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祖母の生きた証

目覚める。冷蔵庫に手をのばし、一杯のコーヒーをコップに注ぐ。
これで必要な栄養が足りるとは思っていないが、朝を体に馴染ませるには十分な量だ。

リビングのありとあらゆる窓を開放する。四六時中エアコンをつけるこの季節はかえって換気をすることが少ない。清浄するつもりで開け放したのだが、思いのほか涼しい。PCの画面には窓枠の向こうの快晴が広がってそれこそ気持ちのいい朝を象徴している。


台風一過というやつで、今朝は気持ちがいい。昨晩の雨が嘘みたいで、こんな状況を目の当たりにするたび「悪いことは長くは続かないよ」と体現してくれているみたいだ。
お尻の状況はあまりよろしくない。相変わらず体をクネクネとねじらせるものだからこれが姿勢の悪化につながり、そのうち腰やら首やらが痛くなる気がする。



そしてもう少ししたら実家へと向かう。実家に帰るのは正月以来、半年ぶりだ。兄たちにも会える。兄に会うのは年に一度か二度くらい。会おうと思わなければ会えない。お互いの生活もある。
それはそれでいい。ただ思うのは祖父母、また両親の年齢を考えるとできるだけ顔を見せに帰った方がいいなと思う。そして、兄弟顔を揃えて元気な姿を見せたいなと思う。小さい頃は仲が良かったのだが、大きくなってからは少し距離ができた。僕はあまりそれほど感じてはいなかったのだが、幼馴染や従兄弟から指摘されたことがある。だから距離があったのだろう。そしてそれは僕のせいだと思う。

まぁ、それはそれで仕方がない。僕にも事情があったし、精神的余裕がなかった。精神的余裕がないという言い訳は子供じみているのだが、過ぎたことを言ってもしょうがない。

年に2回、実家に帰るとして祖父母があと何年生きるかによってそれをかける。20年なら40回、10年なら20回。それは当然両親に対しても兄に対しても同じ計算だ。

だからできるだけ顔を見せるように努めているのだが、そんな風に思うのはどこか義務的なところがある。


自分が子を持ち、孫を持ったとき、孫の顔を見たいと思う時がきっと来るだろう。その時に自分が祖父母に対してできなかったことを求めたくない。そんな逃げの想いがある。これは優しくもなんともなく、自分をかばうだけの勝手な考えだ。




二年前、母方の祖母が亡くなった。
亡くなる二日前、母親から朝、連絡があった。
「今日、予定なかったらおばあさんの顔を一緒に見にきてくれんか?」
僕はその日、約束があった。友人からの頼みごとがあったため、明日帰ると言った。母は僕に気を遣ってだと思う。
「おばあさん元気やけど今日は日がいいから予定ないようやったらどうかなと思ったんや。それじゃ明日行こか」
そう言ってくれた。次の日、実家に帰る支度をしようと思っていたら母から連絡がきた。
「おばあさんが亡くなりました。今日は帰ってこなくていいです。明日お通夜があり、明後日葬式になります。」

たった一日ずらすぐらいと思っていたが、その一日が取り返しのない一日になった。

もう、何年も会っていなかった祖母。葬式のとき僕は泣けなかった。幼い頃の祖母の思い出はあるのだけれど、それでも泣けなかった。ただ母に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
祖母に自分の息子を見せたかったのだと思う。祖母がそれを望んでいたかどうかはわからないが、自分の親に自分の子どもを最後に見せることが母の親孝行の一つになっていたのだと思う。




もうすぐ僕に子どもが生まれる。妻のお腹は次第に大きくなり、胎動も大きく感じる。子育てをする上で不安もあるのだが、それでも楽しみで冬が待ち遠しい。


子どもの意思はもちろん子どもの意思で、子は親の所有物でもない。そんなのは百も承知だ。だけれど、俗にいう祖父母や両親に自分の子どもを見せたいという気持ちがある。


祖母が亡くなる二日前、僕は無理をしてでも祖母に会いに行くべきだった。それは祖母のためだけではなく、母のために。母の生きた証を祖母に見せるために。祖母の生きた証を見せるために。

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