただ、私はもうお茶の先生は決まってるもんだと思っていたので、私はお運びやバックヤードのお手伝いを…くらいの申し出だったんだけど、ふたを開けてみたらこんなことに状態。校長先生、やる気先行の見切り発車畳だったのね。まさか先生がまったく決まっていなかったなんて。やろうと思ったらまず動く!こういうフットワークの軽さが成功を手繰り寄せるんだろうな、と思ったりした。
とはいえ、私程度の人間がお稽古をつけるのはさずがに無理だと思っていたら、どうやらお稽古ではなく、一回一回仕切り直しの「お茶会」を定期開催したいということらしかった。それなら…と引き受けた次第なわけです。

海外でお道具を揃える難しさ
メキシコで、しかも急づくりでお茶会をするとなると、もう現地調達でまかなうしかない。でも、茶道って、高い茶器を使うことに意味があるわけではない。一番大事なのは、メキシコでの一期一会に感謝することなので、ないならないなりに、お茶碗はメキシコの焼き物を使えばいいし、お菓子だってメキシコのものを使えばいい。チョコレートや駄菓子だって素敵だと思う。ここでお茶会をする意味を考えるなら、私はむしろそうしたい。でも、校長先生には、日本の文化に触れてほしいという強い思いがある。くわえて、予算もある。このあたりの折り合いって難しいなと思った。そう、どこまでこだわるのか問題。アマゾンをみると、メキシコでも日本の茶道具が買えるみたいだけど、ちゃんとしたのはめちゃ高い。「ぽい」で妥協すべきなのか。悩みながら、校長先生によさそうな商品のスクショを何枚も送った。そしたら、校長先生は、するっと初見の「ぽい」セットを買っていた。
得意げに見せてくれたのは、開けるとキュポッて音がする棗(なつめ)や、鴨のかわいい箸置きおかれた持ち手の先が尖った茶杓など。棗は密閉容器じゃないし、茶杓の持ち手は尖ってないし、箸置きにも置かない。でも、頑張って予算内で選んでくれたこのお道具たちとの一期一会にも感謝したい。それが、茶の湯じゃないか。
でも、鴨の箸置きだけは、「とってもかわいい!」って言いながら飾り棚に置いた。

予行演習
本番のお茶会は参加有料なので、その前に校長先生の友達を招待しての予行演習が行われた。流れはだいたいこんな感じ。
1. 招待客は校長先生がネットで買った色んな柄の浴衣セットを選んで着る。
2. 撮影タイムの後、みんな席につく
3. 茶道の説明スライドを流す
4. お点前スタート
5. お客さんのお点前体験
6. ご質問あればどうぞタイム
浴衣セットの帯はのせるだけの簡易帯だったとはいえ、浴衣自体を着せないといけないので大変。でも、着付けができる日本人の方と私とでなんとか。着付けも習いに行ってて本当によかった。
この浴衣のオプションに、お客さんたちは本当に喜ばれていて、民族衣装ってテンションあがるよね分かる、と思った。
お点前は、Youtube先生の動画をみながらお稽古していったのでなんとかこなせた。
それで、この日は着付けを手伝ってくれた日本人の方(スペイン語ペラペラ)がずっといてくださったので、最後の質疑応答も私は日本語で話せばいいのでとても気が楽だった。
・日本人はみんな茶道を習うの?
・(習う人の方が少ないと答えると)自国の伝統文化がなくなっていくのは悲しくないの?
・浴衣と着物はどう違うの?
など、もっといっぱい質問されたんだけど、覚えてない。
ちなみに、1号は私がお点前するのを初めて見たらしく、動画を撮っていた。
そんなこんなで、予行演習は無事に終わった。

第1回お茶会
満を持して、第1回のお茶会が先週の金曜日に行われた。
企画している茶会は、内部の生徒さん向けと外部客向けの2種類がある。
今回は内部向けなので、生徒さんと日本語を教えているメキシコ人の先生を含めた6人が来てくれた。
変更点があるから早めに来てほしいとのことで、私は1時間前に入った。すると、英語のできるメキシコ人スタッフに、お点前の所作の意味を説明してほしいと言う。「ん?なんで?」と思っていたその時、私はこの日、予行演習の時に手伝ってくれた日本人の方が来られなくなったことを知る。ということは、本日、私は茶道のなにもかもを英語ですべて説明しなければならなくなったということだ。何とかなるわけないだろ。
でも、何とかしなければならない。お客さんが来てしまう。ものすごい中学英語を駆使しながら説明していたのだが、やっぱり限界がある。
「清める」って、英語で何て言うの?
「clean」は違う。だって、汚れてるわけじゃないから。「え、清めるって何?」ともう日本語でつぶやいていたら、また別のスペイン語ができる日本人の方がたまたま来てくださったので助けてもらった。頑張っていたら、助け船はやって来る。
でも、その方も用事があるとのことで、本番が始まる前には帰られた。
ただ、着付けのお手伝いで今日入ってくださった日本人の方がお茶会も残ってくださった。この方はスペイン語は私と同じくらいなんだけど、もう日本人がいてくれるってだけで百人力感がすごい。本当にうれしかった。
そんなこんなで、お茶会がはじまった。

緊張で、しょっぱなからお点前間違えたよ(笑)
でも、問題は、質問タイム。
今回は頭フル回転で聞いてたから前より覚えております。
・お茶会はどれくらいの頻度で開かれるの?
・お茶会をするのは室内だけ?外ではしないの?
・自分の家に友達を招いてお茶会したりするの?
・どういうタイミングでお茶会をするの?
・日本人は結婚式でお茶会するの?
・誰でもお点前していいの?
・子供もお点前できるの?何歳からいいの?
・お茶会は昼するの?夜するの?
・お茶菓子は決まってるの?いつも同じなの?
・浴衣は冬も着るの?
・着物は毎日着るの?
・茶会をする意味は?
・日本人は毎日お抹茶を飲むの?
・今、日本の季節は何?
など、約1時間くらい、必死に英文を組み立てて答えた(笑)
お客さんの中には英語が苦手な人もいるので、通訳スタッフの人がスペイン語↔英語をしてくれる。で、私は日本語で日本人の方と「どうでしたっけ?」などと話すので、3か国語が飛び交う茶室というエキセントリックな空間に。アドレナリン出まくりで、帰宅してからも全然お腹がすかなかったわ。
間違って答えてるのもあると思うので、私の返答はここには記しませんが、気になる方は、ググってみてください!

海外で初めてお金を稼いだ
今回、海外で日本文化を伝える難しさを痛快して、それなりに凹んだけど、それ以上に感動したのは、お金をいただいたこと。
思えば、初めて哲学関係のお仕事で謝金をいただいたとき、本当にうれしくて、そのお金は封筒ごと大切に保管してある。企業勤めしてたときの初任給には何の感慨もなかったのに。おそらく、自分がやりたくてやったことに、対価を払ってくれる人がいたっていうことが私の中で感動的だったのだろう。しかも、今回はそれが外国で起こったので、さらに感慨深かった。頂いたペソは大事に取っておきます。
とはいえ、これから先1か月くらいは毎週お茶会の予定になっている。何とか、頑張っていきましょう。なかなかできる経験じゃないしね。

最後に
昔、母方の祖母が「荷にならん花嫁道具をたくさん持っていくんよ」って言っていたのを思い出す。今考えれば、ジェンダーバイアスかかりまくりの問題発言だけど、言葉の芯にあるおばぁちゃんの思いは分かる。つまり、物理的な物や道具は壊れたり盗られたりもするけど、頭の中の、身に着いた能力や経験、知識の蓄積は誰にも奪われないから、若いうちにそういうものをたくさん仕入れておきなさいっていうこと。母もよく同じことを言ってた。
おばぁちゃん、もう亡くなってから20年くらい経つけど、荷物にならない花嫁道具が役に立ってるよ。

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