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カボチャの種を植える和尚さん

お寺の和尚さんがカボチャの種を植えました
目が出て膨らんで花が咲いたらじゃんけんぽん




皆さんはこの童歌(わらべうた)をご存知だろうか。


幼い頃、幼稚園や保育園で習ったことがある人がいると思う。
地域性により若干の違いはあるかもしれない。何やら最近ではこの歌の最後には忍法を使ったり、東京タワーが登場したりするそうな。
これにはおじさんの私としてはジェネレーションギャップを感じずにはいられない。


さて、なぜこの童歌の話をするかというと、昨夜から寝る前に急に頭の中を駆け巡ったのだ。
これは脳内リピートとか、ヘビロテといった類いのやつでこうなったら最後、僕の思考は寝る前に見事にハックされた。


なぜこの童歌が突然頭の中を駆け巡ったのかは分からない。理由を探ったが結局わからずじまいだった。
その代わりと言ってはなんだが、僕は歌詞中のある部分に疑問を抱きそこに目を向けることになった。




まず一つ目、

お寺の和尚さんはなぜカボチャの種を植えたのか?



そして二つ目、

なぜ花が咲いたらじゃんけんぽんなのか?





それではなぜこの二つに疑問を持ったのか紐解いていこう。

和尚さんは百姓ではないから野菜を育てる必要がないのである。仮にカボチャを育てる必要があったとしてもなぜカボチャだったのか。他の作物でもよかったのではないか。そして一番の疑問はなぜ花が咲いたらじゃんけんをしなければいけないのか?カボチャを育てる上での目的はカボチャの実を育てて食すことである。
ならば、花ではなく実がなった時にじゃんけんをするべきではないのか。花を最終目的とするならば、桜やバラといったほうが望ましいのではないか。


日本の童歌には他にも「かごめかごめ」や「はないちもんめ」などがある。
そしてそれらの歌には都市伝説的ではあるが意味がある。童歌が作られた時代背景を表しており、人身売買を思わせる内容などのエピソードが織り込まれていたりするのだ。


ハッピーかアンハッピーかは分からないが、この「お寺の和尚さんの歌」にもきっと何かしらの意味が込められているはずだ。


僕は眠りにつくはずの時間にこの疑問にとらわれて思わずケータイを握りしめた。
暗闇の中、ブルーライトに目をしばたたせ、必死にその答えを探す。
検索ワードに何度も入力しその答えを探す。しかし、僕が求めている歌詞の意味を表すページにはたどり着けなかった。

だがそれで諦めきれるはずもなく、僕はこの歌詞の意味を自分なりに解釈し、ストーリーを考えることにした。




以下は、「お寺の和尚さんの歌」にまつわるエピソードの創造である。

むかしむかし、小さな小さな村がありました。
その村は貧しかったですがみんなはとても仲良しで子供たちはいつも外で遊んでいました。
村のはずれには小さなお寺があり、子どもたちの遊び場といえばそのお寺に行って和尚さんと遊ぶことでした。
しかし、そんな時に飢饉が起こります。
作物が育たず食べるものがなくなったのです。
和尚さんもお寺の境内で野菜を育てることにしました。どの作物にしようか迷った末に腹持ちのいいカボチャにすることにしました。
そんな時でも子どもたちはお寺に遊びに来ます。
和尚さんはお腹をすかせた子どもたちに一人ひとりにカボチャをあげましたが、それだけではお腹の空腹は補えません。
そこで和尚さんにじゃんけんに勝った人にだけカボチャの花もあげることにしました。
そのエピソードを後世にまで伝えるために「お寺の和尚さんの歌」が生まれたのです。



カボチャの花は天ぷらにして食べれるそうな。
朝摘みだと尚よいとのこと。

これは暇つぶしにもほどがあるほどの妄想兼創造であるが、あながちありそうな話である。


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