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10代の時に聴いた音楽には勝てない

城戸けんじろがとてつもなくかっこいい。

城戸けんじろとはジャパハリネットのヴォーカルだ。


リーゼント姿でひょうきんに歌い、しかしその歌には紛れもない歌心が存在し、観る人を魅了する。僕も魅了された、そのうちの一人だ。


ジャパハリネットを知らない人のために少し紹介をする。


およそ15年前になるだろうか。空前のバンドブームが起こった。そのバンド達を総称して青春パンクバンドと言われた時代があった。僕が高校生の時、そんな時代があった。その時代の全てのバンドを青春パンクバンドと位置付けられるのはいちファンとしてはなんとも腑に落ちないのだが、僕の青春と共にあったバンドだからあながち間違いでもないのだろう。

ジャパハリネットは僕の青春と共にあったそんなバンドだった。

先輩にCDを借り「贈りもの」を聞いて心が震えた。「夏の憧憬」を聞いて物哀しくなった。なのに歌詞カードにはひょうきんにも逆立ちをするヴォーカル城戸けんじろの姿があった。

ストレートで人間臭くて、芯が通っていた。あの時代、キャッチーな歌詞がとても多かった。ただただ「頑張れ」という言葉や「僕ら」という言葉で取り囲んだ歌詞を扱うバンド。それが若者のハートを掴み一大バンドブームを築いたのだが、僕はその風潮に少し飽きていた。ジャパハリはキャッチーなメッセージではあるものの歌詞の言い回しがとても好きだった。城戸けんじろの歌にしろ、鹿島公行の歌にしろ、どれもジャパハリらしさがあった。言葉の使い方を知っている人だとおもった。それが僕がジャパハリを好きな理由。


青春パンクバンドブームは本当に凄かった。各地方で名を馳せたバンドがバンドブームによって全国区へとなった。あの頃のバンド全てに言えることだがライブの数が半端じゃない。年間100、200を超えるバンドは普通にいたし300を超えるバンドだっていた。それは時代といえば時代かもしれない。だけれどもライブにかける情熱と、そのクオリティは高い。音楽的なジャンルとしてテクニックを魅せるバンドは少ないがライブ力はとても高い。場慣れ感。キャパ200〜300というライブハウスの空間はメジャーシーンとは言えないかもしれないが、その中で救われた若者は本当に多かったと思う

しかし、インディーズという業界であったため、金銭的な待遇はあまり受けてないと聞く。MVと言ってもライブシーンを切り貼りしただけのものやライブのギャランティとしても若者の足元を見た価格だったらしい。青春パンクバンドは次第に下火になった。

しかし高校生の僕はそんなことは知らない。その事実を知るのは先のことだ。


2007年ジャパハリネットは解散した。


僕は年がら年中ライブに明け暮れて歌い続けるそんな人たちに憧れていた。自分がバンドを組んでライブをするようになり、戦略だの魅せ方だのと考えたこともあったし、それは間違いではないと思う。だけれども理論どうのこうのとこねくり回した訳ではない圧倒的なパワーに魅了された僕がいたのは確かだ。



先日、死生観を揺さぶる出来事があった。

親族の方で生死をさまよった現場に立ち会った。一命をとりとめて本当によかった。今はリハビリ中だ。早期の回復を願う。


その日から僕の頭の中は遠くの死ではない、身近な死を考えた。いつ来るか分からない死を迎えた時にどんな言葉を残そうか。自分が口にするすべもないほどの状態になったときのためにどんな言葉を残そうか。

いつ死んでもいいやなんて思っていたときもあったが最近ではそんなことはなくなった。いつ訪れるか分からない死のために。残された人に向けた遺書を綴ろう、そんなことを考え出した。


ふとした時に頭の中を駆け巡る曲は決まって10代の時に聞いた曲ばかりだ。頭の中を駆け巡る、脳内リピートというやつだ。何年も前に聞いた楽曲が僕の心をノックする。僕は鼻歌を歌い、10代の自分と再会する。僕はこの感覚におちいる度に思う。10代の頃に聴いた音楽を超えるような歌には出会えそうにない。恋愛、友達、学校、劣等、後輩の自殺、そんなもののひとつひとつに歌が張り巡らされている。


僕は先日の件で遺書について考えていたらいつしか頭の中にはジャパハリネットの「物憂げ世情」が流れていた。高校の時によく聞いていたバンド。生きること、死ぬこと。


遺書を考えて何を書こうか考えている自分、一つの時代を懸命に行きたバンド、ジャパハリネットが交錯して僕の脳内を占領した。


僕はいてもたってもいられなくなって動画を検索した。

そしてジャパハリネットは2015年に再結成していることを知った。

以下ライブ動画である。

城戸けんじろは相変わらずのリーゼントでひょうきんに力強く歌う。

そして最後はお決まりのバク転だ。


この動画を見て何より嬉しかったのがバンドの復活ライブでよく見られる内輪ノリではないこと。懐かしの同窓会ではないこと。復活後の他のライブ動画も見たが、新しいお客さんである10代20代前半の姿が見えたこと。2018年を生きる若者の心にもジャパハリネットの楽曲が伝わっていることが嬉しかった。そして今年32歳になる僕にも2018年のジャパハリネットの音楽が響いた。


理屈でもない、理論でもない。そんな歌に魅了される言葉をなんと表現すればうまく伝わるだろうか。

僕はまだ言葉の使い方を知らない。




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